なぜ日本の「天皇」は世界から注目されているのか?
約200年ぶりに天皇が生前退位され、令和の時代が始まりました。これに伴い、日本国内で天皇制への関心がより高まり、関連書籍の出版や報道記事も増えました。
このような天皇への関心は、何も日本人に限ったことではありません。
2019年5月の新天皇の即位の後、トランプ米大統領が国賓のトップバッターとして訪日しました。その際に皇居で行われた行事に関するニュースは、米国のCNNが東京から中継で報じていました。CNNが中継をするのは、よほどの重大ニュースに限られます。トランプ米大統領が外国を訪問するだけでは、わざわざ中継にしません。CNNは、世界の人々にとっても天皇が関心のある存在だと判断したのでしょう。
世界のリーディングペーパーの一つである『New York Times』においても、新天皇の即位は1面トップの扱いでした。
私の経験でも、海外の有識者から天皇についての質問が来ることが頻繁にありました。「日本人は天皇をどのように捉えているのか」「なぜ極めて長きにわたり同じ家系で天皇制が続いているのか」といった質問です。
私がかつて住んでいたエジプトでも、日本の天皇はよく知られています。
1990年代のエジプトで、「日本」と言えば、日本では83~84年に放送されたNHK連続テレビ小説の「おしん」、忍者に並んで天皇が関心を持たれるテーマでした(当時中東諸国で「おしん」は大ブレークしていたのです)。長い歴史を持つエジプトの人々にとって、長く続く日本の天皇家への関心は高いのです。
世界のどこでもロイヤルファミリーは関心の的。「政治や経済の難しいことはよく分からないけれど、ロイヤルファミリーには関心がある」という人は多いのです。例えば、米国など王室のない国でも、英国をはじめ世界の王室に関するニュースは人気があります。
殊に日本の皇室は、世界の皇室・王室の中でもとりわけ長きにわたり継続しているということ、天皇制自体を廃止しようとする政治的抗争が太古の昔は別として日本の歴史においてほぼなかったことなどが特別なものとして映るようです。
一方で、東京裁判の裁判長を務めたウィリアム=ウェッブが昭和天皇の戦争責任に言及するなど戦争責任を問う意見は存在します(井上清著『天皇の戦争責任』)。また現在は、女性・女系天皇が認められていない点、女性皇族は結婚によって皇族の身分を離れる点などに関して、欧米メディアで批判的な見方がなされていることも、同時に知っておいたほ
うがよいでしょう。
「天皇」はいつから存在しているのか
そもそも現天皇の祖先である天皇はいつから存在しているのでしょうか。
日本史の教科書に、「〇年天皇制成立」とは書かれていません。鎌倉幕府や江戸幕府と違って明確に〇年成立とは言い難いのです。
天皇制は、日本が国家としての形をなしたヤマト政権のころから存在しています。
ヤマト政権という言葉よりも大和朝廷のほうが馴染みのある方も多いでしょう(私もその1人ですが)。しかし、現在の歴史教育では、古墳時代に成立した政権について、大和朝廷という言葉で、(地名である)大和と大王を中心として中央豪族らが構成した統治機構である朝廷という言葉をつなげることに批判も多く、ヤマト政権と呼ぶようになっています。
天皇制がいつ成立したのかは、日本史における一つのテーマです。
外国人から「天皇制はいつからあり、どのように成立したのか」といった質問も受けることがあります。これは簡単なようで実は難しい質問です。『古事記』や『日本書紀』には、皇祖神として天照大神(又は天照大御神)が登場し、初代の天皇である神武天皇の祖先とされています。もっとも、天照大神の話は一般には神話の世界と考えられています。
現在の天皇に繋がるヤマト政権は、邪馬台国の卑弥呼から連なるという説、邪馬台国からではなく4世紀頃の古墳時代に畿内で成立したという説など諸説あります。
当時、天皇は大王(おおきみ)と呼ばれていましたが、この時代は、まだ天皇に従わない地域が多数ありました。そのため各地の豪族を付き従えるための遠征が多数行われたとされます。いきなり天皇が日本を統一したのではなく、畿内で成立したヤマト政権が徐々に支配地を拡大していったことを理解しておく必要があります。当初は西日本中心の王権でした。
第16代の天皇が比較的名前がよく知られている仁徳天皇です。
2019年に世界遺産となった堺市にある大仙陵(だいせんりょう)古墳は仁徳天皇のものであるかどうかの論争が長年続いています。かつては仁徳天皇陵と呼ばれていましたが、仁徳天皇の御陵であるという点が疑われているため、この呼称を使わないこともあります。
その後、紀元6世紀の初め、第26代の継体(けいたい)天皇が傍系から即位します。継体天皇の出自については不明な点も多く、別の血統の豪族出身ではないかとの学説があります。第二次世界大戦後、天皇制について自由な研究が許されるようになると、古代史学者である水野祐(ゆう)早稲田大学名誉教授は、継体天皇によって王朝が入れ替わったと唱えました。その後も論争が続いており確定を見ていません。記録が少ない古代のことなので確定的にわからないのも当然です。
もっとも、この継体天皇以降は現在の天皇に至るまで同一の家系として血縁関係が続いているという点では、どの学説でも、ほぼ異論はありません。継体天皇は紀元6世紀初頭の人なので、現在に至るまで約1500年になります。
そのため、外国人に説明する際には、学説によるものの、少なくとも1500年は天皇家は同じ家系で承継されていると答えるとよいでしょう。
これほどまで長く皇室・王室が続いた例は世界中を見ても皆無です。
我々に馴染みがある世界の王室というと英国王室があります。現在の英国王室ウィンザー朝は同系統とされるハノーヴァー朝を入れても成立から300年ほどです。もっとも、英国をはじめ欧州では婚姻関係が多くの王室・貴族間でなされており、王朝が変わっても何らかの遠縁・姻戚関係があることは多々あります。
また、英国に次いで日本人に馴染みがあるタイの王朝。ラタナコーシン朝(チャクリー朝とも呼ばれる)の成立は1782年です。王室不敬罪があるほど、王室に敬意を払うことが強制されるタイですが、現王室の歴史は意外と短いのです。
1974年に終焉を迎えたエチオピアの皇室制度も長く皇帝の制度が続いていましたが、何度も血統は入れ替わっています。
このように見てくると、日本の天皇制は世界史において類い稀な存在と言ってよいでしょう。歴史に関心のある海外の人々が関心を持つことは、いわば当然なのです。