相続はお金持ちだけに関係がある話。そう思っている人は多いようだ。しかし実際は違う。亡くなった人に多少でも預金があったり、家や土地があったりすれば、財産の多寡にかかわらず、相続は発生する。このエピソードの相談者は、3兄弟の長男である。父親が他界し、当初は母親が預金と家を相続するはずだった。しかし、次男が遺産の半分以上を欲しいと願い出る。結果、長男は精神的にも経済的にも大きな負担を抱え込み、兄弟がバラバラになってしまった。※本記事では、税理士の髙野眞弓氏が、自身の経験もとにした「争族エピソード」を紹介する。

次男がもらうなら自分も欲しい…相続争いはドロ沼化

それからしばらくの間、ダンディーさんから連絡はなかった。「この間のダンディーさん、あれからどうなったんでしょうかね」スタッフが聞く。「さあねえ。頑張って次男を説得したんじゃないのかい? 見栄を張ろうにも、お金がなければ仕方がないから」「そうですね」私たちはそう思っていた。

 

しかし、実際は違った。久しぶりにダンディーさんから電話があり、私は問題がさらに複雑化していることを知った。「もう一度会って相談したい」電話口でダンディーさんが言う。私は何かあったのだろうと察し、早速事務所に来てもらうことにした。

 

「先生、例の相続の件なんですが」事務所の椅子に座るやいなや、長男が切り出した。「うまくまとまりましたか?」「いえ、それが困ったことになりまして」長男が口ごもる。

 

「次男さんは納得してくれませんでしたか」「ええ。あれから3人で集まり、相続財産の総額なども伝えて、1000万円は無理だと言ったのですが、どうにかしてくれの一点張りなんです。しかも、それだけではないんです」「というと?」

 

「当初、相続しないと言っていた三男まで、次男がもらうなら自分ももらいたいと言い出したのです」「三男がですか? 三男は確か、母親の生活を第一に考えるということで相続を放棄するつもりだったんですよね」「はい。書面などに残したわけではありませんが、当初の話し合いの中でそう言っていました」

 

書面がなければ相続放棄の意思は確定しない。そもそもこのケースでは、次男が配分に納得していないため協議が成立していない。つまり、三男が自分の相続権を主張することに何も問題はない。次男がもしかしたら1000万円もらえそうになっているのを目の当たりにして「自分ももらいたい」という気持ちが芽生えたのだろうと思った。

 

「どうして急に意見が変わったのでしょうか」「実は、その背景にも夫婦間の話し合いがあったようです。三男によれば、三男の奥さんが『もらえるものはもらったほうがいい』と言ったようなのです」

 

「まさか三男も1000万円と言っているのですか?」「いえ、それは次男だけです。三男は法律で決められた分だけと言っています」「そうですか。それにしても、実際に分配するとすれば預金だけでは足りませんね。しかも、預金はお母様が生活していく上で必要ですから、簡単に手放すわけにもいかないでしょう」

 

「ええ。それで私も悩んだのですが、ワンルームマンションを売ろうと思うのです。小さい中古の物件ですが、売ればいくらか現金になるだろうと思って」「お母様はどうするのですか? 今もマンションで暮らしているんでしょう?」「私が引き取り、千葉で一緒に暮らそうと思っています」ダンディーさんはそう答えた。

 

千葉の家には長い階段があるという。70歳を超えた母親が、その階段を行き来することになる。私はその様子を想像し、なんともいたたまれない気持ちになった。

 

「お母様にも相談したのですか?」「はい。私たち兄弟がもめていると知り、私と一緒に暮らすことに同意してくれました。不満はあったと思います。千葉の家に引っ越すのも手間です。しかし、それ以上に兄弟が仲違いしているのが嫌だったのだと思います」

 

「そうですか。ダンディーさんが決めたのなら、それが最善の方法なのだと思います」私はそう言った。他に言葉が見つからなかった。

「足りない分はどうするのですか」「貯金で補います」

長男は几帳面で、その後も進捗状況をこまめに教えてくれた。

 

