日本社会で根深い「教育問題」と社会の関係
■大将ばかりで社会は回らない
こんにちの教育も、そして若者の希望進路も、学校の制度も、「大将」ばかりをむやみに作ろうとしているのではないか。「高等遊民」なんていうのが出てくるのも、教育制度の結果だろう。
もう少し、下の方から仕上げていくようにせねばならない。職工学校とか徒弟学校とかいった中級の実業学校がもっとたくさんできて、子供たちがそこで学びたがるようにしなければ。
そこからでも偉い生徒はやはり偉くなる。いや、偉くならなくてもいい。その能力に応じて、たとえば包丁やまな板のような役割をする人がいなければならないのだ。
■能力や適性に合った学問を
学校が生徒の能力やその親の資力などを詳しく調べてから、「この子にはこの学問をさせた方がいい」と指導する――。こんなことは到底できないとおっしゃるだろう。
だが、今の教育はこれとすっかり正反対で、猫でも杓子でも同じ教育を受けさせる、といった仕組みになってしまっている。学ぶ側も、自分の能力や資力を考えず、ただ学歴を求めるだけ。こういうのがこんにちの風潮となっている。
そんなことをしているうちに大きな弊害が生まれる。学んではみたものの、就職が決まらず、そのうちノイローゼに…。こういうケースはしょっちゅう聞くのである。