(※画像はイメージです/PIXTA)

経済のために消費はすべきですが、自然・環境・資源に対して大きな負荷をかける消費は現代において好ましくないものです。しかし、「歌い、踊りたい」「懐かしい人と酒を酌み交わしたい」といった人間の本能に基づく欲求はその限りではありません。こうした欲求の多くが未達であり、つまりこれまでの経済とは異なる広大な市場が潜在的には生まれれる可能性があります。エコノミーとヒューマニティを両立する道はあるのでしょうか。※本連載は山口周著『ビジネスの未来』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

日本語では説明できない概念…功利的側面のない消費

このように考えていくと、実は対照的に見える「必要」と「奢侈」と言う2つの消費のあり方が、実はある1点において共通していることが浮かび上がってきます。それは、それらの消費がつねに「手段的」であり「功利的」だという点です。

 

「必要」が「手段的・功利的」であることは容易に理解できると思いますが、さて「奢侈」は本当にそうなのだろうか?と思われるかもしれません。しかし、ゾンバルト、ヴェブレン、ケインズの言う通り「奢侈」の本質的な目的が「恋人に印象づけること」「他者に優越を示すこと」なのであるとすれば、これもまた「手段的・功利的」な行為と言わざるを得ません。

 

一方で筆者が先に挙げたような「人間性に根ざした衝動」に基づく消費には、そのような「手段的・功利的」な側面がありません。これらの消費活動は、活動それ自体が主体にもたらす愉悦や官能が効用となってその時点で回収される点で「必要」や「奢侈」とは大きく異なります。ここにも「時間」の消失が読み取れる点に留意してください。

 

(※画像はイメージです/PIXTA)
(※画像はイメージです/PIXTA)

 

ここで私たちは「概念の欠損」という事態に直面します。手のひらの上にモノを乗せて弄るようにして考えるためには、必ず「手触りのある言葉」が必要ですが、こういった「人間性に根ざした衝動」によって駆動される経済活動のあり方を、ポジティブに表現する言葉を私たちの文化はもっていないのです。

 

読者の中には「活動それ自体が主体にもたらす愉悦や官能が効用となってその時点で回収されるような行為」と聞いて、そのような「活動」とはすなわち「刹那的」「享楽的」「快楽的」なものではないかと思った方もおられるかもしれません。

 

しかし筆者がすでに挙げた「衝動に根ざした活動」の具体例を踏まえれば、このような活動がこういったネガティブな言葉で表現されるべきものではないことは容易にわかると思います。

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ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

山口 周

プレジデント社

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか? 21世紀を生きる私たちの課せられた仕事は、過去のノスタルジーに引きずられて終了しつつある「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すことではない…

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