「社長の教祖」と異名を持つ一倉定氏は経営者をよく叱った。叱られるたびに多くの経営者は目を輝かせた。社長の教祖は「世の中に、良い会社とか悪い会社なんてない。あるのは良い社長か悪い社長だけである。会社は社長次第でどうにでもなるんだ」と断言したという。なぜ、令和の時代に「一倉定」が注目されるのか。本連載は作間信司著『伝説の経営コンサルタント 一倉定の社長学』(プレジデント社)からの抜粋です。

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40年前の衝撃合宿から事業の栄枯盛衰を見てきた

私がはじめて一倉先生にお会いしたのは、1979(昭和54)年である。その頃の一倉先生は東京・大阪・福岡の公開セミナー(年間8コース)と個別企業の相談指導、そして経営計画を作成する7泊8日の合宿指導を年2回という超ハードスケジュールでまさに全国を飛び回わっておられた。

 

60歳を過ぎたあたりだから、まさに脂が乗り切った時期で、獲物を狙うような眼光の鋭さが印象的だった。

 

私はそのとき大学3年で経営学、会計学を専攻していた。当然ではあるが、一倉先生の講義が大学の講義とあまりにも違うことにショックを覚え、さらに社長がこれほど熱心に勉強する姿に触れ、意味もわからず感動したことだけは鮮明に記憶している。

 

社長自らが「長期事業構想書」「経営計画書」の作成・発表を愚直に繰り返してきた。
社長自らが「長期事業構想書」「経営計画書」の作成・発表を愚直に繰り返してきた。

 

7泊8日の経営計画作成ゼミでは、今のようにインターネットもユーチューブもない時代だから、本と講義と黒板、さらにパソコンもないから経営数字1つ作るのに電卓とエンピツで深夜、徹夜もザラの超ハードな合宿だった。

 

そのとき、参加していた若い社長の方は現在でも現役経営者として活躍していて、非常に親しくさせていただいている。私にとって最大の財産である。

 

それから私は15年間にわたり毎回7泊8日の一倉先生の合宿ゼミに同行し、全国の社長、それもあらゆる業界、事業の栄枯盛衰を間近で見させていただいたことも極めて貴重な体験となっている。

 

一倉先生とのはじめての出会いから40年間。技術の急速な進化、日本全体の高度成長期、そしてバブル最盛期、1990(平成2)年のバブル崩壊から、グローバル化、円高、今日に至るまでの低成長とデフレ環境下の経営、人口減少、リーマンショックという経済環境の激変を乗り越え、事業を成長させた社長の行動とは「変転する市場に沿っての事業変革」の連続であった。

 

新規事業の開拓、赤字部門からの撤退、新工場への投資、M&A、人材育成、海外進出を成功させた最大要因は「徹底したお客様第一主義」と「強い財務基盤づくり」の両立であり、社長自らが自社の未来を切り拓く「長期事業構想書」「経営計画書」の作成・発表を愚直に繰り返していた成果だと確信できた。

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一倉定の社長学

一倉定の社長学

作間 信司

プレジデント社

「社長の教祖」と異名を持つ伝説の経営コンサルタントは経営者をよく叱った。しかし、叱られるたびにに多くの経営者は目を輝かせたという。ユニ・チャーム、ドトールコーヒー、サンマルクカフェなどの創業者たちは教祖の一喝か…

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