2020年6月30日、「香港国家安全維持法」が可決・施行された。欧米諸国や日本では、香港の一国両制(二制度)を破壊するとした批判的な報道が優勢である一方、香港内外で歓迎の声もあり、この問題には冷静で客観的な判断が求められる。今回は、「香港国家安全維持法」の法律面についての諸外国の懸念点のほか、肯定派による評価等について考察する(経済面への影響については次回)。本稿は筆者の個人的見解である。

香港内外から、社会を安定させると歓迎の声も

中国全人代常務委員会は2020年6月17日に香港国家安全(国安)維持法(国安法)草案を公表してから間を置かず、30日にこれを可決・施行した。米国、英国、EU等欧米諸国、それにならって日本でも、香港の「一国両制」を破壊するものとの批判的報道が大半だ。

 

ただこれら報道は一面的で、実は、香港社会を安定化させるとして法制定を歓迎する声も、香港経済界を始め、香港内外で多くある。

 

ロイター通信が法制定前後に地元の香港民意研究所に委託して行った調査では、「法に強く反対」は49%に止まり、また、昨年来続いてきた逃亡犯条例改正の動きに端を発した運動への支持率も、3月の58%から51%へと低下している。これらを総合的に検討し、問題を冷静かつ客観的に捉えていく作業が不可欠だ。

欧米諸国、一部香港内から表明された「5つの懸念点」

欧米諸国や一部香港内で表明されている懸念は(そもそもこうした法自体許容できないとの主張を別にすると)、主として次の5点にまとめられる。

 

①「特定情形」「極少数」に対する管轄権行使

 

草案公表〜可決の過程で、中国当局は、中央政府が香港特別行政区(SAR)に国安維持公署を設置するが、公署は「特定の情勢(特定情形)下」で、「極少数」の国安事案のみに直接管轄権を行使すると説明。これに対し、「特定情形」とは何か、行使される「管轄権」の具体的範囲は何かが明確でないことへの懸念が示された。

 

国安法は、SARは法が規定する事案に管轄権を行使すると規定した上で、例外として、(i)外国勢力が介入する複雑な事案でSARの管轄が困難、(ii)SARが効果的に法を執行できない、(iii)国安が重大な現実の脅威に晒されている、の3ケースでは、公署が直接管轄し、最高人民検察院が検察権を行使する検察機関を指定、最高人民法院が指定する法院で裁かれ、本土の刑事訴訟法等が適用されると規定。

 

常務委関係者によると、例えば、事案がSARの長またはその他の幹部に及ぶ、新彊ウイグル自治区やチベットの独立問題に関わるといった情況が含まれるということだが、法の規定はなお曖昧で、中央の国安への恣意的な考慮が優先され、「特定情形」が広く解釈されるおそれがあるとの懸念が残る。「極少数」としても、法の規定では、いったん直接管轄となると、取り調べから判決に至る全過程が中央によって支配され、SARは全く関与できない。これに対し、直接管轄権が行使される事態に至る過程で、SARの長が主体的役割を果たすことになるとの指摘がある。

 

②新設される国安維持公署と国安維持委員会

 

国安法は、中央が設立する公署は「SARの国安情勢について情報収集・分析し、国安にかかる重要政策を建議。SARの国安の職責履行を監督・指導し、協調・支持する」などとし、また公署は職務遂行にあたってSARの管轄を受けないと規定。

 

また、SARが設立する委員会は中央の監督を受け、中央に対し責任を有する(門責)とし、委員会に出席し意見を述べる顧問を中央が任命すると規定。つまり、公署は香港の法律を超越して香港に直接関与する組織であること、また顧問が中央政府を代弁する形で事案に意見を述べるとすれば、事実上、SARはそれにノーとは言えず、香港における司法の独立にも影響するとの懸念である。

 

これに対し、顧問は委員会に直接権利行使するわけではなく投票権も持たない、国安法は、委員会が必ず顧問の意見に従う必要があるとは規定していないとの指摘がある。

 

③SARの長の利益相反

 

SARが事案を管轄する場合、SARの長が担当裁判官を指定するとされていることは、明らかに行政の司法への介入を示すとの指摘がある。また、SARの長が国安維持委員会のトップを務めるとされていることも、将来的に多くの利益相反を招くと懸念されている。

 

これまでSARでは、各レベル法院の主席裁判官が事案の担当裁判官を決定し、一部、任命がSARの長に委嘱されている場合も、長は独立した司法委員会の建議に従って任命することが求められてきた。国安法は「SARの長は指定する前に、国安維持委員会と最高法院主席裁判官の意見を求めることができる」としているのみだ。

 

