当初「遺産はいらないから」と言っているような人でも、いざとなると「やっぱり欲しい」と意見を変えることも珍しくありません。単純な心境変化はもちろん、現在のコロナのように想定外の出来事があって、急遽遺産が必要になる場合もあるでしょう。しかし、なかには他の相続人をだます悪質なケースも発生しています。もし、同じ相続人が「今回は自分に相続させてくれないか」と持ち掛けてきたら…? ※本連載は、司法書士さえき事務所所長の佐伯知哉氏の書き下ろしです。

兄「父の遺産は全部俺にくれないか。その代わり…」

【事例】

被相続人:父A

相続人:母B、長男C、長女D

 

東京都内にお住まいのAさんは85歳で亡くなりました。Aさんには相続人として妻のBさん、長男のC男さんと長女のD子さんがいます。

 

C男さんもD子さんも実家を出てそれぞれ世帯を設けていたのですが、母親であるBさんも83歳と高齢のため、長男であるC男さんがBさんと二世帯で暮らすことになりました。

 

Aさんの遺産相続にあたって、C男さんとD子さんはこんなやり取りをしました。

 

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C男:おふくろは俺が面倒を見るから、今回の親父の遺産は全部、俺に相続させてくれないか。

 

D子:え、うん。それは構わないけど、お母さんが亡くなったときはどうするの?

 

C男:そのときは、おふくろの遺産は全部おまえが相続するって形でいいよ。

 

D子:わかった。じゃあそうしよう。

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C男さんとD子さんは、今回の父Aさんの遺産についてはC男さんがすべて相続して、将来母親であるBさんが亡くなったときにはBさんの遺産についてはD子さんがすべて相続する約束を取り交わしました。母親であるBさんもAさんの相続人ですが、長男であるC男さんが自分の面倒を見てくれるということであれば、特に反対することはありませんでした。

 

母Bさん、C男さん、D子さんは全員が実印を押印して遺産分割協議書を作成して、父Aさんの遺産はすべてC男さんが取得することに合意しました。

 

その5年後、Bさんが亡くなりました。Bさんの遺産は預貯金が3000万円ほどあります。Aさんの相続のときに、C男さんとD子さんは、Bさんの遺産をすべてD子さんが相続する約束をしていました。

 

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D子:お兄ちゃん、以前お父さんの相続のときにした約束、覚えてる?

 

C男:約束? なにか約束したっけ?

 

D子:とぼけないでよ。お父さんの相続のときにはお兄ちゃんがお父さんの遺産を全部相続する代わりに、お母さんのときは私が全部相続するって約束したよね!

 

C男:そんな約束したか? というより、おふくろの面倒は俺がずっと見ていて、お前は何もしなかったじゃないか。仮にそんな約束していたとしても、親父から相続した財産は家と預貯金が少しだし、おふくろの遺産は俺が全部相続したいくらいだよ。

 

D子:そんな! 約束したじゃない!

 

C男:約束したって言ったって、俺は覚えてないし、だいいち証拠はあるのか?

 

D子:証拠って言われたって…

 

C男:ほらみろ、証拠もないのによく言うよ。

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C男さんとD子さんはAさんの相続にときに口約束で済ませてしまっていたので、真意はわかりませんがC男さんはD子さんと交わした約束を覚えてないと主張します。D子さんはどうしていればよかったのでしょうか。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

書面で「母の全遺産を妹に」と残しても法律的には無効

C男さんとD子さんの間で、将来Bさんが亡くなったときに、Bさんの遺産はD子さんがすべて相続する旨の遺産分割協議書をあらかじめ作成しておくのはどうでしょうか。

 

もしC男さんが約束を反故にしようとしてきても、事前にきちんと遺産分割協議をして合意しておけば安心できそうです。

 

法律には「契約自由の原則」というものがあります。大人同士がきちんと約束したことは公序良俗や強行規定に反しない限りは守られるべきです。

 

ですが、判例は相続が発生する前の遺産分割協議は無効であるとしています。

 

