日本の歴史上最大級の悪法「生類憐みの令」
3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)の後、4代将軍の徳川家綱(いえつな)を経て、徳川綱吉(つなよし)が5代将軍になります。綱吉は1685年から20年余りにわたり「生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)」を出して、犬を大切にし、生きているものを殺してはならないという法を定めました。
たしかに、生き物を大切にするのはいいことなのですが、噛みついた犬を切り殺した侍が切腹(せっぷく〔死刑〕)になるくらい厳しかったので、「犬を飼っていたら大変なことになる!」と、みんな犬を捨ててしまいました。おかげで捨て犬がたくさん増えて、本末転倒の事態に…。
そこで綱吉は、犬屋敷(いぬやしき)を設置。とくに東京の中野にあった犬屋敷は100ヘクタールもの広さで、たくさんのお金が使われたそうです。それだけ犬がいたのですから、あたりはとても臭かったことでしょう…。
綱吉は、儒教(じゅきょう)を重視し、湯島に聖堂(せいどう)を建てました。儒教の中でも、とくに身分の上下関係を重視する朱子学(しゅしがく)を重んじました。「士農工商」という身分制度を敷しいていた幕府には、都合がよかったのでしょう。
綱吉が死んだ後、生類憐みの令は、6代将軍徳川家宣(いえのぶ)、7代将軍徳川家継(いえつぐ)に仕えた新井白石(あらいはくせき)によってすぐに廃止されました。
新井白石は銀の流出を防ぐために、長崎貿易を制限します。貿易で銀がどんどん流出してしまうので、このままではマズイと思ったのでしょう。
白石の政治を「正徳の治(しょうとくのち)」と呼びます。彼は朱子学の立場から「読史余論(とくしよろん)」という本を出しています。中学入試にはまず出ない細かい知識だと思いますが、余裕があったら覚えてくださいね。
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