ほとんど動けなかったのに。
一人暮らしの方は孤独と不安を抱え、子供と別居の方は不安と不満で病状を悪化させている。この方々は一緒に居て話したり食事の用意をしたり掃除しながら話している間に、目に見えて元気になられる。
ボランティア活動でのことだが、脊椎の病気がありほとんど動けない方が、私が冷蔵庫のありあわせの材料で作った味噌汁を食べ、「こんなおいしいもの初めて食べた」と喜ばれ、次回に行った時は起きて来てお喋り出来るほど元気になられ、三度目に訪問した時は玄関まで迎えに出て来られびっくりした。
こんな極端な例は少ないけれど、子供は離れて住み、夫と二人暮らし、おそらく夫に甘えることも出来ず、気兼ねしながら不安や痛みに押し潰されて暮らしておられたのではと思う。
私たちはその方々にちょっと手をさしのべ、過分な感謝をいただく。
ところが今回のことで、私は周囲から助けられることになった。
家族はもとより姉妹、近所の方々、友人たちが私にとっては良きボランティアであった。特に近所の方々には私の愚痴を聞いていただいたり、姑の話し相手になっていただいたりで、どれほどありがたかったことか。
自分の活動がどれほどの力になるのだろうと思ったこともある。しかし、今回のことでヘルパー活動の力を再認識することになった。
厳しい介護も病院では看護婦さん方に助けられねぎらわれたから、やってこれた。それと、米良美一の「ロマンス」のCDと、トランプはずっと私を助けてくれた。姑の横で日記を書き、トランプの一人遊びをやり、米良美一の歌を徹夜の友とした。
介護する側、される側、双方には今日に至る歴史がある。長い介護となると実の親子の間でさえ、ぎくしゃくしてくる例も見聞きしている。ましてや嫁姑間には、普段から程度の差こそあれ溝がある。ここで中に立つ夫の役割が非常に大切になってくることに、世の夫族は気がついてないか、逃げている。
本記事は幻冬舎ゴールドライフオンライン掲載の『嫁姑奮戦記』を再編集したものです。