「自分の意志を堅持する、貫く」
権力に縛られない「保守的なアナーキスト」という私の立場
日本のメディアにおいて、私はしばしば「保守的な無政府主義者」と表現されています。英語のアナーキスト(anarchist)を直訳して「無政府主義者」としているのかもしれませんが、私は無政府主義者ではありません。
無政府主義とアナーキズムは、同じではありません。私が考える「アナーキスト」とは、決して政府の存在そのものに反対しているのではないのです。政府が強迫や暴力といった方法を用いて人々を命令に従わせようとする仕組みに反対する。つまり、「権力に縛られない」という立場です。
アナーキストとしての私は、どんな場面であれ、「権力や強制といったものをどのように平和的に転換させればいいのか」「皆がお互いを理解し合った新しいイデオロギーに持っていくにはどうするのがいいのか」といったことに関心を持っています。もちろん、古くさい権威主義や上から目線の命令、高圧的な態度などにはまったく興味がありません。
たとえば、ある企業が強迫的な手段や暴力的手段によって社員を無理やり命令に従わせていたら、アナーキストはそのやり方を変えることを望むでしょうし、強迫や暴力的な手段により作られた階層にも反対します。
無政府うんぬんというよりも、命令などの強制力がないことが重要なのです。こうした強制力を伴う主従関係は、どんな場所にも存在し得るわけですから、政府の存在の有無とは無関係です。
だから、アナーキストを「無政府主義者」と言い換えることは、本来の意味を狭めることになってしまうと思います。
一方、「保守的」ということについて言えば、私の立場は、日本語の「保守」というより中国語の「持守」に近いと思います。「持守」には「自分の意志を堅持する、貫く」といった意味があります。
たとえば、ベジタリアンになると宣言した人が、山海の珍味を目にしても見向きもしないのであれば、その人は自分のこだわりを貫き通したということです。また、修行者であれば戒律を守り、やってはいけないことは意志を貫き通してやらないというのが「持守」です。私もそういう「持守」という態度を大事にしています。