時代を越えて生き残るには、どうすればよいのか。明治創業の鍋清が140年以上も続く超長寿企業になったのは、経営改革の賜物だ。1985年のプラザ合意の後、鍋清は「円高が当然の時代でも生き残る会社」へと生まれ変わらなくてはいけなった。改革の柱となったのは、経営マインドが身に付くボードゲーム「マネジメントゲーム」と、経営分析プログラム「マイツール」の導入。これらの取り組みで社員に「全員経営」の意識が広がった。次のステップは、利益を見る会計「戦略MQ会計」の考え方を身に付けさせることだった。その結果どうなったのか?

鍋清社員の「数字に向かう意識」が一線を画するワケ

鍋清が「戦略MQ会計」(※)を導入したのは35年前のことだ。今ではすっかり社内全体に定着し、新入社員やキャリア採用(中途入社)の社員も、必ずマネジメントゲーム研修を通して戦略MQ会計を理解する。日々の業務では月次決算が当たり前で、拠点別の試算表が翌月の10日に出てくる。

 

これを見れば人件費がどれくらい増えたか、利益が出るかどうか、今期どれくらいの利益を出せるかが一目瞭然である。

 

粗利率が下がると、事業部門や拠点の責任者のところに本部から「どうしたのか」と問い合わせがくる。どの取引先でどういう商談があったのか、ほかに何か理由があるのかなど、責任者は常に現状を把握し、答えられるようにしておく。

 

また、年間の利益目標は、夏、冬のボーナスのほか、3月末の決算ボーナス(決算給)にも連動する。

 

つまり、社員は全員、部門や拠点の利益目標を知っているため、目標達成したときのボーナス額も分かっている。部門長は毎月、朝礼で今どれくらいまで利益目標をクリアできているかを発表する。

 

このような環境で仕事をしているため、鍋清では営業経験がない事務社員も部門や拠点別の利益推移を気にしているし、目標も把握している。数字に向かう意識が他社と大きく違うのだ。

 

※「戦略MQ会計は、考案開発された西順一郎先生の会社、株式会社西研究所の登録商標です。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

売上至上主義では思いつかなかった「新しい価格設定」

「戦略MQ会計」の浸透により、最も大きく変わったのは見積もりだ。かつての鍋清では、顧客ごとに掛け率を設定して見積もりを決めていた。これは鍋清独自というわけではなく、ベアリング業界全体としてそのような価格設定が慣習化していた。

 

掛け率が決まるということは、その時点で会社全体の粗利もだいたい決まるということだ。また、掛け率は顧客によって差があったが、いずれの場合も粗利率の上限を固定していた。通常の納品でも突発的で急な納品でも、粗利率が同じというのが当時の鍋清の当たり前だった。これも業界の慣習によるものだ。

 

当時のメーカーは、代理店である商社の粗利は10%もあれば十分だろうと考えていた。代理店である我々もそれくらいが妥当と考え、10%くらいを上限にしていた。

 

しかし、時代は大量生産から少量多品種へ大きく変わっている。単にモノを供給するのではなく、情報力や提案力が重視されるようになり、そこで付加価値が生まれている。代理店として商社が関わることの意味と価値が変わっている。そう考えるなら、付加価値を反映する価格設定をしてもよいはずだ。

 

「粗利率は、商品、顧客、納品状況などによって変えてよいのではないか」

 

そんな考えが浮かんだ。例えば、顧客の相談に応じて提案する場合、その分を価格に乗せてもよい。スピーディな納品を実現するためにストックをもつなら、その価値も価格に乗せてよい。

 

そのような点に目を向けて、速さ、提案、リスクを取ることなどの価値がどれくらいなのだろうかと考えるようになった。そして、複数の同僚とともに「利益感度分析」で粗利率をいろいろ変えてみるシミュレーションを繰り返した。

 

「こんなに変わるものなのか」

 

一緒にシミュレーションを見ていた社員が思わず驚きの声を上げた。売上しか意識していなかった我々にとって、粗利単価を変化させるという発想は新しかった。

会社全体が真剣に「利益」に向き合うようになった

粗利単価を変化させる方法があると分かると、収益構造について一気に関心が高まった。「粗利率の根拠は何なのか?」そんな疑問をもつ人が現れ、「ケースによっては粗利率を上げるのが正しい価格設定だ」という考えが広がっていった。

 

それは言い換えれば、ベアリング販売の商社として、どんな仕事をすればよいか、どんな価値を発揮できるかを考えるようになったということだ。市場には競合他社がいるため、安易に粗利率を上げるわけにはいかない。

 

安くすると利益が出ないことはプラザ合意後の営業で重々分かったが、高過ぎては競合に負ける。見積もりで出した金額をあとから変えるわけにもいかない。営業担当者たちは顧客との商談にいっそう熱を入れるようになった。

 

見積もりを出す前に顧客のニーズ、競合他社の動向、自社の収益構造などを踏まえて、マイツールで何通りもシミュレーションを行ってから提案に向かった。

 

仕入れや販管費を担う営業以外の人たちも見積もりを気にするようになり、会社全体が利益と真剣に向き合うようになった。

 

「粗利を確保するにはこのラインを維持しなければならない」

 

「さらに上を目指すなら、粗利率はこれくらいだ」

 

「この水準であれば競合との競り合いやクライアントからの指値に対応できる」

 

1年前にはまったく耳にしなかったそのような会話が方々から出てくるようになった。

経営改革がもたらした「赤字から復活する」以上の成果

マネジメントゲームとマイツールから始まった変革により、会社全体の粗利率は大きく改善した。

 

また、自分たちが作る見積もりや、見積もりのとおりに利益を得ることについて社員が自信をもてるようになったと思う。

 

変革以前の営業では、見積書を出すときに常に値切られるのではという恐怖を感じていた。慣習的な数値をベースに利益を乗せていたため、「高い」と言われたときに反論する武器もなかったし、自分たちの仕事の価値が言語化できていなかったため、自分たちが「取り過ぎでは?」という妙な意識をもっていた。

 

しかし、このときを境に意識が変わった。見積もりを作るまでの過程を数値化し、見えるようにしたことで、価格が適正であると堂々と思えるようになった。

 

商社事業において妥当な粗利率を議論するのは無意味だと思う。商社無用論は以前からあり、左から右へモノを流すだけなら妥当な粗利率が見えるかもしれないが、我々はそこに付加価値を載せている。モノを通じて鍋清ならではのソリューションを併せて提供することが我々が考える商社事業だ。そのために掛かる手間や労力は当然、費用に含めてよいはずだ。そう考えるようになり、仕事の中身と対価として受け取る利益が、ようやく結び付いたのだと思う。

 

この変革は、そもそもはプラザ合意後の赤字転落がきっかけだった。黒字になる収益構造に作り替えることが目的だったが、実際にはさらに大きな成果を得た。鍋清全体で全員経営のマインドが浸透し、商品だけでなく、事業全体についてきちんと知っている組織に生まれ変わることができたのだ。

 

 

加藤 清春

鍋清株式会社 代表取締役社長

 

 

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