「カネの亡者」になってはいけない
■競争は必要だが…
競争はどんな世界でもあるもので、もっとも激しさを極めるのは競馬やボートレースなどだろう。ほかにも、早起きや読書にも競争があり、立派な人がそうでない人から尊ばれるのにも、競争がある。
ただ、このうちの後者についてはあまり激しい競争は見たことがない。一方、競馬やボートレースの場合は「命を懸けて」という感じになる。
自分の財産を増やすのもこれと同じだ。激しい競争心を起こして「あいつより金持ちになる!」。こうなってくると道義などはどこかに行ってしまい、「目的のためには手段を択ばない」といった話になる。
同僚を騙し、他人を傷つけ、そのうち自分自身が大いに腐敗してしまう。
■「これだけはダメ」を持て
かつての若者、つまり今のお偉いさんが、だんだん道義精神を失い、いつの間にか権力とカネを得る。その結果、ついに自分のなすべきことを忘れてしまう。
はじめは悪いことだとわかっていながら「絶対バレないだろう」と思って、どんどん堕落し、深みにはまっていく。これは心の弱い人が陥りやすいパターンだ。
少なくとも「これだけはダメだ」という何かがあれば、自分の良心に問いかけ、道義に照らし合わせ、キッパリと悪を退けることができただろう。善の道を選ぶのが難しい、なんてことがあるか。
守るべき何かがある人の行為は、その根っこが強い。だから、最終的にこの種の人は必ず勝利するのだ。
■「バレなきゃいい」の危険性
罪悪はさまざまな理由から生じるものだが、とくに利益に関するケースがもっとも起こりやすい。
利益を求める目的は主にカネだ。カネというのは、見れば欲しくなり、得ればますます多くを手に入れたいと思うのが、人間の弱点である。
だから知性や思慮、才能、徳のある人でも「これくらいのこと、バレなきゃいいだろう」と思って、いつの間にか賄賂に手を出すようなことになる。いったん手を出せば、だんだん欲が増してきて、知らず知らずのうちに罪悪を重ねてしまう。こんな例は世間に少なくない。
しかし、こういう罪悪でも、一人でやっているうちはあまり大きな事件にはならない。だんだん何人もの人が寄り集まってきて、グルになって進めていくようになると、やがて大変な罪悪となる。