大河ドラマ『青天を衝け』で再び脚光を浴びる渋沢栄一。2024年には新1万円札の「顔」になることも決定し、注目度は増す一方だ。そこで本記事では奥野宣之氏編訳の書籍「抄訳 渋沢栄一『至誠と努力』人生と仕事、そして富についての私の考え」(実業之日本社)より一部を抜粋し、渋沢栄一が実際に記した金銭論を紹介していく。
新1万円札の顔・渋沢栄一は知っていた「堕落してしまう人の特徴」 ※画像はイメージです/PIXTA

「カネの亡者」になってはいけない

■競争は必要だが…

 

競争はどんな世界でもあるもので、もっとも激しさを極めるのは競馬やボートレースなどだろう。ほかにも、早起きや読書にも競争があり、立派な人がそうでない人から尊ばれるのにも、競争がある。

 

ただ、このうちの後者についてはあまり激しい競争は見たことがない。一方、競馬やボートレースの場合は「命を懸けて」という感じになる。

 

自分の財産を増やすのもこれと同じだ。激しい競争心を起こして「あいつより金持ちになる!」。こうなってくると道義などはどこかに行ってしまい、「目的のためには手段を択ばない」といった話になる。

 

同僚を騙し、他人を傷つけ、そのうち自分自身が大いに腐敗してしまう。

 

■「これだけはダメ」を持て

 

かつての若者、つまり今のお偉いさんが、だんだん道義精神を失い、いつの間にか権力とカネを得る。その結果、ついに自分のなすべきことを忘れてしまう。

 

はじめは悪いことだとわかっていながら「絶対バレないだろう」と思って、どんどん堕落し、深みにはまっていく。これは心の弱い人が陥りやすいパターンだ。

 

少なくとも「これだけはダメだ」という何かがあれば、自分の良心に問いかけ、道義に照らし合わせ、キッパリと悪を退けることができただろう。善の道を選ぶのが難しい、なんてことがあるか。

 

守るべき何かがある人の行為は、その根っこが強い。だから、最終的にこの種の人は必ず勝利するのだ。

 

■「バレなきゃいい」の危険性

 

罪悪はさまざまな理由から生じるものだが、とくに利益に関するケースがもっとも起こりやすい。

 

利益を求める目的は主にカネだ。カネというのは、見れば欲しくなり、得ればますます多くを手に入れたいと思うのが、人間の弱点である。

 

だから知性や思慮、才能、徳のある人でも「これくらいのこと、バレなきゃいいだろう」と思って、いつの間にか賄賂に手を出すようなことになる。いったん手を出せば、だんだん欲が増してきて、知らず知らずのうちに罪悪を重ねてしまう。こんな例は世間に少なくない。

 

しかし、こういう罪悪でも、一人でやっているうちはあまり大きな事件にはならない。だんだん何人もの人が寄り集まってきて、グルになって進めていくようになると、やがて大変な罪悪となる。