誰もが迎える死を、人はどのように受け入れればいいのでしょうか。書籍『胎児のときから歩む一生』では、私たち人間が生涯の段階として必ず通るところを「胎児期・乳幼児期・児童期・思春期・青年期・壮年期・高齢期・終末期」の八期に分け、人生とその時期に関わってくる大切な人々について考察します。本記事では、そのうちの「終末期」を取上げます。

熱心な仏教信者だった義母の言葉

生存競争の日々の明け暮れに、気が付いたとき、体がカチカチに固まっている。心が萎んでいる。やる気がない。そんなときの自分の歪んだ顔を鏡で見たとき、「私は限界。もうここまで」と、ストップサイン。心が「戻りなさい」と言っている。どうしたらここから抜け出て、前の自分に戻るのかを必死に考える限界点。

 

このような、ストッパーとなる時を定めることができたのは、幾度も繰り返された、自分の「心と体」の過信から、生死をさまようような危険を体に与えたり、常に心が弱く、少しのことでも傷つき悩み苦しんだ、長い日々が有ったからである。

 

その弱い自分を克服し、生き続けることが出来たのは、私の産んだ4人の子どもたちへの愛と、宗教を持つことができたからである。この世に産み残した子どもへの義務と責任と愛しさが、私の弱い「心と体」を支え続けてくれて、子どもへの強い母性を引き出したのが宗教の教えからであった。

 

夫の母、義母は熱心な仏教信者であり、信仰するその仏教教団はブッダの根本仏教を基に法華経を伝えていて、草創期から熱心な信者でもあった。しかし、長男の嫁の私は信仰を受け入れることを拒んだ。

 

結婚後の間もないころ、我が家の屋上に、教団の連絡所の新築があり、落成式当日開祖先生へ、「長男の嫁だからご挨拶に出るように」と義母に言われても、かたくなに、「私は信者ではありませんので」と断り続け、「宗教は個人の自由」との一点張りだった。そのような私の心を打ち砕いたのは、4人の子ども一人ひとりの出生時の出来事であった。

 

長女の場合、妊娠の初期に突然に出血があって流産になるところを、緊急入院し、なんとか10カ月を維持して、出産を迎えられたのだが、その10カ月の日々の生活の不安と恐怖は筆舌に尽くしがたい。ちょっとした体調の変化にも「もしや流産では」と不安に脅える私を支えてくれたのが義母の言葉であった。

 

「大丈夫よ。ご先祖様に無事に生まれますようにとお祈りすれば、お経をあげると心が落ち着くわよ。守ってくださるよ」

 

日々に募る精神の不安定に苦しむようになっていた私は義母の言葉にすがる思いで、先祖に朝夕お胎の子の無事出産を祈り、手を合わせるようになっていった。子どもは無事に予定日に生まれた。

 

勝手なもので、子どもが生まれると赤ちゃんに関わる日々に追われて、生まれるまですがったご先祖への祈りはパッタリと忘れていった。商店の長男の嫁としての繁忙な日々に加わった新生児の育児との格闘に心の余裕は失われ、他のことを考えたり、思い浮かべることすらもない私になっていった。

 

次女の場合、予定の1カ月も早い、正月の終わりのころ、やっと一日の区切りをおさめて、コタツに足を入れてホッとしたとき、突然に下腹に異常な激痛が走った。

 

「エッー、なに?」と、内心驚いたが、長女が小さな手を差し出して握ってきたので、何気ない笑顔で握り返したのだったが、心は不安に戦いた。陣痛にしては、1カ月早過ぎる。しかし、長女のときに経験したあの陣痛の痛みのように思える。「まさか」と打ち消すが、痛みは時間を追って強くなってくる。「これは普通でない。病院へ電話しよう。しかし、もう夜の10時近い。どうしよう」と、そんな思いが走るが、痛みは強くなる。

 

電話で様子を告げると、「陣痛かもしれない。早速来るように」とのこと。心の用意も何もない。出産準備用のカバンと夫の運転で病院に向かった。泣き叫ぶ長女に訳を話し、祖母と寝ることを約束させるのにも、気が焦る。「ママは少しの間病院に入っているので、その間はパパと一緒に過ごす」ことを度々伝えてはいたのだったが、突然の事態に、すっかり私の心は仰天してしまって、説明もやっとの始末である。

 

そして病院に着くなり、出産が始まり、1カ月早くの未熟児すれすれの次女を産んだのだった。何が起こるか分からない。予想だにしなかったことが起きた。出産後、無事退院となり、次女を抱き我が家に戻ったのだったが、その後に次女のことで決定的に信仰を求めるようになる出来事が起きたのだった。

 

当時、退院後は家族が毎日、新生児の沐浴をした。義母がその役を受け持ってくれた。1月末日の誕生であり、体重も少なめの次女の体調を考えて、部屋は暖房でしっかりと適温を保ち、万全にして、お湯を使う気遣いだった。