つまり、残念ながら仮にBさん死亡前にD子さんが遺産すべてを相続する遺産分割協議書を作成していたとしても、法律的には意味のないものということになります。

「あらかじめ兄に相続放棄させておく」のも無効

もう一つの方法としてC男さんがBさんの相続についてあらかじめ相続放棄しておくのはどうでしょうか。C男さんに念書のようなもので相続放棄をする旨を一筆もらっておくのです。C男さんが相続放棄しておいてくれれば、Bさんの相続についてはD子さんだけが相続人ということになります。これならうまくいきそうですが、残念ながらこちらもやはり無効です。

 

被相続人となる人が生きている間に、先立って推定相続人が相続放棄することは認められません。

 

そもそも相続放棄は家庭裁判所に申述することによって認められる手続きなので、被相続人となる人が生きている間にできる手続きではないのです。

解決策の一つは遺言書だが…「遺留分」という問題

では、D子さんが確実にBさんの遺産を相続できる方法はないでしょうか。

 

解決方法としては遺言の作成が考えられます。Bさんに全財産をD子さんに相続させる内容の遺言書を書いてもらっておくのです。

 

全財産を特定の相続人へと相続させる内容の遺言は有効なものですが、一つ問題があります。それは遺留分です。遺留分とは、相続人に最低限認められている相続分のことです。

 

今回の事例では、Bさんの法定相続人はC男さんとD子さんの二人なので、C男さんには法定相続分の半分である遺産の4分の1の遺留分があります。Bさんの遺産は3000万円なのでC男さんはD子さんに750万円を自身に返還するように請求できることになります。

 

遺言書だけでは、Bさんの遺産をD子さんがすべて相続することは叶いません。

妹が全部相続するには「遺言書+遺留分の放棄」が必要

せっかく遺言を残してもどうしようもないのでしょうか。実は遺言と合わせることによってD子さんにBさんの遺産をすべて相続させる方法があります。遺留分の放棄という方法です。

 

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<民法1049条1項>
相続の開始前における遺留分の放棄は、家庭裁判所の許可を受けたときに限り、その効力を生ずる。

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相続放棄と違い、遺留分は被相続人となる人が生きている間に家庭裁判所の許可を得て放棄することができます。ただし、家庭裁判所の許可が必要となるので簡単に放棄できるものではありませんし一定の要件も必要です。

 

遺留分の放棄が認められるためには、次のような要件が必要になってきます。

 

(1)遺留分の放棄が本人の意思であること

(2)遺留分放棄に合理的な理由と必要性があること

(3)遺留分放棄の代償を得ていること

 

今回の事例であれば、C男さんの意思で遺留分放棄の申立てを家庭裁判所に行い、遺留分放棄の合理的理由と代償として、父Aさんの相続時の事情とその際にC男さんが遺産すべてを取得したことなどを申し立ての理由として記載することになります。これらを家庭裁判所が認めてくれれば遺留分を放棄をすることができます。

 

なお、遺留分を放棄した場合であっても相続権を失うわけではないので、必ず遺言とセットにしないと特定の人に全財産を残すことはできません。

 

遺留分の放棄によって、C男さんはD子さんに遺留分を請求することができなくなりますが遺留分の放棄をわざわざやってくれるのであれば、そもそも遺留分の請求もしないのではと考えられるかもしれません。

 

しかし、人間は環境によっていかようにも変わる生き物です。

 

当初は遺産は要らないと言っていた人でも、いざ相続のときになったらやっぱり欲しいと言ってきます。状況が変わってしまうことだってあります。たとえば、子供が私立の学校に入ることになったのでお金が必要になったり、今の世の中のように誰も予測しなかったコロナウイルスが蔓延して仕事がなくなってしまうことだってあるのです。

 

自分自身でコントロールできないことは天の神様に委ねるしかないのですが、遺言を書いてもらったり、遺留分の放棄をしてもらったりと事前に行うことで不確定な将来を確定に近づけることは可能です。

 

法律知識をうまく使わなければできないこともありますので、相続対策に関して心配なことがあれば一度専門家に相談してみてはいかがでしょうか。

 

 

佐伯 知哉

司法書士さえき事務所 所長

 

 

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