開業医の家庭には、特有の相続リスクがあります。早めに対策を取るべきですが、相続対策を教えてくれる顧問税理士はなかなかいません。家族が気づければいいものの、相続発生後に大惨事になる例が後を絶たないのです。そこで本記事では、相続・事業(医業)承継コーディネーターの芹澤貴美子氏が、実際に遭遇した悲劇を紹介します。

「どうしても、すぐに会ってほしい」と連絡があり

夜10時。待ち合わせは、夕食の時間をとうに過ぎた和食系のファミリーレストランでした。「どうしても、すぐに会ってほしい」と、ある女性奉仕団体に所属する医療法人の理事長夫人が、決算書をどっさり抱えてやって来ました。理事長であるご主人には内緒で持ち出して来たのです。

 

こんな時間に、こんな場所で、お目に掛からなければならないほど、彼女は切羽詰まった状況なのでしょうか。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

奥様は実は、60歳を前に心臓の具合が悪くなってきたご主人の相続の発生が近いことを予感し、医業経営に関して、以前から抱いていた不信感が一挙に込み上げてきたのでした。それで居ても立ってもいられなくなり、私にSOSの電話をしてきてくれたのです。

 

ご主人の病院は患者さんも多く、それなりの利益も上げているはずなのに、ご主人が株の取引を始めてからというもの、お金がいつも足りません。税理士の先生がいらっしゃると、奥様は部屋から出されてしまいます。何か自分には聞かれたくない話があるのだということを、奥様は空気で感じていました。

 

医師になった次男が病院を継ぐ気で、受験を控えた息子がいるのに戻って来てくれています。それなのに、こんな経営状況で大丈夫なのかと、奥様は不安でたまらない様子でした。

 

案の定、彼女の勘は当たっていました。

 

決算書を開いて、私は自分の目を疑いました。思わず、シャープペンシルの先で決算書に並ぶ「0」を数え直しました。なんと、ご主人は、医療法人から8億円もお金を借りていることになっていたのです。

 

「これは一体、どういうこと?」

「8億円って、何?」

私の頭にいくつもの疑問が浮かび上がりました。

 

聞けば、どうやらバブル時代、ご主人は株でいい思いをしたらしく、それから株取引にはまって、にっちもさっちもいかない状況になってしまっていたようです。バブルが弾けた後、損失を取り戻そうと「今度こそ、今度こそ」と投資を続け、取引額は徐々に大きくなっていきました。

 

そして、自己資金は底を尽きました。それでも後に引けないご主人は、挙げ句の果てに事務長個人からもお金を借りたり、手持ち資金の何倍もの取引をする「信用取引」に手を出してしまっているようでした。奥様はその事実を、事務長との会話で知ってしまったのです。

タコが自分の足を食べているような…負のスパイラル

そして今夜、銀行から運転資金として法人が融資を受け、そのお金を勝手に自分が株取引に使っていたことがわかりました。税理士は、それを理事長への短期貸付金として処理し続けていたのです。「8億円」になるまで――。

 

銀行から医療法人がお金を借り、そのお金を理事長が勝手に使うと、当然のことながらお金の勘定が合わなくなります。そのため顧問税理士は、理事長への短期貸付金として会計処理をし、帳簿のつじつまを合わせていました。

 

短期貸付金として処理されると、理事長は法人からお金を借りたことになるので、医療法人に対して法律で定められた利息を支払わなくてはなりません。その借金の利息が医療法人の利益となり、儲かったお金として課税されます。

 

次第に膨らむ追証(追加保証金)のために、理事長は自分の給与をどんどん増やさざるを得なくなり、結局、納める所得税、住民税もどんどん高額になってしまいます。働けど働けど、借入金は増えるばかり。利息も高くなるばかり……。

 

理事長が医療法人に払っていた借入金の法定利息は3%で、年間2400万円にも及びました。その年のクリニックの利益3000万円のうち、2400万円は理事長自身が支払った利息だったというわけです。まるでタコが、自分の足を食べているような話です。

 

この恐ろしい負のスパイラル……お金の知識がある人には考えられないことでしょうが、実は金額の差こそあれ、医療法人や一般法人の決算書で、ときどき見かけることがあります。

「死んだら全部帳消しになる」という安易すぎる考え

後に理事長ご本人にお話を伺ったところ、「自分の医療法人だから、法人のお金も自分のお金も、自分のものだ。死んだら全部帳消しになる」と思っておられることがわかりました。しかし、これは大きな誤解です。

 

いくらご自分で出資し、設立され、魂を注ぎ込んだ医療法人でも、法律の下(もと)では、個人とは「別人格」の存在です。理事長のお気持ちはよくわかるのですが、法の下で「法人さん」は、自分とは別の人として見なされるのだということを、ぜひご理解いただきたいです。もし理事長がお亡くなりになられたら、他の財産とともに8億円の借入金も家族が引き継ぐことになります。

 

世間一般では、「相続」というと、財産をもらうばかりの話であるように思われていますが、マイナスの財産をもらうこともあるのです。せっかく後継者が育ち、後を継いでくれようとしているのに、借金があるとは知らずに相続してしまう悲劇が後を絶ちません。

 

この8億円の件は、専門家である顧問税理士の先生は、すべて承知していらっしゃるはずです。

 

なぜ、問題の本質を、もっと早く追及してくださらなかったのでしょうか。

なぜ、お金の仕組みを理事長に教えてくださらなかったのでしょうか。

なぜ、奥様は、深夜に私に相談しなければならなかったのでしょうか。

なぜ、金融機関は、お金を貸し続けたのでしょうか。

 

考えれば考えるほど、この不条理さに怒りを覚えずにはいられませんが、では顧問税理士の先生の責任かといえば、そう言いきれるものではありません。なぜなら、顧問税理士は法人の経営者ではないからです。冷たい言い方ではありますが、すべての責任は経営者である理事長にあります。

 

理事長ご自身が、人任せにせず、医療法人設立のメリットやデメリット、お金に関わる知識をおもちになっていたとしたら、もっと違う世界があったのではないでしょうか。

「お金の知識」を得る時間がない医師という職業

しかしながら、お医者様は、今、目の前にいる患者さんの命と健康を預かる、専門的なご職業です。新しい医療技術のこと、新薬のことなど、たくさんの情報を常に仕入れていなくては務まりません。なかなかお金の知識を得るための時間はないのが現実です。

 

また理事長というお立場は、一般の経営者より孤独かもしれません。だからこそ、家族がご主人に寄り添ってほしいのです。たとえば、奥様が医業経営者の妻として、いえ、経営者の一員として、お金や相続に関することを知っていただけていたら――こうした大きな失敗をする前に、ストップをかけることができるはずです。

 

医療法人ではない、個人経営のドクター夫人も同じです。女医や看護師として、奥様ご自身が活躍されていらっしゃる場合でも、大変だと思いますが、どうかお金のことや相続のことに関心をおもちになってください。

 

基本的なことがわかるようになれば、もっと顧問税理士先生に相談できるようになります。ご自分の意向も伝えられるようになり、いいアドバイスを受けて、対策も進むでしょう。節税だってできるようになります。自分でお金をコントロールできるようになるのです。

 

私の知る限り、成功者の陰に「家族」ありです。

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    芹澤 貴美子

    幻冬舎メディアコンサルティング

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