契約時、適当に読み飛ばした「一言一句」が命取りに
以前の記事『恐ろしい…「実は、ハンコをついたら最後」日本の契約書の中身』で「契約書は一字一句精査してほしい」と言いました(関連記事参照)。なぜかというと、契約書の文言は一字一句おろそかにできないからです。
契約文の文言の解釈をめぐって、契約者双方の見解が対立すると、最後は文字通り「一字一句」の解釈をめぐる論争になります。誇張ではありません。契約の内容をめぐって対立が生じると、かなり高い確率で裁判になります。裁判官の前で一字一句の解釈をめぐる論争が展開されます。
特に注意しなくてはならないのは、契約書の文面を契約相手が用意してきた場合です。賃貸住宅を借りるとき、既製の契約書を不動産仲介業者が用意することはごく普通のことです。しかし、契約相手が用意した契約書の文面は、そちらに有利な内容になっているものと仮定しておいた方が安全です。
「契約相手を騙そうとしている」とか「善悪」の判断に帰するのはやめておきましょう。契約書を起草した側は、自分に有利な内容を書くのが「人間の性」である。それぐらいに考えておいた方がよいのです。
敷金返還の問題でも、そういうふうに「貸主」の懐ができるだけ痛まないような契約内容にしておかないと、仲介業者は物件を探してくることが難しくなるという動機があります。
20年前の契約で裁判沙汰に…「契約書」の争点は?
そうした「契約書は一字一句おろそかにできない」という例として、あるミュージシャンたちと大手レコード会社の間で争われた民事裁判のケースを示します。
「THE BOOM」というバンドをご存知でしょうか。1980年代後半のバンドブームから出てきた四人組のロックバンドでした。リーダーの宮沢和史さん(1966年生まれ)らの才能に支えられ、1989年のデビューから2014年の解散までの間に14枚のアルバムを残しました。単なるロックの枠にとどまることなく、沖縄音楽や民謡、歌謡曲からラテン音楽まで吸収し、自分の音楽として発表してきたすぐれた音楽家です。1993年に出した「島唄」は沖縄音楽をベースにしていました。宮沢さんは山梨県甲府市の出身で沖縄の出身ではないのですが、今では、本家沖縄の歌や民謡より沖縄音楽として知られているかもしれません。
訴状や判決文など、裁判書類に沿って裁判の内容を簡単に説明するとこうです。2000年から2010年ごろにかけて、音楽を消費者に届けるメディアは、アップル社の「iTunes」を中心にしたインターネットによる音楽配信が主流になり、それまでの中心だったCDは退潮しつつありました。
そんな中、THE BOOMの初期のCD作品は、プレス(生産)が終了したいわゆる「廃盤」状態になっていました。一方、初期の楽曲を購入したいと希望するファンも多かったのです。
ファンの希望を受けてTHE BOOM側はiTunesで初期の楽曲を配信したいと考えるようになりました。CDを全国に流通させるだけの量を製造するには、プレス費用、配送費、倉庫代などお金がかかります。しかしiTunesならはるかに安く済む。アップロードの手続きも、レコード会社に頼る必要はなく、個人でできます。ミュージシャンの側にすれば、自然な願いでしょう。
しかし、THE BOOMのデビュー期の音源を出したソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)社は、首を縦に振らず、一致点が見いだせなかった(iTunesに対抗して自社の音楽配信ポータルサイトでインターネット上の音楽流通の主導権を取ろうと狙っていた同社にはまた別の事情があるのですが、ここでは説明を省略します。興味のある方は拙著『「Jポップ」は死んだ』〈扶桑社新書〉をご一読ください)。
バンド側は「インターネットで自分たちが書いた曲を配信する権利が自分たちにあることを確認したい」と求めて、SMEを東京地裁に提訴しました(厳密に言うと、裁判での原告はTHE BOOMのメンバー本人ではなく、所属していた事務所)。裁判で中心的な論点になったのは、THE BOOMが1989年にソニーからデビューしたときに同社との間で結んだ契約書の文面が何を意味するか、という解釈論争でした。