中国政治史でも特殊な位置付けの「北戴河会議」
渤海湾に面した避暑地である河北省秦皇島市の北戴河は、毎年夏に中国共産党・政府現職幹部と長老が非公開の会議を開く場所として知られている。会議をめぐっては、中国では決して一般に公開されることのない外国映画を鑑賞する時間が設けられているといった、指導部の特権にまつわる話もささやかれてきた。
「毛沢東は映画観賞の時間を最も楽しみにし、映画が終わるまで決して席を離れることはなかった」(人民解放軍建軍の父とされる朱徳の孫で作曲家だった朱援朝証言)、「2013年は仏映画、Dans la Maisonを含め4編の映画が用意された」など、具体的な話も伝えられている。北戴河会議が別名「神仙会」と呼ばれるゆえんだ。中国本土での報道は皆無のため、反中、親中問わず、本土外中国語媒体を通して北戴河会議を探る。
北戴河会議は中国政治史の中で特殊な位置付けとされており、多くの重大事件に関係してきた。古くは1958年、毛沢東が「第2次台湾海峡危機」の発端となった金門砲戦を実質的に決定し、「直接対蒋、間接対美(直接的に蒋介石、間接的に米国に対峙)」のいわゆる「8文字方針」を提起したことが有名だ。
最近では2019年、景気減速、対米貿易問題、逃亡犯条例に端を発した香港の混乱が「3大麻煩(マーファン)」、煩わしい問題として議論され、その対応をめぐって、強硬路線の習氏およびその側近と穏健路線の胡錦濤前国家主席らとの対立があったとの憶測が流れた(『事情通の財務省OBが解説!緊張続く香港…中国政府の対応は?』参照)。
北戴河暑期办公(バンゴン)制度(夏に業務遂行の場所を北戴河に移し、実質的に同区を「夏都」とする制度)は1954年に開始され、文革が始まった66年からしばらく中断したが、84年趙紫陽首相(当時)時に再開された。その後、胡錦濤政権の10年間再び中断したが、習政権になって復活した。ただ、制度復活は必ずしも習氏自身の意図によるものではなかったと言われており、実際、近年同制度への言及はあまりなく、むしろ習政権は北戴河の政治的色彩を薄めようとしている感がある。長老も集まる北戴河会議は办公制度が中断された期間も含め、ほぼ毎年開かれてきたようだ。
同会議は細かい実務的な話をする「務実会」ではなく、大局的な意見交換を行う「務虚会」の性格を強めているが、党指導部にとっては、実は「務実」よりむしろ「務虚」のほうが重要で、外から中国を観察する者にとって、引き続き中国指導部の動向を見る重要な「晴雨表」、バロメーターになっている。
会議が始まったかどうかの判断材料は通常、①現役幹部が「隠身」状態になったか、②北戴河周辺の警備が厳しくなったか、③意見聴取を行う各分野専門家の動向の3つである。2020年については、現役幹部の8月初旬の日程がそろって空欄になり、また8月初旬に向け北戴河周辺の警備が厳しくなった(すでに6月、事前視察のため、河北省党委書記が北戴河入りしていたとの情報もある)。
他方、例年には見られないいくつかの「異変」も観察された。例年この期間に多い新華社の「北戴河発」報道がなく、指導部が専門家に会った形跡がないこと、8月8日、栗戦書常務委員が北京に現れ全人代常務委議長を務めたこと(香港立法会選挙の1年延期を討議)、例年は会議に参加する北京や上海の市委書記ら地方幹部がみなそれぞれの地方に留まっていたことだ。
専門家への意見聴取は新型コロナの影響で中止または縮小された可能性があり、そもそも習政権下では外部の専門家を多く招いて有益な考えを吸収する「集思広益」と呼ばれる雰囲気が消え、党の厳しい統制で会議が閉鎖的になったと言われている。
また、会議期間中に現役幹部が北戴河を離れた前例もある。例えば、14年に李克強首相が雲南の地震被災地に赴き、17年に俞正声常務委員(当時)が式典参加のため内蒙古を訪問したことなどだ。
本年は、参加者を絞り会議をより「低調」「冷清」、ローキーで秘密裡にしたのかもしれない。もとより公式発表がまったくないので確たることは言えないが、本年は8月初に始まり、指導部が公に姿を現し始めた8月18日頃までには終了した可能性が高いと見られている。
2020年、例年以上に会議の開催が注目された理由
本年の会議に関しては、以下のように、指導部内の緊張が高まっているとの視点から、そもそも会議が開催されるのか、例年以上に注目された。
①香港国家安全維持法制定を発端に(『香港国家安全維持法、なぜか報道されない「歓迎の声」も多い』『「国安法」で国際金融センター・香港はどうなる?』参照)、米国を初め、英、豪など先進諸国との関係がドミノ的に悪化し、また新型コロナで打撃を受けた国内経済の回復、南部の洪水と北部の干ばつへの対応などで「政策疲労」に陥っている習氏は、新型コロナを口実に、長老や反習グループ(団派)から突き上げを受けるおそれのある会議を中止したがっている。