「不動産業者に聞いてみたところ、マンションは500万円くらいで売れるのだそうです。それを合わせれば、まとまったお金になります」ある日、電話口でダンディーさんが言った。「そうですか。結局、次男と三男にはいくら渡すことにしたのですか?」「次男には1000万円、三男はその半分の500万円です」

 

預金は800万円、マンションを売って500万円である。両方足しても兄弟に渡す1500万円に届かない。まさか千葉の自宅まで売る気ではないか。私はそう心配した。

 

「足りない分はどうするのですか」「私の貯金で補います」ダンディーさんはそう答えた。「自分の貯金を兄弟にあげるということですか?」「ええ。それしか収める方法がないと思いました」

 

そこまでする必要があるのだろうか。私はそう思ったが、ダンディーさんには言わなかった。ダンディーさんはきっと、自分の蓄えを削ってでも、この相続の一件を終わらせたいのだと思ったからだ。その後、長男はマンションを売り、兄弟たちに現金を渡した。結局、すべて解決するまでに1年ほどかかった。

 

すべて決着したという報告を受けてから数日後、お礼がしたいとのことで再び長男が事務所にやってきた。その姿を見て、私はダンディーさんの苦労がいかに大きかったか実感した。

 

ダンディーさんの髪の毛はすっかり白くなり、頰は痩せこけていた。もはやダンディーな出で立ちは消え去り、疲れた50歳の中年に成り下がっていた。たった1年の間に、人はここまで老けこむことがある。私は気の毒に感じ、同情した。それだけこのトラブルがダンディーさんの心労になっていたということだ。

 

「大変でしたね」私は労いの言葉をかけた。「そうですね」長男はそう言い、白くなった髪を少し撫でた。「ただ、すべて終わった解放感のほうが大きいです」ダンディーさんは言う。

 

「お母様はどうしていますか?」「おかげさまで元気です。千葉の家で暮らすのにも慣れましたし、嫁や私の子どもたちとも仲よくしています」「兄弟とは?」「現金を渡した日以来、私も母親も話をしていません」「そうですか」

 

私はとても残念な気持ちになった。相続トラブルは収まったが、結果として家族はバラバラになってしまったのだ。

 

「幸いだったのは、千葉の家が残ったことです。あの家まで売り、私たちまで引っ越すとなると大変さがさらに増していたと思います」「そうですね」

 

「今はまだ元気ですが、いずれ母も他界します。その時に、千葉の家の相続でもめないように、母には千葉の家を私に譲るという遺言状を書いてもらう予定です」「それがよいと思います」私はそう返した。遺言状が1枚あるだけで、相続トラブルを未然に防ぐことができるものなのだ。

家族間だからこそ「ゴネたもん勝ち」という事実

長男を見送った後で、私はスーさんに電話をかけた。「すったもんだありながらも、一応は無事に解決したみたいでさ。さっきダンディーさんがお礼に来てくれたよ」私はそう伝えた。

 

「そうですか。今回もすっかりお世話になりました」「1年もかかったよ。このお礼は高くつくぞ」

 

「わかっています。ところで、母親が住んでいた賃貸用のマンションも売ったのですか?」「売った。そのお金に、残っていた貯金と自分のお金まで足して、次男と三男に渡したんだと。母親は長男と同居するらしい」「そうですか。ということは、これから母親の生活も長男が面倒みるわけですね」

 

「そういうことになるな。長男と母親がすべての負担を背負ったっていうことだ。自宅はいずれダンディーさんが相続するらしいから、遺言状の手続きはそっちで手伝ってやってくれ」「わかりました」

 

「それはそうと、こういう相続トラブルはしょっちゅうあるものなのかい?」「しょっちゅうではありませんが、珍しくもないですね。今回は1年でカタがつきましたが、3年、5年ともめているケースもあります」スーさんが言う。

 

「それはひどいな。なんでそんなに長引くんだい?」「ゴネる人がいるんです。デパートやお菓子屋で子どもが駄々こねることがあるじゃないですか」「おもちゃ買って、お菓子買って、の駄々かい?」

 

