産業も発達。日本全国にとどまらず中国にまで食糧輸出
他の産業についてもまとめておきます。漁業では、地引き網(じびきあみ)が広がります。とくに、九十九里浜(くじゅうくりはま〔千葉県〕)の鰯漁(いわしりょう)は有名です。
蝦夷地(えぞち)では、昆布や俵物(たわらもの)が生産され、日本全国だけでなく、清(しん)への主要な輸出品になりました。俵物というのは、干しアワビやナマコ、フカヒレなどを指します。俵に詰めて運ばれたことから、このような名前になりました。
中華料理ではフカヒレやアワビは高級食材として利用されますが、それを日本が輸出していたというのだからびっくりですね。今では、日本が中国など他国から食料品を多く輸入していますよね。
参勤交代により「林業」や「陸上交通」が発達
林業も発達しました。参勤交代(さんきんこうたい)で、全国の大名や武士が江戸にやってきます。1年間滞在する屋敷を建設するための木が必要になります。尾張藩(おわりはん)や秋田藩は材木を商品化し、これが木曽(きそ)ひのきや秋田すぎとして有名になりました。地理で習ったことは歴史と関係があったのです。
江戸は建物が密集していたために、しょっちゅう火事が起こっていました。火事が多かったので、木材も多く必要でした。
参勤交代で発達したのは、林業だけではありません。陸上交通も整備されました。大名行列が毎年通るわけですから、自然と江戸と地方を結ぶ道は整備されていったのです。とくに、【⑧五街道(ごかいどう)】を覚えておきましょう(図表5)。
これらの街道には、【⑨宿場町(しゅくばまち)】が栄えました。行き来するのは大名行列だけではありません。全国を行き来する商人もいれば、旅行者もいました。ちなみに次回記事で江戸時代後半にさかえた化政(かせい)文化を解説しますが、そこに出てくる『東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)』は、東海道に53の宿場があったために、そう名づけられました。
<⑧~⑨の解答> ※PCの場合、上記【 】の中をマウスでドラッグ。
⑧五街道(ごかいどう)
⑨宿場町(しゅくばまち)
物流の中心…「天下の台所」と呼ばれた大阪
陸上交通とくれば、次は海上交通ですね。江戸時代の交通は、「人は陸、物は海」が原則でした。今は物も陸地を通って運ぶ割合が増えましたが、江戸時代には無理ですよね。
だって、たとえばお米を庄内平野の酒田から大阪に運ぶとします。馬の背に乗せて運んだらどうですか? 何頭いても足りません。それこそ“お米様の大名行列”になってしまいますよね。
そこで、物資は海上交通が基本でした。河村瑞賢(かわむらずいけん)によって西廻り航路(にしまわりこうろ)・東廻り航路(ひがしまわりこうろ)が開かれ、地方と大阪・江戸の主要都市を結ぶことになりました。
先ほど例に出した酒田は、米の積み出し港として栄えた都市であり、「西の堺、東の酒田」と言われていたそうです。
江戸時代の大阪は物流の中心であり、多くの生活物資が集められたことから、「【⑩天下の台所】」と呼ばれました。
西廻り航路では、蝦夷を出発し、日本海側、瀬戸内海の都市を通って大阪にやってきました。その間にも全国各地の物資が売り買いされ、大阪にやってきたのです。
図表6は、【⑪蔵屋敷(くらやしき)】です。これは、大名が年貢米(ねんぐまい)や特産物を大阪で売るために蓄えておいた倉庫です。
【⑪】の「蔵」という字を倉庫の「倉」にしてしまう人が多いので注意してくださいね。たしかに倉庫ではあるのですが、蔵に収めていたので、この字を使いました。
大阪はこの【⑪】が立ち並んでおり、大名は年貢米や特産物の販売は商人に任せていましたので、商人が活躍して、まさに「【⑩】」を思わせる活気がある町だったのでしょう。
<⑩、⑪の解答> ※PCの場合、上記【 】の中をマウスでドラッグ。
⑩天下の台所
⑪蔵屋敷(くらやしき)
松本 亘正
中学受験専門塾ジーニアス運営会社代表
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