常務委関係者は外国籍裁判官の任命を排除しないとしているが、同時に、通常どこの国でも外国籍裁判官が国安事案を担当することはないとも発言。事実上、敏感な国安事案については、外国籍裁判官を排除することをねらった措置との見方がある。他方、多くの国家機密が関係する国安事案を担当する裁判官をSARの長が任命することは、至極妥当な事とする香港の法律専門家の声もある。

 

④法全体の曖昧さ

 

国安法は国安を脅かす行為として、国家分裂、政権転覆、テロ、外国勢力と結託(勾結)して国安に危害を及ぼす、の4つを規定しているが、そもそも「国安」の定義がない。また例えば、犯罪行為の定義に関し、「その他の非合法手段」や、「武力行使」のみならず「武力行使の威嚇」も含まれていること(後述)への懸念、「勾結」は厳密な法律用語とは言えず、この規定を基に、外国政府・組織で働く香港人が恣意的に拘束される恐れがあるとの声がある。

 

総じて、事前予想より広範で、かつ曖昧さは残った規定との評価が多い。罰則規定について、重大犯罪では最高で終身刑、香港の民主派等が実は最も懸念していた「法が過去に遡及して適用されるか」については、「法施行以降の行為に適用」と明記された。

 

前者については、関係者が事前に漏らしていた「最高で10年」から、法の実効性を担保する必要があるとの強硬論が通る一方、過去1年間に起こった暴力行為に鑑み、遡及規定を設けるべきとの意見は反映されず。上記、SAR の長が指定する裁判官の具体的指定基準も明らかでないままだ。法には多くの曖昧さが残り、また、中央にとっても本件が敏感かつ複雑な問題で、関係者間でも様々な意見があったことが窺える。

 

⑤外国人、域外への適用

 

(草案にはなかった点だが、おそらく昨年来の香港での混乱の態様を踏まえ)法の適用が香港居民のみならず、非香港居民のSAR外での行為にも及ぶとされた点は世界全体にとって脅威で、国際法の常識や本土の法をも超える強い規定。

 

(中国自身が常々反対している)当該国の法秩序に対する内政介入にもなり得る。外国人は常に、ある国が中国あるいは香港と犯罪人引渡条約を締結しているかをチェックする必要があることとなった。この結果、豪、カナダ、英、ニュージーランド、独と、香港との犯罪人引渡条約の停止を発表する国が相次いでいる。仏も、2017年に結んだ条約の批准を差し止めた。

 

出所:2019年11月、香港の政治漫画家尊子作
出所:香港の政治漫画家・尊子作(2019年11月)

「香港国家安全維持法」肯定派の評価

昨年来の香港での混乱から、国安法制定は「当然」、あるいは「理解できる」「必要悪」との意見も少なからずある。さらに、全人代での決定からその後の常務委草案公表・可決に至る過程を検証し(多くは上記懸念を裏返した評価と言えるが)、以下のような点で、党中央・政府に内外の反対、懸念を払しょくしようとする意図が見られるとの指摘がある。

 

また国安法を歓迎する立場からすると、法は「一国両制」を廃止するものではなく、むしろその欠陥を是正して、「一国両制」を安定的基盤の下でより前向きに発展させようとするものということになる。

 

①法の対象となる4つの行為

 

全人代決定では「いかなる(任何)国家分裂行為」「外国勢力が関与…」とされていたが、法では前者の「任何」を削除した上で、分裂行為として3つの具体例を列挙、後者については曖昧で広く解釈され得る「関与」を「結託(勾結)」とし、より狭い厳格な定義にしている。

 

②国安維持公署の直接管轄権

 

国安法55条の規定に基づき、常務委関係者は「特定情形下」「極少数」に限られると説明しており、SARが設立する国安維持委員会が香港国安情勢の分析・判断、政策立案、大半の事案の「責任主体」であることは明瞭。

 

③法治原則を堅持

 

法総則は、国安を脅かす犯罪を防止・制止し罰するにあたり、法治原則を堅持し、法が犯罪行為と規定していない場合は罰せられない旨明記。基本法や関連国際公約に依拠してSARの居民が享受している言論・新聞・出版・集会・デモ等の自由と権利を尊重・保護することも明記。また条文にはないが、ある常務委関係者は、歴史的に本土とSARの法体系が異なることに鑑み、両者の関連・互換性・補完性に配慮すると発言。

 

④SARの法律も遵守

 

国安法は国安維持公署が「厳格に法に準拠して職責を遂行。いかなる個人・組織の合法的権益も侵害しない」「本土の全国性法律のみならず、SARの法律も遵守」と明記。そして、SARの基本法は元来、人権や言論の自由を保障している(批判派は、SARの法律と国安法が矛盾する場合、国安法が優先されるとの規定があり、そうした事態になると、これらが保障されなくなると懸念)。罰則も「政治権利はく奪」「死刑」を設けず、本土の法と異なるものにしている。

