相続はお金持ちだけに関係がある話。そう思っている人は多いようだ。しかし実際は違う。亡くなった人に多少でも預金があったり、家や土地があったりすれば、財産の多寡にかかわらず、相続は発生する。このエピソードの相談者は、3兄弟の長男である。父親が他界し、当初は母親が預金と家を相続するはずだった。しかし、次男が遺産の半分以上を欲しいと願い出る。結果、長男は精神的にも経済的にも大きな負担を抱え込み、兄弟がバラバラになってしまった。※本記事では、税理士の髙野眞弓氏が、自身の経験もとにした「争族エピソード」を紹介する。

「簡単に言えば、相続でもめそうな一家がありまして」

知り合いの弁護士から電話がかかってきたのは、まだ肌寒さが残る4月の初めの頃だった。

 

「先生、弁護士のスーさんから電話です。相談があるそうで」電話を取った事務所のスタッフが言う。私は嫌な予感がした。スーさんとは付き合いが長く、年は私より少し下だ。仕事でもプライベートでも仲よくしているが、彼の「相談」や「お願い」はとにかく面倒なものが多いのである。

 

「はいよ」私は警戒しながら受話器を取った。

 

「センセイ、ちょっとお願いがあるんですが、手を貸してもらえませんか」スーさんがさっそく切り出す。「また面倒な案件を抱えたな?」「いやいや、面倒じゃないです。センセイの腕があればちょちょいと片付く話なんですよ」

 

「本当かよ」私は疑った。「本当です。簡単に言えば、相続でもめそうな一家がありまして、その税務処理を引き受けていただけないかと思いまして」「あ、さっそく噓をついたな。もめそう、じゃなくて、もうもめているんだろう」

 

「さすがセンセイ、察しがいい。顧客の1人から相続の配分について相談を受けたのですが、どうやら3兄弟のうちの1人が『もっとよこせ』と言っているらしいのです。とりあえず、相談者にセンセイのことを紹介しますので、話だけでも聞いてあげてください」スーさんはそういうと、言いたいことだけ言って電話を切ってしまった。

 

「相続のもめごとですか?」スタッフが私に聞く。「そうらしい。取り分を巡って兄弟でもめてるんだとさ」「引き受けたんですか?」「引き受けさせられたよ」「いつものことですね」スタッフはそう言って笑った。そろそろスーさんとの付き合い方を考えなければならない。私は割と本気でそう思った。

3兄弟で遺産を均等に分割するはずが…

相談者が事務所にやってきたのはそれから3日後のことである。相続権を持つ3兄弟の長男で、大手企業に勤める50代の会社員だった。

 

「どうぞお座りください」私がそう勧めると、彼は軽く礼をして浅く腰掛けた。「ありがとうございます」彼が言う。低くて渋い声だった。よくみると身なりもよく、育ちのよさが表れるダンディーな雰囲気であった。

 

「相続の配分について相談があると聞いています」私は早速切り出した。「はい。先月、父が亡くなり、その際に相続が発生しました。その件に関して相談に乗ってもらえないかと思いまして」ダンディーさん(仮名)が言う。そして、「相続といってもたいした資産はないのですが」と付け加えた。

 

相続の内容を聞くと、長男の言うように、決して多額ではなかった。内訳は、預金800万円、母親名義の自宅、賃貸用として持っていた都内のワンルームマンションが1部屋である。母親名義の自宅は千葉県にあり、相続財産の評価基準となる路線価も高くない。

 

「千葉の家には私と家族が住んでいます。母親はワンルームマンションでひとり暮らしをしています」「一緒には暮らしていないのですね」「ええ。千葉の家はちょっとした丘の上にあって、道から家の玄関まで長い階段を上がらなければなりません。母には負担が大きいだろうということで、3年ほど前から父と一緒に賃貸用として持っていたマンションに住んでいました」「なるほど」

 