 

その日もいつものように、お湯を使うのだが、最初から泣き出し、だんだん激しく声を上げていくのだった。少し様子の違う泣き方である。胸騒ぎがしてきたとき、突然「スプーンとお水を持ってきて」と義母の声の異様さに、はじかれたように飛び上がり、台所へ取りに行きながら、大変なことになったと咄嗟に思い、血の気が引いた。「赤ちゃんを助けてください」と、必死に願った。

 

「早く、先生に電話して、往診をお願いして」スプーンと水を手渡し、震える手で電話のダイヤルを回した。「赤ちゃんの様子がおかしいです。先生にすぐおいで頂きたいのですが」

 

受付の人は私の話を聞くなり、119番に電話して「救急車を呼びましょう。先生は留守です」「エッー」。万事休す、頭が真っ白で考えられない。その時、義母の声。「ご先祖様にお参りしなさい」。夢中で先祖を祀るご宝前にぬかずいた。「助けてください。赤ちゃんを助けてください」、必死に祈った。

 

ぬかずいて、祈り続ける私の背中に義母の声が飛んできた。「今スプーンの水を一口飲んだから」真っ白になっていた次女の顔は、ピンク色に変わっていた。次女の恐ろしい沐浴の出来事、それから後の育児にも恐怖を与える結果になって、咳き込んでは、心配でのぞきこんだり、静かだと、大丈夫かと、鼻に手をかざしたり、長女と次女を抱えた日々は、あれほど必死に祈り続けた、のに、また長くは続かなかった。

 

月日が流れ、三女の妊娠となったのだが、8カ月目に入った時、手前の丸太木に気づかず転ぶという、とんでもないことをしたのだった。母子の命が助かったことが不思議という壮絶な出産を、病院の医療チームのお陰で無事に1600グラムの三女を産んだのだった。

 

翌朝9時手術と、母体の命の限界が迫り、赤ちゃんを諦める、ぎりぎりの医学上の選択をすることになった、と医師の告知を受けて、まだ命ある我が子を母の私の為に命を絶つ恐ろしさに気づかされ絶望した。やっと私はお腹の中の子どもの命乞いの救いを求めて『訓訳妙法蓮華経』を初めて手に取り、誓ったのだ。「この子を助けられたら、これからの生涯は、“法”に捧げます」一睡もせず、繰り返し読み続けた。全身は汗と涙で全身がぐっしょり濡れている。

(拙著『東京新宿商家の子育て歳時記』「事故を乗り越えた奇跡の出産」より)

 

明け方奇跡が起きた。陣痛が始まったのだ。三女はこの世に無事誕生できたのだった。三女の出産により宗教を受け入れ、「法華経」を毎日読むようになった。法華経の偉大さまでは分からないものの、読み終わった後の自分の心が、なんとなく良いことをしたような、魂が清まったような思いになっていった。

 

そして、本書(『胎児のときから歩む一生』)「第一章 胎児期」で詳しく述べたように、四女が生まれた。「サァー。ママとご対面ですよ。可愛い女の子ですよ」と助産師が胸に抱かせてくれた。湯気の立つ我が子はなんと全身がピンク色で産毛が金色に輝いていたのだった。

 

この不思議な体験は、その後の親学の講演会や執筆活動に際して大きな支えになったとともに、折にふれてその原因は何故かを、求めたのだった。胎児と母の絆が臍の緒を通して結び合い、不安のない胎児の胎内の成長を促し、細胞の働きからの結果であったと分かり、納得したのであった。この大切なことを世の親たちに伝えたい、そんな思いから、親学会の発足に至ったのである。

「生まれたことは、避けて通れない死のあること」

今は、終末期をどのように表現するかであった。そして、その答えは、近い日に訪れるであろう「死」に臨んで、正直な心で表現することであるという結論に辿り着いたのだった。

 

2年前、「死は恐ろしい」というのが実感であった。「どのような死に方をするのか」。身近に見送った肉親や夫、親族の臨終を思い浮かべては不安になっていた。そのことが2年の間、頭の中に横切ったが、今は不安は消えた。どんな人びとにも必ず訪れる死に対して、もっと深く考えなくてはいけなかったことに気づかされたのであった。

 

「生まれたことは、避けて通れない死のあること」であった。このような大切なことに向き合わなかった自分の愚かさと逃げてきた自分の弱さを知った。

 

逃れられない真実から目をそむけて、おもしろおかしく生きた自分、そして余命いくばくもないのに、まだおもしろおかしさを夢見ている自分。私が81歳まで生きられたことは、なんと幸運だったのかと。私を産んだ母は54才で世を去った。父はなんとか、75才までだった。夫は76才。それなのに、81才まで生かされた自分を、まだまだ、と死にゆくことに逃げ回っている自分に気づいたのであった。