「マカオ国安法」「2003年香港国安法案」との相異点

今回、中央政府が制定した香港国安法は、11年前にマカオ特別行政区が制定した国安法、および香港特別行政区が2003年、基本法23条に基づき制定しようとしたが、多くの反対から棚上げになった法案と比較して、幾つかの点でより厳しい内容になっている。香港地元紙南華早報の調査に基づくと、以下の相異がある。

 

【マカオ国安法との相異】

 

①香港国安法では一定の状況下では中央が直接事案を管轄するとされているが、マカオ国安法では、国防と外交以外、すべての案件はマカオ特別行政区が管轄。

 

②香港国安法では国安維持公署を中心にして本土に広範な権限が与えられているが、マカオ国安法では法の執行は原則、マカオ地元当局によって行われる。

 

③香港国安法は対象となる犯罪行為として。「武力または武力行使の威嚇をもって行う国家分裂・転覆」と規定しているのに対し、マカオ国安法は「暴力」または「重大な非合法的行為」の存在が要件になっている。

 

④最高刑は香港国安法の終身刑に対し、マカオ国安法は25年の禁固刑。

 

⑤対象となる犯罪行為として香港国安法は「テロ」を規定しているが、マカオ国安法にはない。また、香港国安法は外国人も対象に含めているが、マカオ国安法はマカオ居民のみを対象。

 

以上の相異について、①マカオは香港のような国際金融センターではなく、厄介な外国の介入といった事態が想定されない、②香港では「三権分立」の意識が強いが、マカオはむしろ三権が協調する体制が定着しており、司法にも本土で訓練を受けた人材が多い、③テロへの認識は近年高まったもの、またマカオ国安制定時は対米関係も現在と異なり友好的だったなどの要因が指摘されている。

 

【2003年香港国安法案との相異】

 

①2003年法案策定時には香港居民との広範なコンサルテーションが行われたが、今回は中央政府によって秘密裏に策定・制定された。

 

②2003年法案では、警察当局に司法の礼状なしで捜査や拘留できる権限を与える条項がコンサルテーションの過程で削除されたが、今回はこれが復活。

 

③2003年法案は犯罪行為を「転覆」「分裂」のみとし、両者について、コンサルテーションの過程で、「武力行使の威嚇」が削除されたが、今回はこの表現も含め、より広範かつ曖昧な規定になっている。

 

④2003年法案では、コンサルテーションの過程で外国企業などから強い圧力があり、対象を香港永久居民に限定していたが、今回は外国人も対象とされた。

 

⑤2003年法案では本土の裁判所が関与することはなかったが、今回は一定のケースでは本土裁判所が関与すると規定。

 

日本も含め海外では、総じて2003年法案より厳しく、本土の関与が強い内容になっている点を問題視する声が報道されているが、昨年来の香港情勢に鑑みると、「他に選択肢はなかった」との見方もある。

 

中国が国安法を撤回することはあり得ず、「香港は中国の一部」「国安維持はどこの国でも中央政府の責任で、多くの国が類似の法を制定している」とする中国の主張を全く否定することも難しい。

 

「国安維持」は決して、特定の政権や政党がその権力を維持することを意味するものではないが、その時の責任政府として、テロ・破壊行為はもちろん、人々の社会生活の脅威となる行為を抑えようとすることは当然で、昨年来の香港情勢混乱の中で、一部過激化した暴徒の破壊行為が香港の社会経済を機能麻痺寸前に陥れたことも事実だ(『事情通の財務省OBが解説!緊張続く香港…中国政府の対応は?』『香港情勢の行方…中国は「譲歩も介入もしない」可能性が高い』参照)。

 

国安維持公署の権限が実際にどの程度行使されるかは、SAR政府や香港居民自身が主体的にどう香港の安定を維持していけるかにかかっている面もある。他方、国際金融センターとしての香港が世界経済に貢献し続けていく上で、国安法に伴う各国の様々な懸念が払しょくされることが不可欠だ。

 

これまで中国共産党の合法的存在根拠だった経済成長が大きく減速する中で、香港を制御しようとする国安法制定は、党にとってその存在根拠を示すためにも必要なものと認識されたと考えられる。

 

大半の本土居民は香港の民主派を全く支持しておらず、国安法制定は当然のこととして本土内で大きな支持を得ている。米国等の制裁は(おそらくその意図に反して)、むしろ本土居民の愛国心を高め、党の基盤強化に繋がる可能性が高い。

 

単に法自体を否定するのではなく、法の具体的中味と実際の運用に着目し、中国が例えば上記の肯定派が評価するような点を本当に遵守しているか、他国への内政干渉になっていないか、法の曖昧な規定を恣意的、あるいは政治的に濫用していないかなどを厳格に監視していくことが生産的だ。

 

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