ざっと相続遺産を計算したところ、総額は2000万円ほどになった。妻と3人の子どもがおり、基礎控除額の範囲内の相続であるため、相続税はかからない。そう伝えると、「そうですか」とダンディーさんは小さく頷いた。おそらく相続税が発生しないことは事前に調べていたのだろう。つまり、相談したい理由が別にあるということだ。

 

「それで、相談とはどんなことですか?」私は単刀直入に聞いた。「はい。恥ずかしい話なのですが、兄弟の中で遺産をどうやって分けるかについて話がこじれていまして」ダンディーさんは少し顔をしかめ、そう答えた。

 

相続の配分は、法定相続分が分け方の目安になる。このケースでは、配偶者である母親が半分、残りを3兄弟で1/3ずつ分ければ話は丸く収まる。「兄弟の誰かが、1/3ずつでは不満だと言っているわけですね」私は聞いた。

 

「ええ。次男が『1000万円欲しい』と言っているんです」

 

「1000万?」私は思わず聞き返した。そして、これは私の悪いくせなのだが、何かそこに複雑な事情や理由がありそうな気がして、少しワクワクした。

 

おそらくスーさんは、私が面倒くさがりであると同時に、そういう性格も持ち合わせていることを知っていて、このような話を持ってくるのだろう。ダンディーさんには悪いのだが、人間の欲が見え隠れする話を私は割と好むのである。

次男の言い分「奥さんは1000万円相続したのに」

「何か事情がありそうですね」「はい。父が亡くなり、遺産をどうするか兄弟3人で話し合いました。その際、三男は『自分はいらない』と言いました」「放棄するということですね」

 

「はい。母は年金暮らしなので、生活費として貯金が必要です。また、亡くなった父は次男だったので、これからお墓を建てたりしなければなりません。千葉の自宅には私と家族が住んでいますし、マンションに母が住んでいますので、それを売るわけにもいきません。そういうことを考えて、母親の生活を第一に考えようということになったんです。私もその考えに賛成でした。ところが──」

 

「次男ですね?」「ええ。法律上、自分には相続する権利があるということで、そこで意見が割れてしまったんです」「確かに、法律上は相続する権利がありますので、次男さんが言っていることは間違いではありません。ただ、相続財産はざっと見積もって2000万円ほどです。つまり、法律を目安にするなら、次男さんが受け取る財産は333万円くらいです」

 

「はい。私もそう思いました。次男がそんなに持っていけば、母親の生活に支障をきたします。そう伝えたのですが、1000万だと言って譲らないのです」

 

「1000万円という金額はどこから出てきたのですか?」「父が亡くなる1年ほど前、次男の奥さんの親が亡くなりました。その奥さんの家が割と裕福だったようで、次男の奥さんが現金で1000万円相続したんです」「なるほど。それが基準になっているわけですね」

 

「はい。次男がいうには、奥さんは1000万円相続したのに、夫である自分にはこれという相続がない。それでは顔が立たないということで、1000万円もらいたい。そういう話なのです」

 

次男としては譲れない部分なのだろう。夫には夫のメンツがあるものなのだ。しかし、無茶苦茶な言い分だ。私は会ったことのない次男に呆れてしまった。当たり前の話だが、相続の金額は他人と比べるものではない。その家、その家によって資産の額も違う。相続は、メンツのためにあるものではないのだ。

 

「困りましたね」私はため息交じりにそう呟いた。「はい。困りました」ダンディーさんもそう言い、大きく息をついた。私は本当に困っていた。というのは、税理士の仕事は税金の計算であり、配分などでこじれた場合の交渉は私が立ち入る領域ではなかったからだ。「とりあえず、相続税の計算はこちらで引き受けます。金額が出たところで、改めて配分について考えましょう」私はそう言い、その日の相談は終わった。

 

「さて、どうするか」私は独り言をこぼし、うまい方法がないか考えた。預金は母親の生活費として必要だ。仮に分けるとしても、800万円しかないわけだから、次男が求める1000万円には届かない。そうなると、自宅かマンションを売却しなければならない。しかし、いずれも家族が住んでいる。しばらく考えたが、次男に引いてもらうこと以外、これという案は思い浮かばなかった。

