リスクの見積もり方──リスク・アセスメント
リスク・コミュニケーションは、
リスク・マネージメント
リスク・アセスメント
という2つの概念といっしょに、三位一体となって行ないます。
リスク・マネージメントは、リスクに対する具体的な対応です。
リスク・アセスメントは、リスク・コミュニケーションとリスク・マネージメントを行なう前に、必ず行なわれるリスクの「見積もり」です。どのくらいのリスクなのかを見積もらないと(アセスメント)、効果的なコミュニケーションもマネージメント(対応)も成立しないからです。当たり前ですね。
リスク・アセスメントは、したがって、効果的なリスク・コミュニケーションとマネージメントの大前提です。とても重要なんですね。
さて、リスクを見積もる(アセスメント)ときは2つの点に注目します。「リスクが起きる可能性」と「起きたときの影響の大きさ」です。英語では「likelihood」と「consequence」といいます。
例えば、自動車運転による交通事故は比較的多い事象です。2013年の日本の交通事故死者数は4373人(事故後24時間以内)。バブルの時代には1万人以上いた死者数は半数以下にまで減りました。日本は世界の中でも際立って交通事故のリスクが低い国なんです。
それでも、年間4000人以上の方が亡くなっているわけで、このリスクはまだまだ影響力の大きなリスクと言わざるを得ません。
一方、飛行機の墜落事故。
2014年はマレーシア航空にとって不幸な年です。3月にはクアラルンプール発北京行きの370便(乗客・乗員239名)が行方不明になり、本書執筆時点でも本機は見つかっていません。7月にはアムステルダム発クアラルンプール行き17便が撃墜され、乗客・乗員298人全員が死亡しました。
とはいえ、飛行機事故はめったに起きない事故です。自動車事故に比べると、ずっと発生頻度は低いものです。運輸安全委員会によると、2013年に日本で起きた航空事故は11件、死亡例はゼロでした。日本の交通事故死亡者が激減したとはいえ、それでも飛行機事故の死亡リスクの方が「圧倒的に」低いのです。
とはいえ、マレーシア航空の事例が示すように、めったに起きない飛行機事故は、いったん起きると大きな被害につながります。
これに人為的な要素が加わるとさらに問題です。
2001年の9月11日、ハイジャックされた2機の旅客機が、ニューヨーク市のワールド・トレードセンターに突っ込みました。当時、イーストサイドの病院に勤務していた私は、炎と煙を上げる2つのビルを目の前にして、とても信じられない思いがしました。この事故の影響で、ニューヨークでは2700人以上の方が命を落としました。
このように飛行機事故は「めったに起きない」「しかし起きると大変」という、リスクにおいての「ねじれ現象」が見られます。「likelihood」はとても小さく、「consequence」は甚大です。自動車事故のlikelihoodは飛行機事故に比べるととても大きいものですが、ひとつひとつの事故のインパクト(consequence)はそう大きくはありません。
「起こりやすさ」と「起きると大変」を混同しない
例えば、エボラ出血熱も、飛行機事故とよく似たリスク構造をもっています。すなわち、likelihoodは小さく、consequenceは大きい。
現在でも、エボラ出血熱の予防接種や治療薬は開発されていません。新薬や実験中のワクチンが検討されていますが、その有効性や安全性は不明なままです。発症すると死亡率が60~90%くらいといわれており、とても恐ろしい感染症です。
しかし、エボラ・ウイルスの感染は体液との接触がメインで、咳やくしゃみで感染するインフルエンザや結核よりも、はるかに感染性は低いといわれています。エボラ・ウイルスは基本的にアフリカ大陸にしか存在せず、日本に持ち込まれる可能性が低いことも、日本における「起きる可能性」をさらに小さくしています。
つまり、エボラ出血熱も(日本においては)飛行機事故同様、「めったに起きない」、しかし「起きたら大変」なリスクなのです。
このように、「起きる可能性」と「起きたときの影響」に大きなギャップがある場合、人はそのリスクをどう受け入れてよいか悩みます。怖いのか、怖くないのか。
このへんは悩みどころです。しかし、大切なのは、「両者をごちゃごちゃにしない」ということです。「エボラは怖い」→「だから大流行する」と考えてしまうのは、「起こりやすさ」と「起こった場合の影響」がごちゃごちゃになっていて、リスク・アセスメントが妥当に行なわれていない、ということになります。
いずれにしても、リスク・アセスメントのときには、リスクの「起こりやすさ」と「起こったときの影響」を両方考えなくてはなりません。そして両者を個別に考えることも大切です。
また、リスク・アセスメントに続いて行なわれるリスク・コミュニケーションの際にも、両者を区別して、「どちらのリスクの話をしているのか」を聞き手に分かりやすく説明することが肝要になります。
検討すべきさまざまな要素
他にも、リスク・アセスメントが検討しなければならないことはいくつもあります。
例えば、
だれにリスクがあるのか?