②他方、胡錦濤、温家宝の両氏を中心とする「開明派」の長老が一致して、習政権の政策を質す機会として開催を強く希望した。親族を海外に移住させ、海外に資産を蓄積している長老が多く(香港地元誌などは、2007〜12年の第17届党中央委員204名のうち、直系親族を欧米に移住させている者187名、党エリート層の海外保有資産は10兆ドルに上ると試算)、彼らは対外関係を悪化させ、海外からの制裁を招いている習氏を快く思っていない。真偽不明だが、会議直前、長老側近が米政府関係者と密会し、対米関係正常化、さらには習氏を政治舞台から降ろす「習降ろし」の算段を議論したとのうわさまで流れた。
③党エリートの子弟「紅二代」で著名不動産企業家の任志強氏が4月、習氏の新型コロナ対策を批判し拘束・党籍はく奪処分を受けた。さらに6月、同じく「紅二代」の蔡霞前中央党校教授が「(習氏は)黒幇老大(マフィアのボス)で党は政治僵尸(ジアンシ、ゾンビの意)。指導者を替えることが次のステップになる」などと発言した録音がネット上に流出するなど、党内の暗闘を窺わせる事件が相次いで発生。なおその後、任氏は起訴され、9月、北京市第二中級人民法院(地裁)が汚職、収賄、公金横領、国有企業職員としての職権乱用の4つの罪で懲役18年、罰金420万元を判決。法院によると、本人は罪を認め上訴せず(親族も拘束されたためとの憶測あり)、刑が確定。一部に、これは「経済罪を理由にした政治的迫害」だとする声が上がっている。また、蔡氏は現在米国に滞在中。8月、党籍はく奪と退職者待遇取り消し処分を受け、以降、米国から体制批判を発信し続けている。
④指導部内の緊張を示す象徴的な事件が会議直前に発生。第1は7月17日、17年に香港で失踪した富豪、肖建華氏が創設した投資集団「明天集団」系列の「明天系」と呼ばれる9金融機関を当局が接収管理(実質国有化)。これに対し明天系が「厳正声明」と題する反論を公開。声明は当局によって直ちに削除されたが、声明の背後には江沢民派の中心人物とされる曽慶紅氏の影が見えるとされた。曽氏は最近「倒習」を画策したが失敗したとのうわさがあり、これに対し、習氏が曽氏親族とその「白手套(自分の手を汚さないための白手袋→手先)」へ反撃に出たと見られている。第2は7月31日の中国衛星システム北斗3号の完成式典(習主席、李克強首相、韓正常務委員出席、劉鶴国務院副総理が司会)。習氏側近の劉氏は習氏の名前を読み上げた後5秒ほど間を置き、その間参加者が拍手。次いで李氏の名前を呼んだが、すぐに韓氏の名前を呼び参加者に拍手をする時間を与えず、立ち上がりかけた李氏は気まずい様子を見せた。
北戴河会議後、10月開催予定の第5回党中央委員会全体会議(5中全会)に向けても、党内に路線対立、緊張がくすぶっていることを示す事件が発生している。
9月、突然インターネット上に、習氏の側近と言われる王沪寧常務委員(中共宣伝部、プロパガンダ所掌、『習近平と李克強…「成長率」への温度差に見る党指導部の裏事情』参照)が復旦大学教授時代の約30年前に発表した、文革が中国人民に大きな災難をもたらしたとする論文が流れたことだ。
同論文は「政治体制の観点から文革を反省し、こうした災難を二度と起こさないようにする必要がある」とし、「当時、健全な民主制度がなく、党のトップが絶対的な権力を有していた。そうした状況下で、党トップが誤って文革を起こしても、党内の誰にもそれを阻止する力はなかった」と主張している。
こうした論文がネット上から直ちに削除されていないことは、明らかにプロパガンダを所掌する王氏自身が意図的に流したことを意味しており、王氏が「左に急旋回している習氏に対する反発が高まっている党内の空気を察知し、万が一の場合に備えて、習氏に全責任を負わせることで、自らの『後路』、逃げ道を用意した」「習氏に対する『暗算』、ひそかに陥れよう企んだもの」とする見方もある。
習氏と李氏が繰り広げる「面子の潰し合い」
特に注目されたのは、北戴河会議に向けての習氏と李氏の関係だ(『習近平と李克強…「成長率」への温度差に見る党指導部の裏事情』参照)。経済対策について、本年5月頃から、習氏が表向き外需と内需の「双循環」と言いつつ、内需と巨大国内市場を基礎にする「国内大循環」論を主張しているのに対し、李氏は「6穏(安定)」、つまり6つの安定を図る政策の下で貿易や対外投資を重視する姿勢を示している。
新型コロナの影響で失業問題が深刻化する中、李氏が「地摊(ディタン:露店)経済」を雇用確保の点から推奨すると、王沪寧常務委員が直ちにメディアを操作し「地摊経済」を批判(これまで中国当局は無許可の露店販売を厳しく取り締まってきた)。その後、李氏率いる国務院(内閣に相当)は「地摊経済」という用語こそ使わないものの、「個人経営を促進。条件を満たす場合は営業認可不要」とする文書を発出し、本件をめぐる習李の確執が続いていると言われる。