「相続」で味を占めてしまった次男夫婦

2日後、長男が再び事務所に来ることになった。相続税の金額が出たところで、改めてダンディーさんにどうするか聞く。その前に、私はスーさんに電話をかけた。いい解決策が思いつかない憂さ晴らしに、文句でも言ってやろうと思ったからである。呼び出し音が鳴り、すぐにスーさんが出た。

 

「ダンディーさんから詳しい話を聞いたよ。『ちょちょいと片付く話』じゃないぞ」私はそう言ってやった。

 

「すみません、センセイ。ダンディーさんとは長い付き合いで、どうにか力になれないかと思いまして」「力になれるかどうかはこれから考えるよ。それはそうと、こういう交渉ごとは弁護士の領域なんじゃないのかい? 相続財産を計算したけど、相続税も発生しないよ」

 

「そうなんですよね。法廷に持っていって決着をつけられればいいのですが、何しろ額が小さいもので、私としても持っていくのが恥ずかしいんですよ」スーさんはそう言った。どうやらメンツが気になるのは次男だけではないようだ。

 

「どいつもこいつもメンツが大事なんだなあ」「まあ、そう言わないでください。それでセンセイ、どうするつもりですか?」「次男に引いてもらうしかないだろうなあ」私はそう答えた。母親や長男の希望を叶えると、丸く収める方法はそれしかない状態だったのだ。

 

それからしばらくして、ダンディーさんがやってきた。私は彼を部屋に通し、相続財産の金額や、相続税が発生しないことなどを伝えた。ダンディーさんは淡々と聞いていたが、表情は暗く、疲れが溜まっているように見えた。

 

「兄弟のことに口をはさむつもりはないんですがね」私はそう前置きし、ダンディーさんにアドバイスをした。「もう1回、お母様と兄弟でちゃんと話し合ったほうがいいと思いますよ」「そうですね。ただ、次男も強情なんです。あの後も一度電話で話したのですが、とにかく1000万もらわないと困るんだと譲らなくて」

 

「なんでそんなにこだわるのでしょうか?」私は聞いた。無理を承知で主張するのは、何か大きな事情があるからだろうと思ったからだ。誰だってお金は欲しい。それにしても異常に執着しているように感じられた。

 

「次男夫婦の間でパワーバランスみたいなものがあるのでしょう。結婚したときから、うちは普通の家庭、向こうは金持ちといった劣等感のような意識があったのだと思います。次男はもともと見栄っ張りな性格でした。それもあって、なんとか差を埋めなければいけないと思っているんです」「そんなもんですかねえ」

 

私はいまいち理解できなかった。他の家と競うならともかく、家庭内で見栄を張ってもしょうがないだろうと思ったからだ。

 

「あとは、車ですね」ダンディーさんが言う。

 

「車、ですか」「ええ。次男はずっと国産の中古車に乗っていたのですが、奥さんが相続したお金で新車に買い替えたんです」「高い車ですか」「そう思います。外車ですからね。次男も、最初は車なんかいらないって言っていたのですが、まんざらでもなさそうでした。自分は車をもらった。手ぶらでは帰れない。そういう思いもあるのだと思います」

 

「もしかして、奥さんも見栄を張る人なのですか?」「どちらかというと、そうですね。裕福な家に育ったこともあり、プライドが高いのでしょう。外車にしたのも、ご近所さんや友達の目を気にしたのだと思います。その点でみれば、似た者夫婦です」長男はそう言って笑った。

 

問題の全景が見えたような気がした。1000万円欲しいというのは、次男の要望であると同時に、次男の妻の要望でもあるのだろう。妻の親が亡くなり、相続でまとまったお金が手に入ったことにより、夫婦はちょっとした贅沢を味わった。外車に乗ったりすることで自己満足を得て、それが快感になった。だから、今回ももらえるものはしっかりもらいたい。夫婦の間でそういう意思が固まったのだろうと思った。

 

プライドと欲のために1000万円を要求…
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炎上する相続

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髙野 眞弓

幻冬舎メディアコンサルティング

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