ある日父から「相続を放棄しろ」と言われて……
Aさんは、ある地方都市で3代続く卸問屋の長男。兄弟は、弟と妹。現在の社長である父は、兄妹が小さなころから「商売を継ぐのは長男」と決めていました。そのため、自然と長男には厳しく、弟や妹に対しては、ある意味、放任主義的なところがあったといいます。
兄妹が大きくなり、それぞれが社会人になると、長男は次期社長として父の会社に就職し、弟と妹はそれぞれ地元を離れ、東京の会社に就職しました。そして、それぞれが家庭をもち、幸せを築いていました。
そんなある日、弟と妹が父から、大切な話があるといって、実家に帰省するよう言われました。何の話だろう――。ふたりは疑問に思いながら、言われた通り、実家に帰りました。
「すまんな、ふたりとも」
「別に大丈夫だよ。仕事も、忙しくない時期だから」と次男と長女。
「実はふたりにお願いしたいことがあるんだ」
「なに、そんなにかしこまって」
普段とは違う、神妙な表情の父に、次男と長女は身構えてしまいました。
「私も年だから、そろそろA(=長男)に社長を譲ろうと考えている。あと、自分もいつ、何があるかわからない年齢だ。だから、そろそろ相続のことをきちんと考えたい」
「お父さんも、70(歳)を超えて、ずいぶんと老け込んだもんね」と、堅苦しい雰囲気を嫌う長女が、少しふざけて言いました。
「今日は、まじめな話だ」
空気が、少しピリッとしました。
「私が死んだら、お前らは相続放棄をしろ」
「えっ、放棄?」とふたり。
「はっきり言おう。私の財産はすべて、Aに渡すということだ。Aはこの家を守っていかなければならない。本当は、お前たちにも何か残してあげられたらいいのだが、こんなご時世だ。会社の状況も決して楽ではないのだよ」
突然の申し出に、言葉を失うふたり。もちろん、いずれは親もいなくなる。そう遠くない将来に、相続の話をしなければいけない。そんなことをボンヤリとは思っていたけど、「相続放棄」をお願いされるとは、思ってもいなかったーー。
とはいえ、父の言うこともわかる。結局、ふたりは父の申し出に納得し、父は全財産を長男に相続させる遺言書を作成しました。
それから数年後。父が亡くなりました。遺言書を作成した後、正式に父からAさんへと社長は交代し、新社長のもと、会社も順調にいっていたので、特に混乱は生じませんでした。しかし思わぬ事態が起きたのは、ひと通りの法要が終わったあとのことでした。
「兄さん、話があるんだ」と次男と長女が、Aさんを呼び止めました。
「どうしたんだい、神妙な面持ちで」
「父さんから、相続を放棄するよう言われたけど、俺たち、遺留分は請求しようと考えている」
「えっ!?」
「だから、遺留分は請求する」
「だってお前ら、相続は放棄するって父さんに言ったんだろ。それで父さんは、遺言書を書いたんだぞ」
「当然の権利でしょ」と長女。
「父さんの遺志をないがしろにするのかよ、お前ら!」
「兄さんはいいよ、昔からチヤホヤされてきたからな。それに比べて、俺らはいつもほったらかしで、おまけに全財産を兄さんにって。不公平すぎるだろ」と次男。
「俺だって、物心ついたときから『お前は将来、社長だから』って言われて厳しくされてきたんだ。自分で望んだわけじゃない。お前らは好き勝手やっていたじゃないか!」
「好き勝手じゃない、あれは無関心っていうんだよ!」と次男が大きな声を出しました。
「……」
「とにかく、あの遺言書は無効。俺らは遺留分を請求させてもらうから」
このあと3兄妹は遺産分割協議を行い、弟と妹は、遺留分以下の1,000万円ずつを相続することで決着しました。これを機に3兄妹は、口も聞かない関係に……、というわけではなく、一層絆は強まったといいます。
「父が生きているときは、いつも父を中心にして家族はまわっていました。だから私たち兄妹の関係も、常に父が介在していたんです。今回、二人とは本音でぶつけ合ったことで、仲が深まりました。以前より、頻繁に連絡も取りあっていますよ」とAさんは、相続トラブルをふりかえっていました。
遺言書があっても「遺留分」は主張できる
相続の手続きには3つの期限が存在します。
- 3ヵ月→相続放棄の期限
- 4ヵ月→所得税の準確定申告(=亡くなった方の確定申告のこと)の期限
- 10ヵ月→相続税の申告
相続手続きでやることは、遺言書があるかないかで大きく変わります。
遺言書がある場合には、原則として遺言書の内容通りに遺産を分けていくので、手続きは比較的早く終わります。一方、遺言書がない場合には、相続人全員の話し合いで遺産の分け方を決めなければいけません。この手続きを遺産分割協議といいます。これが長引いてしまうことがよくあるんですよね。
しかし遺言書があるからといって、スムーズに遺産分割が進むとは限りません。問題になるのは「遺留分」です。
遺留分とは、「残された家族の生活を保障するために、最低限の金額は相続できる権利」のことです。あくまでも権利なので、権利を行使するかどうかは、本人の自由です。
権利として主張できるのは、「法定相続分の半分」です。遺言者をあけたところ「俺たちに遺産は渡さないだって!」「私たちには遺産の十分の一しか渡さないって!)(この状態を、遺留分が侵害されている、といいます)ということがあったら、遺留分の金額に達するまで、遺産を取り返すことができるというわけです。
実際にこのようなケースが発生した場合には、間に弁護士を入れることが一般的です。そしてその弁護士が話をまとめながら、遺留分に達するまでの遺産の受け渡しなどを行います(この手続きを、遺留分の減殺請求といいます)。
故意にせよ、故意でないにしろ、遺留分を侵害している遺言書には、事例のようなリスクをはらんでいる、と考えておきましょう。
【動画/筆者が「相続の手続き」を分かりやすく解説】
橘慶太
円満相続税理士法人