契約書は通常、難解な日本語で長々とつづられているため、しっかりと目を通してから捺印・署名をする人はそう多くありません。しかし、世間には契約書を一言一句読まずに成立させた結果、大きな損失を被るケースが頻発していることをご存じでしょうか。筆者の2009年時点の取材内容に基づき、契約の恐ろしさを解説します。※本連載は、烏賀陽弘道氏の著書『敷金・職質・保証人―知らないあなたがはめられる 自衛のための「法律リテラシ―」を備えよ』(ワニブックス)より一部を抜粋・再編集したものです。

 

契約文ですからややこしい文面であることは承知で、私が言う「一字一句おろそかにできない」という話を理解していただくために、論点になった部分を引用します。【 】内の部分に注目してください(【 】は筆者追加)。

 

「甲(ミュージシャン側)は、本契約に基づく原盤に関し甲の有する【一切】の権利(甲・丙の著作隣接権又は甲の著作権を含む)を、【何らの制限なく独占的に】乙(レコード会社側)に譲渡する」

 

「この権利には、【一切の】複製・頒布(貸与・放送・有線放送・上映を含む。以下同じ)権及び二次使用料等(省略)の徴収権を包括する」

 

「乙は、【如何なる】国に於いても、【随時】、【本契約の終了後も引き続いて自由に】、且つ【独占的に】当該原盤を利用してレコード及びビデオを複製し、これらに適宜のレーベルを付して頒布することができる」

 

「前号のレコード及びビデオの種類、数量、価格、発売の時期・方法【その他一切の】事項について、乙は【自由な判断により】決定することが出来る」

 

「この権利の【一部又は全部を】、乙は【自由な判断により】第三者に譲渡することが出来る」

 

ごく雑駁にまとめてしまうと、この契約書は「THE BOOMの書いた曲をレコードに大量にプレスしたり、販売店で売ったり、ラジオやテレビで放送したり、あらゆる権利は、全部ソニー側にある」と合意する内容です。

 

「〜の権利をソニー側に譲渡する」というややこしい文章になっているのは「もともと、自作の楽曲を録音したり、CDやネットで同じ内容のものをつくって(『複製』といいます)聞けるようにする(『頒布』)権利は、全部ミュージシャン側にある。しかし、この契約によって、その権利をレコード会社に譲る」という形を取るからです。

 

他に書いてあることをごく雑駁に説明しましょう。

 

「ソニー以外のレコード会社と二股をかけてはいけない」=「【独占的に】」

 

「どんな曲を出し、どんな曲を出さないか、何枚プレスするか、いつ発売するか、すべての決定権はソニー側にある」(つまり、曲をボツにする決定権もソニー側にある)

 

「この契約内容は世界中で有効である」(他国でレコードを出す場合でもソニー以外と契約してはいけない)=「【如何なる】国に於いても」

 

「契約期間が終わっても、ソニー側はいつでも好きな時にレコードやビデオを出すことができる」(契約期間が終わっても内容はそのまま有効)=「【随時】、【本契約の終了後も引き続いて自由に】」

 

「ソニー側はミュージシャン側からもらった権利を他の誰かにあげたり売ったりしてもかまわない」=「第三者に譲渡することが出来る」

 

(注:ここで引用している契約書の文面は、法廷に提出された書面からの引用です)

 

などなど「レコード会社側の自由裁量をすべて認める」という文言が続きます。これはミュージシャン側が、自分たちの書いた曲をリスナーに届ける過程について、レコード会社に「白紙委任」を与えるに等しい内容です。

 

ソニーだけがミュージシャンに苛烈な内容を求めているとは言えません。レコード会社がミュージシャンと契約を結ぶときの文面は基本的に同趣旨のことが書かれています。著作権者を保護する『著作権法』が細かく権利を規定しているためです。また、実際にレコードを出すときには、どんな曲を入れるか、何枚プレスしていつ発売するのか、などはレコード会社が独断的に決めるわけではなく、ミュージシャン側と相談しながら決めることも留保を付けておきます。

「一切の」「独占的に」…例外を認めない文言に要注意

文面のあちこちに、レコード会社の権利に「一切の」「何らの制限なく」「独占的に」「如何なる国に於いても」「随時」「契約の終了後も引き続いて自由に」などなど「例外を認めない」を意味する言葉がちりばめられていることにお気づきでしょうか。

 

裁判では、このレコード会社が持つ「一切の権利」に「ミュージシャン側が、自分で作った曲を、インターネット上にアップロードして、広くリスナーに届ける権利」が含まれるのかどうか、が争点になりました。

 

ミュージシャン側は「含まれない」と主張しました。「自分たちの書いた曲を自分でネットに上げてリスナーに届ける権利はこちら側にある」と言ったのです。つまり「ネットで音楽を売る権利は契約書に含まれていない。自分たちに権利があり、レコード会社にはない」と裁判で主張したのです。対するレコード会社側は「含まれる」と主張しました。「一切の」という表現の中にインターネットで音楽を送信する権利も含まれる。つまりレコード会社側にある。だから、ミュージシャン側が勝手に送信可能にすることは契約違反である。そう言ったのです。つまり、iTunesでTHE BOOMの楽曲を売る権利はレコード会社側にあって、自曲だからと言ってミュージシャン側が行うことはできない。

 

ソニー側は「ネットで配信する権利はこちらにあることを確認してほしい」と求めて、ミュージシャン側に反訴を起こしました(こうしたインターネットで楽曲をリスナーが買うことができるよう、サーバーにアップロードして配信できるようにする権利のことを「配信可能化権」と言います)。

 

判決が出たのは2007年1月です。裁判所は、レコード会社側(ソニー)の言い分を認めました。THE BOOM側の敗訴です。iTunesを含め、自分の曲をアップロードしてファンが聞けるようにする権利は、ミュージシャン側にはない。レコード会社にある。これが裁判所の判断でした。

 

 

※本記事は、2009年にTHE BOOMやHEATWAVEの所属する音楽事務所の社長である佐藤剛氏に面談して取材した内容に依拠しています。裁判後、係争になったTHE BOOMやHEATWAVEの楽曲は、現在はソニーの承認のもと、iTunesストア=AppleMusicで買うことができるようになりました。

 

 

 

 

烏賀陽 弘道
報道記者・写真家

 

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