「そうです。それと同じことをやるんですよ。遺産があるとわかり、欲しい、もらいたいとゴネる。当然、他の相続人は拒むわけですが、ゴネるほうもしぶとくゴネ続けて長期化します。すると、母親が根負けしておもちゃやお菓子を買うように、家族が折れる。気心知れた家族だからこそ、そういうわがままが通り、ゴネ得となることがあるんです」「甘えだな」「ですね」スーさんはそう言い、笑った。

 

「防ぐ方法はないのかい?」「遺言状を書いた上で、しっかり家族で話し合っておくしかないでしょうね」

無理を押し通した「代償」は計り知れない

電話を切り、私は大きくため息をついた。亡くなった父親は、まさか子どもたちが相続でもめることなど想像していなかっただろう。もめるほどの財産はない。そう思っていたのかもしれない。

 

実際、財産の額は大きくなく、相続税もかからなかった。しかし、相続税はなくても相続はある。税金が発生するかどうかと、相続を巡ってトラブルが起きるかどうかは、実はあまり関係ないことなのだ。

 

「ゴネ得」と、スーさんは言った。その通りだと思った。次男は自分のわがままを通した。その様子を見て、三男もゴネた。やっていることは子どもと同じだ。「あの子がおもちゃ買ってもらった。だから自分も買って」そうやって駄駄をこねる子どもなのだ。

 

しかも、次男と三男は欲求を貫いたのに、家族はバラバラになった。そこが最も心苦しいところだ。仮に父親が遺言状を書いておけば、あるいは財産の配分について家族と話し合っておけば、このような末路をたどることは防げたかもしれない。財産について話し合うのは決して難しいことではない。それだけに、最悪といってもいい結果になったことが残念でならなかった。

 

相続でもめるのはお金持ちだけだと思っている人もいるが、それは違う。むしろ、私が実際に担当したり、スーさんのような友人たちから見聞きした例を踏まえると、相続税がかからない相続や、かかるかどうか微妙な額の相続で、トラブルになることが多い。その理由は、相続についての話し合いをしていないからだ。

 

ある程度のお金がある家は、相続の配分でもめるかもしれないという警戒心を持っている。だから、あらかじめ話し合いをする。そこである程度でも家族の合意がまとまるから、いざ相続となってももめないのだ。

 

一方、ダンディーさん一家のように相続遺産が少ない場合、まさかもめるとは思わず、話し合いをしない。「分けるほどの額でもない」「うちは庶民だから相続は関係ない」などと思ってしまう。実はそこに問題がある。

 

亡くなる人にとっては少額のお金でも、相続人から見れば喉から手が出るほど欲しいお金かもしれない。いくらかでもお金があると知れば「もらえるならもらいたい」と思うだろうし、兄弟の誰かがもらえば「自分ももらいたい」と思う。それが人間というものだ。

 

次男は今頃何をしているのだろうか。きっと外車を乗り回して毎日を満喫しているのだろう。三男もきっと、棚からぼたもちで得たお金でちょっとした贅沢を楽しんでいる。人の価値観はそれぞれだ。どんな風にお金を使おうとその人、その夫婦の勝手である。

 

しかし、そういった満足感のために、彼らは家族の絆を犠牲にした。もはや兄の信頼を取り戻すことはできない。母親の愛情を取り戻せない。もしこの先、次男や三男がお金やそれ以外の面で困ったとしても、無条件で手を差し伸べてくれる家族はいない。いなくなったのではなく、彼らが自主的に捨てたのだ。

 

そのことを、いずれ彼らは悔やむのではないか。ゴネることで相続できたお金は大金かもしれないが、そのために捨てた代償はとてつもなく大きかったと私は思う。

炎上する相続

炎上する相続

髙野 眞弓

幻冬舎メディアコンサルティング

裁判沙汰になったトラブルの3割が遺産総額1000万円以下⁉︎ 「ウチは大丈夫」と思ったら大間違い! 6つの炎上エピソードから学ぶ「円満相続」の秘訣 相続でもめたあげく、兄弟姉妹が憎しみ合い、絶縁状態になってしまうこ…

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