預金を引き出すには「相続人全員の同意」が必要に
【子どものいない人の相続●田中家の場合】
・被相続人(享年72歳)
・相続人妻68歳(子どもなし)、長兄の代襲相続人(長男56歳、次男53歳、長女51歳)、次兄82歳、姉の代襲相続人(長男51歳、長女48歳)、三兄75歳
・財産自宅不動産8000万円 銀行預金2000万円 合計1億円
田中さんは若くして息子を亡くし、その後は子宝には恵まれませんでしたが、奥様と2人で趣味の旅行や陶芸に没頭し、仲睦まじく生活しておりました。田中さんも定年退職を迎え、これから第二の人生という矢先の3年前に大腸がんが発覚し、晩年はがんとの壮絶な闘病生活を送りましたが、治療の甲斐なく昨年亡くなりました。
奥様は最愛の人を亡くした悲しみに暮れながら、葬儀、四十九日を終え、気持ちの整理も少しずつつくようになったころ、死後の整理を始めました。
ところが、そこで思わぬ事態に遭遇することになったのです。
夫名義の銀行預金が下ろせない……。奥様は田中さんの預金していた金融機関へ預金引出しの手続をしに行ったところ、「ご主人様の預金を引き出すには、相続人全員の同意が必要になります」と銀行担当者から言われました。「相続人といっても子どもはいなかったので妻の私だけでは……?」。奥様は銀行担当者にそう伝えたところ、「お子様がいらっしゃらなければ、ご両親かご兄弟の方も法定相続人になるはずです」と告げられました。
奥様は突然のことでご自身の状況がよく把握できなかったため、銀行担当者から弁護士を紹介してもらい、後日相談に行くことにしました。その結果、奥様以外にご主人の兄弟と甥、姪を合わせ7人が法定相続人であることが判明いたしました。
夫である田中さんは、13歳年の離れた長兄(すでに他界)を筆頭に、次兄82歳、長女(すでに他界)、三兄75歳の5人兄弟の末っ子で、田中さんの両親はすでに他界されていました。長兄、長女の相続分は、代襲相続により、長兄と長女の子どもである甥、姪にそれぞれ相続する権利があることがわかり、奥様は愕然としました。というのも、義父の相続時に兄弟間でもめた経緯があり、その後、次兄、長女とは仲違いし住まいも離れていることから疎遠になり、長女の子ども(甥51歳、姪48歳)とは実に40年近くも音信不通だったからです。
奥様は、相続人とは親せきづき合いもなく遠隔地に住んでいるため、弁護士を通じて相続人と連絡を取ってもらったところ、相続人のほうも、やはりもらえるものはもらいたいという態度を示してきたことで、その後、遺産分割協議でもめることとなりました。
奥様は田中さんがお亡くなりになる直前に自宅や銀行預金、その他財産に関係する一切を引き継ぐ旨の意思表示を受けておりました。「俺が死んでも、家と預金があれば暮らしていけるな、先に逝くけど元気に暮らしていけ」と最後の言葉を聞いてご主人を看取りました。それにもかかわらず、相続人である兄弟や甥、姪が要求してきた遺産分割案は法定相続分でした。夫のがんの闘病生活で2000万円近い治療費がかかり、現金や預貯金が不動産の価値に比べ、少額しかなかったので、奥様は泣く泣く自宅を売却しなければならない事態に陥りました※。
※2020年(令和2年)4月1日以降の相続からは、自宅を所有する夫が死亡したときに妻が引き続き自宅に住むことができる「配偶者居住権」と「配偶者短期居住権」が施行されます。
日ごろから交流があり親族で仲が良ければ…
まず、相続人が誰なのかを田中さんも奥様も把握していなかった点が一番の問題点です。田中さんもご自身が亡くなられた後は、財産すべてを奥様に相続させたいと願っていたのにもかかわらず、法律の知識と事前の準備がなかったために、相続させたくない仲の悪い兄弟(代襲相続人を含む)に遺産分けをしなければならないことになりました。
二番目には、相続財産の大半が均等に分けることのできない自宅という不動産だったことです。夫に先立たれた後でも終の棲家として、奥様が当然に住み続けられるものとして疑わなかった自宅は、遺産を均等に分割するには難しいものです。住んでいない親族からすれば、その相続分に応じて現金でもらいたいと望むことが通常といえます。田中さんのケースのように、分けるための現金が足りず相続人間で折り合いがつかない場合には、自宅を売却して現金で分ける方法を取らざるを得ないことも多々あります。
三番目には、相続人間同士で仲が悪く、疎遠になってしまっていた点です。
日ごろから親族間で仲が良くて、離れていても定期的な交流があれば、相続の話を事前にしていなかったとしても、このようなもめごとにはならなかったでしょう。
若くして息子を亡くし、その悲しみを乗り越えながら頑張ってきた田中さん夫婦の気持ちや、頑張って念願のマイホームを手に入れて幸せな生活を送られていた田中さん夫婦の様子、定年退職を迎え、第二の人生をまっとうしようとしていた矢先に最愛の夫に先立たれて、悲しみに打ちひしがれ、希望が持てず落ち込んでいる田中さんの奥様の気持ちを考えれば、親族の方々も、奥様から心のよりどころの終の棲家である自宅を奪うような請求はしなかったのではないでしょうか。
日ごろから交流があり親族で仲が良ければ、奥様の今までしてきた苦労や今の気持ちを考慮し、「自宅も預金も、あなた(奥様)がご主人と一生懸命築いてきたものだし、私たちは財産なんていらないよ」と言ってもらえたのではないでしょうか。何もいらないとまでは言わないにしても、親族の方々には残された現金を少しだけ分けてあげれば、自宅を売却しなければならない事態にまではならなかったのではないでしょうか。
「遺言書」を残すことが事態を未然に防ぐ唯一の方法
①生前に相続の準備をする
生前に自分の財産がどのくらいあり、相続人が誰なのかをしっかり把握し、相続が起こった時にどのような事態が起こりうるのかを知っておく必要があります。
田中さんのケースは、予期せぬ法定相続人がいることを知らなかったことが大きな原因で、自宅まで手放すことになりました。田中さんが事前に奥様の他に法定相続人がいることを知っていたら、必要な対策が準備できたはずです。
②遺言書を作成する
奥様が、生前に仲の悪かった義兄弟や何十年も面識のない甥姪と、遺産分割についての話し合いをしなければいけないということは、想像を絶する心労となります。このような事態を未然に防ぐ唯一の方法は、妻にすべての財産を相続させるとする「法的に有効な遺言書」を残すことです。
そのような遺言があれば民法で定める法定相続ではなく遺言に従って処理されます。また、兄弟(代襲相続人を含む)には「遺留分」という権利もないため、「妻にすべて」という希望がかなうことになります。遺言書以外に生命保険を活用し、奥様以外の法定相続人の相続分を保険で残すという方法もあります。
③日ごろから親族間で仲良くする
相続人の方が誰であれ、日ごろから仲良くお互いの気持ちが通じたつき合いをしていれば、他の相続人も、一人残された奥様から、思い入れの強い、終の棲家を奪うような非情な決断は下さないでしょう。奥様のこれからの人生を考慮し、思いやりをもって自分たちの相続分は奥様に譲る気持ちで応じてくれ、もめずに話もまとまりやすくなります。
他愛のない日常のことや、日ごろの苦労など何でも話ができ、お互いに思いやりをもった親せきづき合いをしていることが、HAPPY相続するためのポイントです。