長期にわたり世界経済を牽引してきた中国に「コロナ禍」はどう影響するか。経済成長への執心を隠さない習近平国家主席と、減速を容認するかのような発言が注目を集めた李克強首相。「成長率」への温度差から、党指導部の内情を推察する。新型コロナウイルスが感染拡大し始めた1月から、直近5月の全国人民代表大会(全人代)に至る政策の動きをフォローしたリポート、最終回。本稿は2020年5月25日脱稿。筆者の個人的分析・見解である。

李首相の発言に習国家主席が見せた反応

2020年3月10日国務院常務会議で、議長の李克強首相は「雇用安定が確保される限り、成長率の多少の高い低いは大した問題ではない(没什么了不起)」と発言。成長率がどの程度減速するかを気にする指導部が多い中、大きな注目を集めた。

 

他方、習近平国家主席は第18回党大会で「20年までに全面小康(ゆとりある)社会建設を完了させる」とした「公約」との関係で成長率重視の傾向が強く(注)、指導部内の成長率に対する温度差が目立つ。

 

(注)胡錦濤政権下の第18回党大会(2012年)で「両個(2つの)翻一番」、つまりGDPと1人当たり平均収入を共に2010年比倍増する目標を設定、一般にこれが「全面小康社会建設完了」の条件と見られている。倍増目標実現には20年GDP5.6%、1人当たり平均収入は10%成長する必要がある(1人当たりGDPで代用計算)。強気見通しで知られる林毅夫国家発展研究中心名誉院長は20年成長率が5.6%になるためには下期15%成長する必要があり、財政金融政策の余地を考えると、中国経済にそれを実現する力はあるが、仮に目標実現が1年遅れても「完全に受け入れ可能な話」と発言(5月16日付新浪財経)。当局が有力エコノミストも動員して、倍増目標が実現できない場合に備え、予防線を張り始めた感がある。

 

4月後半以降、習氏が主導する党政治局会議等では、「小康」について、それまでの「決勝(勝負どころ)実現確保」→脱貧目標と合わせて「決戦決勝完了を確保」と、微妙に言いぶりを変化させているが、「小康」に強く固執する姿勢を示している(全人代報告では、これらの言いぶりがそのまま用いられた)。

 

全人代直後の6月初に発行された党理論誌「求是(2020年11期)」は、約1年前の19年4月に習氏が党中央財経委員会で行った講話の一部を掲載。

 

講話は、「我が国はすでに基本的には全面小康社会建設の目標を実現した」「20年までにGDPと1人当たり平均収入を10年比倍増するとの目標は、決してすべての地区のGDPや収入が倍増するということではない」「小康実現の判断にあたっては、定量的分析と定性的判断の関係をよく把握することが重要で、定量指標だけでなく、人々の実際の生活状況や獲得感を十分考慮することが必要」などとしたものだ。

 

このタイミングで党理論誌がこうした習氏の過去の講話をわざわざ掲載したことについて、中国ネット上では、李氏が全人代後の内外記者会見で、20年までに全面小康社会を建設するとは笑い話だと言わんばかりに、「月収入1000元の人々が6億人いる」「新型コロナの影響で、再び貧困に陥る者が出てくる可能性がある」などと述べたことに、習氏が反応したものと受け止められている。

 

その他、6月初には国務院発展研究中心の有力研究雑誌である「中国発展観察(2020年9-10期)が、「小康が全面か全面でないかは、生態環境面の質が鍵になる」との全国政協委員のインタビュー記事を掲載、また地元経済各誌もにわかに、全面小康社会がどの程度実現しているかを判断するにあたっては、GDPなどの経済指標だけでなく、政治、社会、文化、環境などの多くの指標を点検する必要がある(言い換えれば経済指標を希薄化する)論調を展開し始めている。

 

いずれにせよ、20年GDPを10年比倍増させるために必要な本年の実質成長率5.6%がほぼ不可能になった状況下で、習政権としては、「公約目標が実現できなかった」との批判を予め封じておく狙いがあると推測される。

 

あああ
習政権には予め批判を封じておく狙いも

基本的な民生に関わる「6保」が追加された意味

4月頃から、李首相が行う全人代報告への流れを作るべく、党政治局会議や、国務院常務会議など各種重要会議で、それまでの雇用、金融、貿易、外資、投資、予想の6つの安定、つまり「6穏」(2018年党政治局会議が提起)に加え、雇用、基本的民生、市場主体、食糧・エネルギー供給、産業チェーン、末端組織運営(基層運転)の6つを保障する「6保」(感染拡大が続く中で開催された党政治局会議が提起)を強調、「6保」が「6穏」を実現するための力点(着力点)と位置付けることが多くなった。

