「社長の教祖」と異名を持つ一倉定氏は経営者をよく叱った。叱られるたびに多くの経営者は目を輝かせた。社長の教祖は「世の中に、良い会社とか悪い会社なんてない。あるのは良い社長か悪い社長だけである。会社は社長次第でどうにでもなるんだ」と断言したという。なぜ、令和の時代に「一倉定」が注目されるのか。本連載は作間信司著『伝説の経営コンサルタント 一倉定の社長学』(プレジデント社)からの抜粋です。

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社長の教祖がいなくても社長会を中心に勉強が続く

一生涯勉強、継続こそ力なり

 

多くの勉強会の仲間が集い、互いに切磋琢磨し自社を繁盛させていくために、東京を中心に東部一倉会が発足、また大阪を中心に西部一倉会、そして九州一倉会、北海道一倉会ができ、「一倉先生の教え、良く学びよく遊び」を実践し、勉強にゴルフに研修旅行に家族ぐるみの交流が今も続いている。

 

また、経営計画作成合宿の同期生を中心に「ゆめ倉会」「凡倉会」「シンクタンク」「鬼倉会」ほか数えきれないほどのグループが毎期毎期発足し、交流の輪は全国に広がっていった。考えてみると大恩師に向かって「鬼」だとか「凡」だとかよく名前をつけたものである。先生もまんざらではなかったようである。先生はやんちゃな社長は大好きであった。

 

社長の教祖が亡くなってからも社長会を中心に勉強会はいろいろな形で続いている。(※写真はイメージです/PIXTA)
社長の教祖が亡くなってからも社長会を中心に勉強会はいろいろな形で続いている。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

その先生も1999年3月に亡くなられた。もう20年になる。

 

先生が亡くなってからも社長会を中心に勉強会はいろいろな形で続いているが、毎期の計画を立てるために、毎年沖縄のムーンビーチホテルに部屋を取り「一人合宿」を張っている社長もいらっしゃる。社長にとっての聖地、「経営計画書」の出発点である。

 

また、ある社長は約1週間であるが都内の大好きなホテルに缶詰めになって、電話禁止を社内に徹底し、我社の5年後、10年後を見据え事業構想を練っている。会社がどんなに順調であっても先生の教えを思い出さざるを得ない環境を自ら作ることは極めて大事である。人間は人には厳しくても、自分にはけっこう甘いものである。

 

20年も30年も経って、あらためて『一倉定の社長学全集』を読み直している社長も数多いし、息子に1セットプレゼントした社長、上場企業を一代で築いたK社長は、グループ企業の5人の社長全員に配って、次世代の経営のために一から勉強させている。

 

社長として背負っているものが大きいだけに、自社の経営の基本軸をブラさない工夫は心だけでなく形からも固めておく必要がある。

次ページ一倉社長学の教えに潜む「徹底力」という言葉
一倉定の社長学

一倉定の社長学

作間 信司

プレジデント社

「社長の教祖」と異名を持つ伝説の経営コンサルタントは経営者をよく叱った。しかし、叱られるたびにに多くの経営者は目を輝かせたという。ユニ・チャーム、ドトールコーヒー、サンマルクカフェなどの創業者たちは教祖の一喝か…

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