逆風吹き荒れる「印刷業」…廃業する企業も多く
創業者である龍一は、地元の優良会社であった大沼印刷所に丁稚に出て印刷のイロハを学びました。そして頭の良かった龍一は、社主に大変可愛がられ独立を許されたのは戦後間もない頃でした。
龍一は独立と同時に、当時主流になりつつあった、写真や文字の細部まで鮮明に印刷することができる、オフセット印刷機を導入しました。独立したばかりで思い切った投資であったと思いますが、龍一の日頃の信用が独立を後押しし、思い切った投資にも出身会社をはじめ、周りの人が助けてくれました。こうしてみやび印刷はスタートしました。
当時、印刷業は右肩上がりの成長が始まったばかりでした。印刷業界は高度成長期、バブル期にはGDPの伸びを上回る成長をしてきた業界であり、不況の影響を受けにくく、非常に安定した業種といわれていました。みやび印刷もその好景気に乗って大きく成長し、ピーク時には従業員を90人近く抱え、事業領域を広げていきました。
そのような印刷業界も、1990年代中頃からインターネットの普及や、デジタル技術の進化で、広告宣伝媒体が、印刷物から電子媒体に置き換わっていきました。
また、近年の印刷機の生産能力が著しく向上し、印刷各社の供給能力が需要を上回ることで過当競争の状態に陥っています。さらに原材料や物流コストの上昇も逆風に追い打ちをかける結果となりました。
印刷物のメインである紙の必要性が失われつつあり、デジタルへと移行し市場の縮小も進んでいくなか、企業体力のない中小印刷企業は売上を年々減らし廃業していく会社も多く、印刷業は衰退産業となっています。龍一が修行した大沼印刷所も時代の波に呑み込まれ、廃業してしまいました。
みやび印刷は、布地などの特殊印刷分野へ事業展開をしているものの、売上の7割は紙媒体に頼っているところがあり、体力があるうちに新規事業などの新しい展開を模索しているところです。
事業を承継する3人の兄弟に財産を「平等に分配」
龍一は、事業には厳格な父ではありましたが、子どもの頃に苦労したこともあり、できるだけ子たちには、平等になるように扱ってきました。ただし、結婚してみやび家から出ていく娘達には最低限の財産と株式に留め、事業を承継し、みやび家の財産を承継していく長男大一郎、二男昭二郎、三男平三郎に不動産や株式を集約させていきました。
そのような父の思いに応えるべく、大一郎は中学生の頃には既に後を継ぐものと自覚しており、また、事業に時間を取られ不在も多い父に代わって、長男である自分が家族をまとめなければならないという自覚も持ち合わせていました。
2歳年下の二男の昭二郎は、文武両道で、中学から大学まで野球部で常にエースとして活躍してきました。兄大一郎が、愚直でどちらかというと融通の利かないタイプであるのに対して、昭二郎は、何事にもスマートで社交的、要領よく対応できるタイプでした。さらに5つ下の平三郎は、上2人の兄弟とは少し歳の差があるせいか、温厚で真面目な性格で、1人でコツコツと物事を進めることが好きなタイプでした。
大一郎は、大学卒業と同時にみやび印刷に入り、会社経営に携わっていくことになります。昭二郎は、大学卒業後は先輩に誘われて大手印刷会社に就職しましたが、30歳になった年にみやび印刷に入社することになります。平三郎は、大学卒業後は父親にいわれるがままに、みやび印刷に入社して、印刷現場に入りました。
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