 

何れも「雇用」が真っ先に掲げられている点が注目される。「6穏」に比べ、基本的な民生により関係する「6保」が新たに追加されたことは、マクロ情勢判断がより厳しくなったことを示すものとの解釈もあり得る。全人代報告では、「20年の発展主要目標と活動の次の段階」として、「6穏」「6保」「小康」について、これら直前の言いぶりがそのまま繰り返されるに止まった。

感染防止対応…習氏への「ごますり」と「皮肉」

習氏に近い党常務委員は、1月下旬に党政治局常務委の下に設けられた中共抗疫小組(組長李克強氏)副組長の王沪寧氏と、序列3位の栗戦書氏と言われる。

 

王氏はその役回りについて種々憶測があるが、江、胡、習3代の国家主席に仕え「三代国師」と呼ばれる人物で、「3個代表」「科学発展観」「習新時代」を考案した党理論・教宣活動担当、感染防止に関わる世論形成を主導。栗氏は全人代を所管し、習氏を「党の核心」に位置付けることを主導した人物だ。

 

王氏は江氏に最も近いとの見方もある。2月下旬、党中央宣伝部は『大国戦疫』と題する本を出版したが、ネット上で批判が噴出し直後に本を回収。4月以降、中央電視台(CCTV)が累次にわたり「古代に孫子兵法、今に習氏の戦疫大法あり」と報道。

 

何れも一義的には王氏が主導したものだろうが、ネット上で、習氏に対する「見え透いたごますり(低級紅)」「手の込んだ皮肉(高級黒)」「ウイルスとの闘いの個人化」といった声がある。

全人代報告策定は「難産だった」との憶測も

新型コロナ感染拡大の影響で延期されていた全人代は、5月22日から期間を短縮して開催された。直前15日に開催された党政治局会議で全人代報告の内容が討議されたが、「難産」だったとの憶測がある。

 

報告は通常、過去1年の成果を強調した後、向こう1年の経済目標を提示するが、前者については、対米貿易戦争激化や香港情勢の不安定化、さらには新型コロナと悪いニュースばかりであったこと、また後者については、新型コロナで経済が大きな打撃を受け、成長率の数値目標設定が困難になったためだ。

 

その結果、全人代報告は例年の1.5万〜2万字、演説時間2時間の長さから、今回は改革開放以降40年の間で最も短い9500字、1時間の演説となった。内容的には、新型コロナに関し、「習主席自ら陣頭指揮」「比較的短期間で感染を効果的に抑え込み、人々の基本的生活を保障した。14億の人口を抱える発展途上国として、これは容易なことではなく、成し遂げるのに困難を極めた(十分不易、成之惟艰)」として、新型コロナを「利用」する一方、成長率目標は設定されなかった。また、上述の脱貧、国企改革、環境政策といった問題については、何れも従来の方針を簡潔に述べるに止まった。

 

厳しい状況下での開催となったが、むしろ新型コロナを理由に内外記者の取材機会を大幅に制限し、また期間を短縮することができたため、当局は様々な「雑音」「不規則発言」を、例年ほど気にする必要がなかったとも言われる。

 

(注)同年両会時の中国メディアに対する報道規制を揶揄。 (出所)2016年3月14日付New York Times中文版
(注)2016年全人代時の中国メディアに対する報道規制を揶揄。
(出所)2016年3月14日付New York Times中文版

 

以前から、中国当局に批判的な見方をする論者を中心に、全人代は「ゴム印(橡皮図章)を押すだけの形式的な会議」「適当にやり過ごす場(走過場)」「大きな問題がある時は控えめに開催(大事開小会)、小さい問題では大々的に開催(小事大開会)、重要な時は開かれず(要事不開会)、重要でなくなるとやっと開かれる(没有事才開会)」と揶揄されてきた。

 

近年、全人代がやや実質的な会議としての色彩を強めている感があったが、内外の未曾有の困難な状況に直面する中で、政府活動報告が大幅に簡略化され、またその内容も基本的にそれまでの党政治局会議等での議論を集約したものに止まったことは、本年の全人代については、「大事開小会」に戻ったとの印象をぬぐえない。

 

<関連拙稿>

「新型コロナウイルスと中国経済」(外国為替貿易研究会『国際金融』)2020年6月号

「新型肺炎と中国の経済・ガバナンス」(同上)2020年4月号

「中国の環境問題への対応-その国内的側面と国際的側面-」(同上)2012年5月号

「中国指導層は『国進民退』を改革できるか」(大和総研ウェブサイト)2013年3月

「中国経済:経済大国が抱える貧困と所得格差」(同上)2012年8月

 

 

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