(※写真はイメージです/PIXTA)

本連載では、仕事の帰りに脳出血で倒れ、一時意識不明の重体になるも、一命を取り留めた経験を持つ宮武蘭氏が、脳出血の後遺症やリハビリの実際を解説していきます。

倒れたことは分かっていた。分からなかったのは…

気付いた時は、集中治療室のベッドの上にいた。そこは窓もないので、時間の経過が分からなかった。倒れたことは分かっていた。だから、病院に運ばれたこと、左手に点滴をされていること、最小限の現状を理解していた。分からなかったのは、私の身に何が起こったのかということだった。

 

母が顔を出してくれたのがいつだったのか、ただ意識が戻ったことだけは確認できた。自分に何が起こったか、少し説明を受けた。

 

動かない右半身に、『大変なことになってしまった』という思いが頭を駆け巡る。しかも、意識は朦朧としていた。私は、脳の中心の脳幹近くにある、左視床という場所に出血を起こしていた。

 

幸いなことに、わずか6ccで出血が止まり、点滴治療のみで済んだ。後から聞いたのだが、出血量が多いと開頭手術を行い、溜まった血を抜かなければならなかったそうだ。

 

医師から、「ここ2、3日が山場です。助かっても会話はできないかもしれません」と、母には説明があったようだ。母は、何があっても、あまり人前で動揺を見せるタイプではない。病院で初めて意識のない私を見て、事の重大さは分かっていたが、泣き叫んだり取り乱したりすることはしなかった。

 

しかし、一旦帰宅し、すぐに父の仏壇に手を合わせ、『何とか助けてやって……』と頼んだそうだ。倒れて3日目だっただろうか、救急搬送された時にお世話になった上司とKさんが病院に来てくれた。私は、呂律が回ってなかったと思うが、「すみません」「ご迷惑おかけしました」などと話していたそうだ。そして「今、何時?」と、しきりに時間を聞いていたらしい。

頭では分かっていても、言葉が上手く出ない

倒れてからどれくらいだろうか、意識が戻ってから集中治療室の看護師達から同じ質問が定期的にされ始めた。

 

「今日は、何日ですか?」

「ここはどこですか?」

「生年月日は?」

「5月…」(※本当は12月)

「病院?」

「……」

 

頭では分かっていても、言葉が上手く出ない。看護師達は、それでも「はい」と言い、しばらくしてまた同じ質問がされる。しかし、5日間過ぎた頃には、それらの質問にも答えられるようになり、点滴も外れ、少しずつお粥や流動食も食べられるようになった。窓のない部屋でも、一応食事が出ることで、時間を感じるようになった。

 

倒れてしばらくはオムツをしていたが、看護師の介助で車イスに乗り、トイレに行くようにもなった。集中治療室には、救急車で重篤な患者さんが毎日運ばれて来る。私は病状も落ち着き、ベッドがだんだん端の方に移動した。

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『アイアムカタマヒ 右半身麻痺になった中年女の逆境に打ち克つリハビリ体験記』より一部を抜粋したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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