先代の社長が急逝して社長に就任するも、社内は大混乱
京介が40歳になったその年に、先代から代表権のある副社長に推挙され、翌月の役員会で正式就任というときに、先代が倒れ緊急入院ということになりました。
翌月、開催された先代抜きの役員会では、代表就任は先代が退院後まで延期してはとの意見も出ましたが、先代がこのような状況で会社として、代表権をもう1人持っていたほうがいいとの意見が多く、何とか代表取締役副社長に就任したものの、その年の暮れに先代は帰らぬ人となりました。
案の定、先代が亡くなってからは、一部の幹部は己の派閥の人材を引き連れて独立する者が出ました。また、幹部のなかには、京介のお手並み拝見とばかりに意見はいうものの、会社の方針に非協力的な者や、自己の保身ばかり考える者もいました。
もちろん、京介をサポートする者もいましたが、先代亡き後、幹部が一致協力して会社を盛り立てなければならない時に、会社内部はぎくしゃくし、社業に集中できるような状態ではありませんでした。
これがもし、京介の前にワンポイントでも先代を支えた幹部の1人を社長にしていたら、状況が変わっていたかもしれません。
不動産投資が裏目に出て、新社長の求心力は一段と低下
そのようななかで京介は、この会社を背負って立つ代表者として、他の者を納得させるためにも結果を出さなければなりませんでした。経営に対する熱意と意欲は人一倍強かったのですが、そのような焦りもあるタイミングでバブル期を迎えました。
会社は混乱していたものの業績は順調で、また、老舗企業だけに幅広い付き合いもあり、色々な人達が京介の周りに集まってきました。
京介は周囲に煽られて、当時は未だ不慣れであった自ら事業を企画して工事を造り出す造注に独断で手を出してしまいます。会社内部の幹部達の忠告を無視した独断で新規事業へ手を出したことがきっかけとなり、京介への求心力は一段と低下を招き、次第に京介は孤立していきます。
そこへまた、どこから嗅ぎつけたか、会社へ入れ替わり立ち代わり不動産ブローカーが押し寄せてきました。そこから、会社の暴走は始まります。
本業だけならまだしも、大都市の優良な土地に加えて、全く収益の見込めない北は北海道、南は沖縄など、遠方の不動産もリゾート開発を名目に、高価格で、ブローカーに薦められるがまま、買い続けていきました。
後ろ盾をなくしたなかで、求心力を保つことへの焦り、参謀がいないなかでのバブル期の不動産投資が裏目に出ました。結果、販売用不動産だけでなく、多くの投資不動産を抱えた会社は、バブル崩壊とともに地価が下落に転じた分の損をまとめて被ることになり、不良資産とともに多額の借入金が残ることとなりました。
注目のセミナー情報
【国内不動産】4月26日(土)開催
【反響多数!第2回】確定申告後こそ見直し時!
リアルなシミュレーションが明かす、わずか5年で1,200万円のキャッシュを残す
「短期」減価償却不動産の節税戦略
【資産運用】5月10日(土)開催
金価格が上昇を続ける今がチャンス!
「地金型コイン」で始める至極のゴールド投資