「コンビニよりも多い」と揶揄される歯科医院
いったいなぜ、歯科衛生士不足が起こっているのか。その最大の原因は歯科における労働環境が年々、悪化の一途をたどっていることに起因します。
歯科医院の数は現在、完全に過剰な状態となっており、「コンビニよりも多い」と揶揄されるありさまとなっています。ことに都市圏では完全に供給オーバーの事態に陥っています[図表]。
こうした供給過剰の状況のなかで、歯科医院の患者獲得競争は年々激化しています。とりわけ首都圏では1人でも多くの患者を確保しようと、平日の20時以降の夜間診療や、日祝も診療している歯科医院が少なくありません。診療時間が長くなれば、当然、そこで働く歯科衛生士の労働時間も長時間化することは避けられません。
ちなみに、厚生労働省の調査では、常勤の歯科衛生士の残業を除く労働時間は、看護師と比較して1ヶ月あたり9時間も長いという結果が出ています。
◆過重労働にさらされる歯科衛生士
このように長時間労働を強いられる就労環境を背景に、現場で働く多くの歯科衛生士が疲弊し、悩み苦しんでいます。例えば、大手相談サイトの「ヤフー知恵袋」には、歯科の激務ぶりを訴える歯科衛生士たちの悲鳴や不平不満が、以下に示すように次々と寄せられています(オリジナルの文章を一部アレンジしています)。
「歯科衛生士です。勤務時間が長すぎて退職しようか考えています。朝8時半には出勤して帰りは毎日20時半です。職場まで遠いので帰宅するのは21時半か遅いときは22時です。」
「歯科医師1名、受付含めスタッフ5名の田舎にある歯医者です。過労でみんな疲れきっています…先月はレセプトが800枚近くありました。いつも600〜700枚ですが、ビックリです! わたしはここの歯医者にしか勤めたことがないですが、どこもこんなもんですか? スタッフへの給料は安くて、衛生士を募集しても来ない状況です。」
このように歯科の労働現場では、過重労働により精神的に追いつめられている歯科衛生士が珍しくなく、そしてその多くが職を離れることを余儀なくされています。そして、その代わりを見つけることが出来ないために、歯科医院の多くは深刻な歯科衛生士不足に見舞われているのです。
◆スタッフの接遇に左右される来院患者数
一方、資格が不要な部署のスタッフについては、「人手が足らず困っている」という状況にまでは達していないかもしれません。具体的にいえば、受付や助手などに関しては、募集をかければ一定数の求職者は確保できることから、看護師や歯科衛生士と比較するとまだ採用に苦労することは少ないはずです。
もっとも、最低限のスタッフを確保することはできたとしても、有能な人材を得られるかどうかは別です。例えば採用したスタッフの接遇スキルが低く、患者への対応に問題があれば“患者離れ”につながることでしょう。患者への対応をいつもてきぱきと明るくこなしていた受付スタッフが辞めて、その後に雇い入れた後任が「表情が暗い」「対応が緩慢である」「何を聞いても答えられない」など接遇に問題があるようであれば、患者のなかには不愉快だから他のクリニックに替えようと思う人も出てくるはずです。
また、雇ったスタッフがすぐに辞めてしまい一向に定着しないような状況が続けば、患者から不審に思われ、信頼するに足らないクリニックであるという評価を下されないとも限りません。
もし院長が「受付のなり手などいくらでもいるので心配ない。不満があるのならいつでも辞めてもらって結構」などというような高飛車な姿勢でいたら、「あのクリニックは、スタッフの入れ替わりが激しい。きっと内部のコミュニケーションに大きな問題があるのだろう」などと近隣に悪評が広まり、“いつの間にか患者が半減してしまった……”ということにもなりかねないのです。
「労働法」を遵守せずトラブルに発展するケースが多発
「看護師が見つからない」「スタッフが定着しない」そうした人手不足や採用難のほかに、多くのクリニックが直面している人事労務トラブルとしては、労働法にかかわる法的な問題もあげられるでしょう。
例えば、労働法上は、試用期間中であっても法定の加入要件を満たす場合には、スタッフを社会保険・雇用保険に加入させなければなりません。しかし、あるクリニックでは院長の判断で試用期間(3ヶ月)中のスタッフに対して、社会保険・雇用保険の加入が行われていませんでした。
そんななか、入職して6ヶ月が経過した常勤のスタッフを解雇することになりました。解雇されたスタッフは通常であれば、雇用保険の被保険者期間が6ヶ月以上となるため失業給付の受給権を得ることができます。しかし、このケースでは試用期間明けの本採用時から雇用保険に加入させていたため、被保険者期間が3ヶ月しかなく、失業給付受給権が得られない事態となってしまいました。
試用期間中に雇用保険に加入させていなかったことは違法行為に該当します。解雇されたスタッフが弁護士に相談したところ、院長が労働法を遵守していないことを知り、本来なら受給できた失業給付を請求するとともに解雇自体についても解雇事由が明白ではないと申し立てました。結局、解雇したスタッフに対して院長が謝罪をし、加入手続きを一からすべてやり直し、解雇事由も再度説明することとなりました。
この院長は、労働法を遵守しなかったがために、解雇したスタッフに対して無駄な労力と費用を費やすことになってしまったわけです。
◆就業規則の流用が招いた金銭的負担
某クリニックでは、先輩医師からもらった就業規則を使い回ししていました。その本文には休職に関する規定もあり、休職期間は1年間という定めになっていました。ある日、試用期間中のスタッフがうつ病の診断書を持ってきて「1年間、休職させてほしい」と申し出てきました。院長は「1年間も!」と驚いたものの、先に触れたように、就業規則の規定上は、1年間の休職が可能となっていたためスタッフの申し出を認めることになりました。
実は、就業規則を流用した時点では、院長はスタッフが休職をとるケースについてはまったく意識しておらず、「1年間」という期間も流用したままの内容でした。いざ休職を申請するスタッフが現れて、はじめて「休職期間が1年間となっていた」という点を認識したのです。
今回問題となったのは、試用期間中のスタッフに対して休職する権利が付与されていたことと、さらには当該スタッフの勤務態度も芳しくなかったことが背景にあります。
休職している期間は給与の支払いは発生しません。しかしながら、社会保険料の使用者負担分は休職中も発生するため、院長には働いていないスタッフの社会保険料負担が発生したのです。クリニック経営が厳しい昨今、期待値の低いスタッフの権利行使と院長の金銭的負担によりこうした事態となったわけですが、就業規則をしっかり作成しておけば防げたのです。
蛇足ですがそのスタッフは休職期間が満了した後、結局は、復職することなく退職してしまったのです。院長にとっては良い勉強になりましたが、授業料も高くつきました。
◆人事労務トラブルと労働法遵守
これらのケースが示すように、院長が労働法を無視したり、あるいは軽視したりすればトラブルの原因となります。そして、いったん人事労務トラブルが起これば、クリニックの運営に深刻なダメージがもたらされる可能性もあります。
ある歯科医院では、院長が労働法を遵守しないことに不満を抱いたスタッフの7割が突然辞めてしまうという事件が起こりました。ある朝、いきなり7人のスタッフが出勤しなかったのです。当然のことながら、スタッフ配置が出来なくなり、しばらくの間予約を取ることが困難となりました。その結果、当該クリニックの売り上げはピーク時と比較すると6割減となってしまいました。
安定したクリニック運営を続けるためには、スタッフとの間に人事労務トラブルが起こらないことが何よりも大切になります。そのためには、人事労務管理に対して院長が細心の注意を払い、労働法を遵守するという遵法精神が不可欠であることはいうまでもありません。