「どうせ…」と思うものにこそ、ひらめきのヒント
「どうせ」──この言葉ほど、思考を停止させるものはないかもしれない。自分の仕事や商品を見下し、なぜうまくいかないのか、なぜその試みがムダなのかを豊富な知識や体験談で証明してみせ、「どうせ…」と吐き捨てるように発言する人は多い(特に男性に)。
しかし私には、「どうせ」と思われているものこそ、イノベーションの宝庫のように思う。「どうせ」を「どうせなら」に変えるだけで、産業自体が生まれ変わった事例が数多く存在するからだ。
今や、憧れの職業の一つとして定着している看護師という仕事。じつはナイチンゲールが登場するまで、あまりカッコよくない、いやむしろ良家の子女なら手を出すべきではない職業として、見下されていたことをご存知だろうか。ナイチンゲール以前の看護師は、病人やケガ人の血や膿(うみ)、吐いたもので「どうせ」汚れるから、汚い格好のまま患者の世話をしていたのが実態だった。その見た目、不潔さが、蔑(さげす)まれる原因ともなっていた。
ところがナイチンゲールが、その価値観を逆転させた。血や膿で汚れたら、すぐに清潔な服に着替える。患者用ベッドのシーツも清潔なものに取り替え、病室を常に衛生的に保ち、患者にとって快適な環境を提供するように努めた。それまでの看護師が、「どうせ血や膿で病室も服も汚れるのだから」と諦めていたのを、「どうせなら清潔な服に着替えて看護しよう」に発想を切り替え、どこまでも衛生的なものにした。
すると興味深いことに、患者の死亡率が劇的に減少した。じつは、患者の死亡原因はケガや病気よりも、病室の不潔さによる二次感染の影響が大きかった。それをナイチンゲールの「どうせなら」が逆転させ、改善させたわけだ。
「トイレは『どうせ』汚れるもの」を発想転換した結果
これと似た話がトイレにもある。ある女子大生が、卒論テーマにトイレを選んだ。その論文が画期的だったのは、「観光地のリピーターが増えるかどうかは、女子トイレの清潔さで決まる」ことを示したことにある。それまでのトイレは、汚れるのも臭いのも当然と考えられ、公衆トイレは特にひどかった。当時は観光地もトイレを改善する発想がなかった。
しかも、女性はトイレに時間がかかるもの。せっかくの楽しい家族旅行も、女子トイレが少なくて並ばねばならず、夫から怒鳴られる上にトイレも汚いため、「もうあそこには行きたくない」となることが多い。このことを、その女子大生は喝破(かっぱ)したわけだ。
この女子大生がトイレメーカーに就職した、というニュースが新聞に載(の)ったあたりから、全国でトイレが変わり始めた。清潔で快適なトイレが増え、「リピーターを増やすためには、まずトイレを改善することが大切だ」という認識が、全国の観光地で広がった。
「どうせ」汚れるもの、下の世話をするだけの不潔でも仕方ない場所と思われていたトイレを、「どうせなら」快適で清潔な、汚したら申し訳なく思うくらいの空間に変えてしまおうという発想が行き渡り、今や世界にこの設計思想が広がっている。