日本経済を支えるサラリーマン。彼らは、どのような時代を生き、どれほどの収入を得て、将来、どれほどの年金を手にするのでしょうか。今回は、バブル景気絶頂期の1989年に大学を卒業した、現在55歳の会社員を振り返ります。

55歳会社員が新卒だった「1989年」を振り返る

現在55歳の会社員が、大学を卒業して就職をした1989年。バブル景気で日本中がわいていたころで、1月7日に「昭和」が終わり、翌8日に「平成」がはじまりました。

 

リクルート事件の責任をとり竹下登首相が辞任し、変わって宇野宗佑内閣が誕生。しかし自身の女性問題が週刊誌で明るみになり、69日の短命内閣に終わりました。その後、8月10日に海部俊樹内閣が誕生し、1991年11月まで続きます。

 

またアメリカではジョージ・H・W・ブッシュ、いわゆる「パパブッシュ」が、第41代アメリカ合衆国大統領に就任。当時の旧ソ連のリーダーはミハイル・ゴルバチョフ最高会議議長。2人はこの年の12月3日の「マルタ会談」で冷戦の終結を宣言しました。6月4日には「天安門事件」、11月10日には「ベルリンの壁崩壊」と、いまでは教科書にものるような事件が起きたのも、この年でした。

 

日本レコード大賞ではアイドルユニットのWinkが『淋しい熱帯魚』で大賞を受賞。邦楽ナンバーワンヒットは、プリンセス・プリンセスの『Diamonds』でミリオンヒットを記録しています。2位も同じくプリンセス・プリンセスの『世界で一番熱い夏』だったほか、前出のWinkと工藤静香が売上ベスト10に3曲ずつランクインさせるなど、ヒットチャートを賑わしました。

 

また映画館への入場料が基本1600円だった1989年。レンタルビデオの普及で、冬の時代を迎えていた映画業界最大のヒットは、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』で配給収入は約44億円。邦画最大のヒットは『魔女の宅急便』で配給収入は約21億円でした。

 

*興行収入から映画館の取り分を差し引いたもの。日本では1999年まで映画の興行成績を配給収入で発表。契約によって異なるが、おおよそ興行収入のおよそ50%が配給収入となる

 

この年にヒットした商品といえば、ソニーの『ハンディカム』。レコーダー一体型ビデオカメラで、従来品よりも小型な“パスポートサイズ”で話題になりました。また任天堂が携帯ゲーム機『ゲームボーイ』を発売したのもこの年。いまや白黒画面は伝説です。

 

新卒だった1989年、良い時代だった…(※写真はイメージです/PIXTA)
新卒だった1989年、良い時代だった…(※写真はイメージです/PIXTA)

 

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