 

まだ、なんとかしようとしている自分。何かを夢見る自分。夢見ることは大切と、青年期に書いた。81才でも夢見てよいわけである。命ある限り、生きてゆく自分を大いに夢見るべきであり、命ある限り、希望は捨ててはいけないと、不安や恐怖と戦いながら、自分の死を覚悟し、受容できる心を育てながら、片やこれからの残り少ない生への夢と希望を保ち続けることが、人としての終末期であることの思いに至ったのである。

 

臨終の死者の顔はとても安らかで穏やかであると、多くの古今の言い伝えがある。そのことは、向かう世界が限りなく光り輝く世界であるからだという。

 

アカデミー賞外国語映画賞等を受賞した映画『おくりびと』の原作者、青木新門氏の新作『それからの納棺夫日記』に次のような文章がある。「死者の顔を気にしながら毎日死者に接しているうちに、死者の顔がほとんど安らかな顔をしているのに気づいた。特に息を引き取って間もなくの顔は、半眼の仏像とそっくりだと思った。中には柔和な顔に微光が漂っているようにさえ感じたこともあった」

 

青木氏の納棺夫として多くの納棺の時の体験を通しての誠実な関わりの著述に、深く感銘を受けたと共に、私の抱いていた死への恐怖が薄らいでいく思いだった。氏は述べている。

 

死への恐怖を取り去るには、死の臨床に立会い、死の実体を見ることである。死への恐怖は、死を恐れる観念の世界の問題であると。故に、死とは何かを知ることが大切なことである。

 

死について、ここまで明らかに表現されたのは、死とは何かを見つめ続けた、青木新門氏であればこそ、である。大勢の死者を、心を込めて送られた現実が故に、死の実体をここまで明らかにすることができたと思われる。

 

自分の誕生については、意識は無い。自分の死については、意識を伴う。死の実体を学ぶことによって、死への恐怖は無くなっていくことを、青木新門氏によって教えられた。とても有り難いことである。

 

迫り来る自分の死への心構えを学び、備えつつ、残された日々を精一杯、心豊かに、自由に、自分好みに過ごすことを考えてみた。どんな状態でも、自分の意識が保たれるその日まで、願いを込めて生き続けたい。

 

最後に、自身の終末に向かって常々から意識して“そのこと”を進め、見事に「プログラム」どおり、あの世に旅立ったあるデザイナー女史の紹介をさせて頂く。戦後、日本のウィンタースポーツファッション界でいち早くダウンを買い付け、美しいデザインをしたダウンジャケットの売り込みに成功して富を成した女性である。北海道入りはすべてメーカーが用意した専用機だったという。当時の活躍の様子がうかがえる。

 

晩年は仏師として仏像制作の道を選び、自作の仏像を背負い、インド、ネパールの巡礼の一人旅を終えた(『大法輪』に掲載)。私は敦煌の知人の紹介で知り合い、女史が亡くなるまで沢山の人生観を教えられた。

 

「一生には三回の慶事」

(一)誕生(両親がお祝いしてくれる)

(二)結婚(両人でお祝いする)

(三)あの世の旅立ち(一生懸命にこの世を生きた証のお祝い)

 

「第一は両親が可愛い洋服を、第二は夫と二人で素晴らしいウェディングの洋服を。二つのお祝いの門出には、ふさわしい服装を選ぶのに、第三のあの世の門出は、なぜかみんな一緒の葬儀屋さんの白装束でしょう。残念に思うの。私は少なくてもデザイナーなの。精一杯美しく装って行くつもり」

 

「昨夜できたのよ。夜中だったけど体に当てて帽子をかぶり、鏡の前に立ったら、ちょっと変な気持ちになったの。アハハハハ!」

 

「私、仏師なの。お釈迦様のおそばに行くので、沐浴をして行きたいの。そのために必ず浴槽はいつも水を張ってあるのよ」

 

ある年の桜咲く夜明け、自身がデザインした美しい装いをし、しずかに浴槽に横たわり、あの世に旅立った。

 

終末期の関わり

 

一 「我が人生に悔いなし」への自己の心の確認を。

1「父母との出会い」

2「妻との出会い」

3「夫との出会い」

4「我が子との出会い」

 

一 全ての出会いは「縁」から。その縁は自己の意志が求めた。

 

一 今日まで生きてこられたのは周りの人々が私を支え、助けてくれたお陰さま。

 

一人ひとりに心から感謝を込める。

 

一 光の国(あの世)の入国パスポート(一生懸命生きた各自の証あかし)を持って趣く心の覚悟を。

 

 

益田晴代

NPO親学会 理事長

 

胎児のときから歩む一生

胎児のときから歩む一生

益田 晴代

幻冬舎

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