何人ぐらいに被害が生じる(生じうる)のか?
どのような被害がどのくらい生じるのか?
いつまでリスクが続くのか?
といった見積もりです。
例えば、感染症の流行であれば、だれに重症例が発生しやすく、何人くらいの患者が発生して、何人くらい死亡者が出て、どのくらい流行が続くのか、という見積もりが行なわれます。
もっとも、現実には、感染症におけるリスク・アセスメントはそう簡単ではありません。
厚生労働省は以前、「新型インフルエンザ」が流行したときの死亡率を「2%」と見積もっていました。この「2%」という数字は、過去のパンデミックから推計したものでした。
しかし、2009年のパンデミックのときの死亡率は、それよりずっと低いものでした。ガードを高く上げて「水際作戦」を行ない、パニックに近い状態で「新型インフルエンザ」に対峙したのですが、ふたを開けてみたら、死亡率は見積もっていたよりもずっと低かったのです。
でも、これは自然界を扱う自然科学の分野では、ある程度仕方のないことなのです。自然界は不確かさ、不確定要素に満ちているからです。
2014年は、エルニーニョ現象の影響を受けて冷夏になると予測されていましたが、実際には多くの地域で、猛暑がやってきました。天気予報は、短期的にはかなり正確に未来予測ができるようですが、長期的な予想は、現在でも外れることが多いのです。
東電福島第一原発事故は、津波のリスクが「想定以上」だったことから起きました。火山の噴火や津波の発生予測は、災害そのものを回避するほどに正確に行なうことはできません。
実験室の中で、干渉要素がない環境では、未来予測は簡単です。初期条件を与えてやれば、転がるボールがどこにたどり着くか、正確に計算、予測が可能です。
しかし、自然科学における未来予測は難しいです。感染症においては、人の動き、風向き、建物、温度、湿度、商業活動や景気変動に至るまで、非常に多くの要素が複雑に絡み合って感染症の発生や流行に関与します。
アセスメントは幅を持たせ考える必要がある
これが長期的な予想になれば、なおさらです。
2009年の「新型インフルエンザ」のときにも、5月に流行したインフルエンザは、「梅雨になれば、湿度が上がる。ウイルスは湿度に弱いから、これで流行は終息するはずだ」と予測した専門家がいましたが、この予測は当たりませんでした。自然界において、湿度のような「一要素」だけで未来予測をするのは無理筋なんです。実験室の中では加湿によってウイルスの活動は低下するでしょうが、現実世界は、実験室よりももっともっと複雑にできているのです。
大胆な未来予測は一般受けしやすいです。断言口調はマスメディアに好まれます。「結局どうなんですか」と一言で結論を言わせるのは、テレビのニュース番組や討論番組の常套手段です。しかし、テレビに出て、断言口調の未来予測を乱発するような専門家は、あまり信用しない方がよいのです。
自然災害や感染症の流行を検討する場合、リスク・アセスメントは必ずしも正確ではありません。したがって、リスク・アセスメントにおいては、ピンポイントで未来を予想しようと無茶をするのではなく、その予測が外れる可能性も込みにして、幅を持たせて考える必要があります。そして、そのような幅のあるリスク・アセスメントに基づいて、臨機応変にリスク・マネージメントが行なわれなければなりません。
つまり、リスク・マネージメントも、一点買いでひとつの計画だけに固執するのではなく、いくつかの予測シナリオに基づいて、プランB、プランC、プランDといった複数の選択肢を持っておくことが大事です。
岩田健太郎
神戸大学医学部附属病院感染症内科教授