さらに北戴河会議後も、党の理論誌「求是」は習氏がかつて行った「公有制主体、国有経済主導は揺るぎない」とする講話を掲載する一方、李氏は自ら率いる国務院常務委で「実体経済を支える金融政策を実施すること、零細企業を中心に市場主体の困難を緩和し、その発展を助ける政策を実行する」と発言。
また9月、李氏が国務院常務委で民営企業発展を重視する姿勢を示す一方、党中央は逆に「民営企業は党の話をよく聞き、党とともに歩むこと」と、民営企業への統制強化を示す文書を発出。国有企業改革に対する基本的考え方の違いが見える。なお、李氏の発言は国務院ウェブサイトには掲載されたが、党関連サイトにはまったく見当たらない。このように、李氏の言動は習氏と「南轅北轍(ナンユエンベイジャー:車の舵は南、わだちは北→ちぐはぐ)」と言われるが、上述のように、習氏を快く思わない長老がこれを黙認している。
全面小康(ゆとりある)社会建設の2020年完了を一貫して主張する習氏に対し、李氏が5月全人代で「中国にはまだ月収千元に満たない者が6億人いる」と発言する一方、李氏が新型コロナ対策領導小組(小チーム)の組長であるにもかかわらず、習氏が常に新型コロナ対策は「自ら(親自:チンズ)陣頭指揮している」と公言するなど、両氏が「打脸(ダーリエン)」、面子を潰し合っている。
海外華字各誌は習氏が国家主席就任直後多用した「中国夢」になぞらえ、「習做(ズオ)夢、李拆(チャイ)夢」、習氏が夢を見て李氏がそれを壊すと揶揄(やゆ)した風刺画を掲載した。ただ、李氏自身に習氏に挑戦する意図あるいは力はなく、李氏の優先事項は首相在任中、および引退後の自らの地位・待遇を守ることだとする冷めた見方もある。
秘密会議の「主要テーマ」は容易に推測できるが…
新型コロナは本当に抑え込めたのか、経済、特に失業は本当のところどの程度深刻なのか(『コロナ禍、中国当局が舵を切った「復工復産」の進捗と問題』参照)、香港問題で国際社会と「頂牛」、角を突き合わせることの影響、他に解決策はないのか、また、洪水への対応がなおざりで人々の不満が高まっているのではないか、そのリスク管理はどうするのか、対米関係をどう正常軌道に戻していくのかといった点が主要テーマになったことは容易に推測される。
一部に「三軟三硬」、すなわち、対米、対欧、対外行動は柔軟に、国内、宣教(プロパガンダ)、香港については強硬との方針になり(つまり、香港問題の位置付けは難しいが、対外的には柔軟路線、国内的には強硬路線)、習氏はその「戦狼(強硬)外交」を見直さざるをえなくなったとの情報もある。公式情報が全くない中、何れも憶測の域を出ない。その中で、以下の情報が注目される。
①習氏は2035年、2050年までの発展目標を定めた「新時代交通強国鉄路(鉄道)先行規画(計画)綱要」を、元々10月に予定されている5中全会で公表するつもりだったが、北戴河会議が開催中だったと思われる8月13日、新華社が計画を報道。これは、2018年に憲法を改正して国家主席の2期10年の任期制限撤廃を果たした習氏が(『習近平主席の任期制限撤廃…中国内外の反応は?』参照)、北戴河会議で自身の長期政権について長老の同意を取り付けたことを示そうとしたもの。ただ、新華社報道は習氏の名前に言及せず、「新時代」にも習氏の名前を冠して「習新時代」とはしなかった。また「国家鉄路有限公司発表」としたことから、長老は計画発表には賛成したが、長期政権には同意しなかったと推測される。
②習氏とその側近は、会議を習氏の「定于一尊」、最高指導者の絶対権力を強める機会と捉える一方、習氏に対峙する長老らは「接班人」、後継者問題への関心が強かった。まずは集団指導体制への復帰、次いで22年開催予定の第20回党大会で、慣例に従い、習氏が総書記を退任(その後、翌年全人代で国家主席を退任)するシナリオ書きに注力したのではないか。
30数年前、四川のある民間識者が鄧小平後の中国を「江胡習五」の4文字で示したが、その後、江沢民、胡錦濤の両氏が相次いで国家主席を務め、さらに習氏が第5代最高指導者となったことから、多くの人がその先見の明に驚いたという。北戴河会議前、対米関係が悪化する中、「五」は実は「武(→戦争)」、いや習氏が長期政権を狙っていることから「無(→後継者なし)」ではないかとの声も出ていたが(「五」「武」「無」の中国語発音は類似。書かれたものが残っていないため、実際はどういう意味で言われたのか、以前から種々憶測がある)、北戴河会議を経て5中全会が迫る中、政治、経済、外交面で習政権に何らかの変化があるのか注目されるところだ。
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