信頼されていることが大事
リスク・コミュニケーションを効果的に行なうためには、コミュニケーションを行なう者の専門的な知識や能力が十分にあり、信頼されていることが大事です。リスクの扱いを失敗し、信頼を失ったり、疑いの目を持たれている場合は、効果的なリスク・コミュニケーションは不可能になります。
このことは、2009年のパンデミック・インフルエンザや、2011年の東日本大震災とその後の原発事故でとても問題になりました。両例共に、「専門家」と呼ばれる集団が、いつしか「御用学者」と批判されるようになったのです。
信頼を失うのは、実にあっという間です。しかし、いったん失った信用は、取り戻すのが大変です。圧倒的な世論の支持を得て成立した民主党政権は、震災以降、その信頼が失墜し、現在では野党としてのプレゼンスすら脅かされるようになりました。
個々の専門家がいかに誠実にリスク・コミュニケーションに努めても、組織内の別の人間が信頼を失ってしまえば、組織内のみんなが総じて「御用学者」などのレッテルを貼られ、信用されなくなることもしばしばあります。信用とは、歴史的伝統的な、多くの人の積み上げによって成立するのです。もっとも、その積み上げも、ひとつの不祥事によって木っ端微塵に崩れ落ちてしまうのですが。
ですから、リスク・コミュニケーションにおいては、なるたけ失敗しないことが大事です。信用を失うことがないよう、妥当性が高くプロフェッショナルなリスク・コミュニケーションを行なわねばなりません。
とはいえ、人間が完全に失敗ゼロでい続けることはできません。それが可能なのは、リスク・マネージメントという業務を完全に放棄したときだけです。誤診をしない医者とは、患者を診ない医者のことなんです。しかしこれでは、本末転倒ですね。
自分の前任者の失敗のために(自分とは関係なく)信頼が揺らいでしまうことがあります。
厚生労働省は、1990年代の三種混合ワクチン(MMR)の副作用のために、厳しくメディアと世論から糾弾されました。そのトラウマはとても大きく、その後、担当者が交替しても、長い間、予防接種政策を改善させようというインセンティブが高まりませんでした。
2000年代後半になり、麻疹の流行や先天性風疹症候群(CRS)の問題などが起き、「予防接種をしないのもまたリスクなのだ」という理解が少しずつ広がってきました。医療者や官僚を叩いていればよかったメディアも、少しずつ見方が変わってきました。長い時間をかけて、予防接種行政にはようやく追い風が吹くようになりました。