「例外を許さない表現」が頻出する契約書には要注意
前回の記事『大手レコード会社と有名バンドの事例でわかる「契約書」の凄さ』(関連記事参照)では、「契約書は一字一句おろそかにできない」ということを示す事例として、大手レコード会社と有名バンドの間で起きた民事裁判を解説しました。
その裁判を取材して、私が感じた内容はこうです。
①専門家でもない若者に、「複雑な権利」の完全理解を求める手厳しさ
THE BOOMがソニーのオーディションに合格し「メジャーデビュー」を決めたとき、メンバーたちは20歳前後でした。まだ社会経験が浅い、そうした年代の若者に、この複雑な権利関係を取り決める契約書の内容を完全に理解せよというのは、かなり酷な要求です。まして、ソニーという世界的なレコード会社からCDを出せるというだけで、ネットが普及していなかった当時の若者には夢のような話です。
しかし、裁判官はそうした事情を一切考慮しません。「君たち、この契約内容にハンコついたのでしょう? じゃあ、内容はすべて承諾しているということです」と言外に言っています。
現実をよく見てください。20歳すぎの時にハンコをついた契約書が、20年後も自分を束縛するのです。では、20歳代のミュージシャンがメジャーデビューする契約を結ぶときに、著作権について万全の知識を持っていなければならないのでしょうか。私はそれは現実的ではないと思います。ですから、自衛のためには、ハンコをつくまでに弁護士(それも著作権など知的財産に詳しい弁護士)に契約書の文面を見せて、アドバイスを求めてください。そう勧めるのです。
特に、この契約のように「例外を許さない表現」が頻出する契約書には要注意です。話し合いが行き詰まり、裁判になったときに、裁判所ではこうした「契約書の一字一句を精査し、意味を検討する」という「字句論争」になるのです。
社会常識を逸脱した判決が下る…恐怖の字句「一切の」
②契約当時は「存在しなかった権利」を、「後付け」で要求する強引さ
THE BOOMとソニーが契約を交わした1988年当時、インターネットは「普及」どころか概念を知る人すら少数派でした。私が勤務していた朝日新聞社を思い出してみても、88年といえばようやく「ワープロ」が入ってきた程度。職場で、ワープロから電話回線で原稿を本社に送るという試みをしていた記者は私一人でした。原稿は手書きまたはワープロのプリントアウトをファクスで送る作業が普通でした。当時「パソコン通信」は存在していましたが、それは通信技術に詳しい専門家たちが使うものでした。それもインターネットのように広く公共に開かれたネットワークではなく、会員になった人だけが使えるクローズドの通信網でした。
また、当時普及していた電話回線の通信速度は一秒54キロビットとかそんなレベルで、ワープロで打った文字をやりとりするのがやっとでした。現在、私が自宅に引いている光ファイバーは一秒1ギガビット。約2万倍です。比較にならない。動画や音楽をストレスなく公衆の間で送信し、商業として成立させるには、これぐらい大容量の通信回線が普及していることが前提条件なのです。
さらに、音楽をストレスなく送るためには、膨大なデータ量の音楽ファイルを小さく折りたたんで送る「圧縮」という技術の発展が不可欠でした。これも1988年当時は、一般人にはとても予想できなかったことです。
そもそも「配信可能化権」という概念を著作権法が記載し、施行したのは1998年です。THE BOOMの契約の10年後です。契約当時は存在しなかった権利を、契約時に予想することはできません。
ですから、私はこの判決は無理があると考えています。しかし、裁判官は「一切の」という字句に、存在しなかった権利も含まれる、と強引に押し切ってしまうのです。
同時期に、福岡県出身のロックバンド「HEAT WAVE」がやはり同趣旨の訴訟をソニーに対して起こしています。こちらは山口洋さん(1963年生まれ)というソングライターを中心にしたバンドで、1990年にソニーからデビューし、1999年までメジャーで活躍していました。現在も活動を続けています。
こちらの訴訟に判決が出たのは、THE BOOM訴訟の3ヵ月後、2007年4月でした。結果は同じ。ソニー側の勝訴で、ミュージシャン側には配信可能化権はない、という判決でした。この裁判でも、契約書の内容はほぼ同じ。判決の論拠も同じでした。
それどころか裁判所は「パソコン通信があったのだから、iTunesのような音楽配信も予想できたはずだ」とさらに社会常識を逸脱した判断をしています。