バブル崩壊で不良債権を抱えるも、回復途中の建設会社
建築・土木等建設工事を請け負う総合建設業の綾部建設は、創業以来、高い技術力と強い営業力を武器に近畿圏を中心に事業を展開しており、公共事業をはじめ地域社会のインフラを整備するためになくてはならない重要な役割を果たしている建設会社です。
売上高は200億円を超えており、滋賀、大阪、徳島に支店を有し、従業員数は100名を超える優良中堅建設会社でした。バブル期にかけて円高と大幅な金融緩和により、官民併せた建設投資額はピークを迎えました。
その頃の綾部建設は、官民からの工事受注はもちろんですが、自ら土地を仕入れて、自らが工事を造り出す造注を盛んに行い、ゴルフ場開発や宅地造成など事業を拡大していきました。しかし、バブル崩壊を機に計画の中断や施工主の破綻、その後の地価も下落を続け、大きな痛手を被ることになりました。
現在は、ホテルや東京五輪に向けた再開発に伴う建設ラッシュなど、バブル期以来の繁忙状況が続いており、表面上は順調な経営が続いていますが、バブル期からの地価下落に伴う不良資産の処理が完了しておらず、未だ健全な財務体質の確立までには至っていません。
社長の一人娘と結婚した従業員は「出世頭」
綾部建設は、代々創業者一族が事業を承継し、事業を拡大してきました。暗黙の後継者の存在によって企業の長期継続性を示すことができ、その結果、取引先にも従業員にも信頼と安心を与えられたことが事業を拡大できた理由の1つです。
しかし、五代目のときには、娘が誕生するも男子には恵まれませんでした。娘の都子は、大学卒業後は一般企業に就職し、綾部建設には就職しませんでした。会社勤めが2年程経過した頃、都子は綾部建設に勤務する従業員であった京介と見合結婚をしました。
京介は先代が見込んだ従業員の1人であり、30代前半で既に四国エリアを取り仕切る立場にありました。同世代には京介のほかにも有望な人材が数名いましたが、そのなかで京介が出世頭でした。
父と娘である都子の関係は非常に良好でしたが、代表者である父は娘に事業を継がせることは考えておらず、都子も事業には関心がなく、専業主婦として、会社の外から京介、または父親をサポートし続けることを望みました。
次期社長候補となった娘婿に、社内では不協和音が…
京介は結婚した翌年に、四国から京都に戻ると同時に役員に就任しました。もちろん、当時は役員のなかでも最も若く、先代の指示のもと課せられた役割を果たしていました。
役員に就任して3年目に先代の推挙で専務へと昇進しました。家庭では2人の男の子に恵まれ、仕事も家庭も充実していたように思えます。
しかし、役員になり次期社長という目で周囲がちやほやすることに、若さも相俟まって京介は、勘違いをして思い上がるようになり、従業員への対応も横柄になっていきました。これから幹部になろうとする世代では、昨日まで同じ従業員であった京介が、次期社長となったことに対するやっかみや反発があったのでしょう。
そのような状況のなか、京介と同世代の優秀な社員が会社から離れていきました。会社に残った幹部候補のなかにも、反発心から身勝手な行動で会社を混乱させる者もいました。
また、中堅企業である綾部建設には、複数の実力者が幹部として存在し勢力も拡大していました。先代を補佐する役員級の幹部は、各自がこの会社を引っ張ってきたという自負があります。
自分を可愛いがり引き上げてくれた先代には恩義を感じても、自分よりもだいぶ若く血縁関係のない京介が社長になったときに、先代が指名したということで割り切って京介をサポートできるのかどうか自問自答するでしょう。
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