和製ヘッジファンドのアジアでの地位が低下している
運用者としての日本のヘッジファンド業界は残念ながらグローバルな存在感に乏しい。ヘッジファンドへの投資家としてのジャパン・マネーの存在感とは比較にならない。
短い歴史を振り返ると、2000年代前半のヘッジファンドの機関化初期、日本のヘッジファンドは指で数えられるほどごく少数だったが、日本株相場が底打ちした2003年から2006年にかけて、日本株ロング・ショート・ファンドが続々と誕生し、和製ヘッジファンドと呼ばれるようになった。
CBアーブの低迷など欧米ヘッジファンドの運用キャパシティが懸念され始めたこともあり、ヘッジファンド業界の新たなフロンティアとして日本が期待を集めた。和製ヘッジファンドのいくつかはFOFなど海外投資家からの資金配分を原動力に急成長したのである。
戦略的にはファンダメンタルな銘柄選択を行うオーソドックスなロング・ショート戦略やイベント・ドリブン系がほとんどで、結果的に“中小型株ロング・大型株あるいはインデックス・ショート”というエクスポージャーを有していた。
ところが、2006年のいわゆるライブドア・ショックを契機に多くのファンドのパフォーマンスが悪化した。アジア圏の台頭はめざましく、世界の投資家は日本をパスしてアジアexジャパン(日本を除くアジア)に向かった。アジアのヘッジファンド業界を草創期から支えてきた有力プライム・ブローカーは、毎年秋に東京で大規模なキャップ・イントロのイベントを開催してきたが、2012年からついに会場をシンガポールに移している。
しかしながら、リーマン危機後、新たな胎動もある。金融危機後に縮小・撤退したプロップ・デスクで経験を積んだ“第三世代”と呼ばれる新興運用者である。
大手投資銀行などのプロップ・デスクに勤務してきた人材には公式のトラックレコードはない。だが、そうしたポジションで長期間にわたって資本を与えられてトレードを続け、キャリアアップしてきたという経歴が実績を物語る。その多くは、クオンツとしての高い素養を持ち、なおかつトレーディング能力に優れ、パフォーマンスに厳しいという点で、従来の典型的なストック・ピッカーとは異質だ。
大手投資銀行のトレーディング・フロアとはまったく異なる環境で運用を行うため、かつて成功してきた手法が必ずしも成果を生まない可能性もあるが、こうした若い世代から、グローバルに活躍する人材が台頭してくることが、これからの日本のヘッジファンド盛衰のカギを握っているといっても過言ではないだろう。