※本記事は、2019年8月20日に楽天証券の投資情報メディア「トウシル」で公開されたものです。

リブラが問いかけるもの

Facebook社が、暗号資産を使った決済システムである「リブラ(Libra)」の構想を発表して、各方面で話題を呼んでいる。

 

率直な印象を言うと、今のところ、特に金融規制当局筋をはじめとして、リブラに対しては「懸念」のコメントが多い。アクティブなユーザーだけで全世界に15億人いると言われるFacebookの規模が各方面に戸惑いと不安を呼んでいるのだろう。

 

我々は、リブラをどう考えたらいいのだろうか。

 

リブラの詳しい仕様は明らかになっていないし、本稿の目的は現実のリブラそのものやFacebook社を評価することにある訳ではないので、ごく簡単に現時点で明らかになっているリブラの特徴を述べる。

 

(1)リブラは数十社の出資者を持ちスイスに置かれるリブラ協会で管理される

(2)リブラが発行される際には同価値の先進国通貨の短期国債のような資産がリブラ協会側で保有される

(3)リブラの取引は全てブロックチェーンに記録され管理される

(4)当面リブラに利息は付されない

 

といった決済手段としてリブラは存在し、

 

 

(5)Facebookのユーザー等で一定の条件を満たした人がリブラの口座をもつことができる

(6)口座間で(たぶん)ローコストで国際的なリブラのやり取りが可能になる

 

リブラは、複数の先進国通貨資産の裏付けを持つので、こうした裏付けのないビットコインのような暗号資産よりも価値が安定的で経済取引に使いやすいものになると推測される。通貨としてのリブラのイメージは、先進国の通貨バスケットに価値が連動するIMF(国際通貨基金)のSDR(特別引き出し権)に近い。

 

「スマホにインストールされたSDR」を世界中の人々が手軽にやり取りできるのだとすると、これは確かにすごい。

 

リブラ協会とFacebook社がどこまでやるのか、また、世界がそれを認めるのかという問題はあるが、取りあえず自由に想像すると、送金も、決済も、外国為替も、既存の金融機関、金融システムに取って代わることができるし、リブラのシステムの上に、融資、保険、さらには投資といったさまざまな金融ビジネスを乗せることが可能だろう。仮に、それぞれの分野のビジネス間でお互いが持っている情報を自由に利用できるなら、個々のビジネス分野における競争力は圧倒的だろう。

 

現実には、リブラおよびリブラ関連のビジネスが、そこまでの自由を許されることはなさそうだ、と筆者は思う。また、ここで想像したようなリブラ的ビジネスを将来実現するのが、Facebook社やリブラ協会であるのかも定かではない。

 

さて、極限まで自由に拡大し効率化されたリブラおよびリブラ関連ビジネスを、総称して仮に「究極のリブラ」と呼ぶことにしよう。

 

なお、現時点では、「究極のリブラ」に最も近いビジネスは、中国のアリババグループのアント・フィナンシャルだろう。億人単位のユーザーを擁してデータを多角的に利用して、キャッシュレス決済、eコマース、個人の信用判断とローン、資金運用などが、すでに一体的にビジネス化されている。こうしたビジネスが、Facebookのユーザー規模と地域的拡がりをもって自由に展開され、さらに技術進歩が加わった状態を想像すると、筆者が想像する「究極のリブラ」に近い。

顧客側から見ると「究極のリブラ」は正義だ

「究極のリブラ」はどう評価されるべきなのだろうか。

 

現時点のリブラ構想については、世界的・世間的に懸念の声が多いことは冒頭で述べた通りなのだが、筆者は敢えて「『究極のリブラ』こそが正義だ」という仮説を立ててみたい。

 

ライバルとなる金融ビジネスや金融監督当局の側からではなく、顧客の側から見ると、「究極のリブラ」はローコストで圧倒的に便利な手段であり、これを利用できないことは、「消費者のメリットを阻害する規制(ないしは障害)」の位置づけになる。

 

銀行業界には申し訳ないが、「究極のリブラ」の側から見ると、例えば送金や外国為替で、これまで、銀行は、顧客に不便(面倒な手続き、送金に掛かる少なからぬ日数・時間など)を強いながら、サービスの実体から見てひどく高い手数料を貪ってきたといえる(許認可業種だったから可能だったのだろうが)。こうした非効率的で不公平なビジネスが成立できなくなることは「いいこと」だ。

 

各種の取引の決済も、送金も、借金も、資産運用も、リブラのプラットフォームの中で、高度な技術に支えられて、ローコストかつ手軽にできるようになるなら、ユーザーにとっては、既存の金融機関のサービスを利用するよりも遙かに便利だろう。

 

また、マネーロンダリングの問題に関しても、取引が可視化も記録もされない、ある意味では不正の温床である既存の高額紙幣(つまり現金)よりも、「究極のリブラ」の方がよりコントロール可能なはずだ。ブロックチェーンですべての取引が記録され管理されるのだから、技術の進歩の下で不正な取引に絡む決済は管理可能になるのではないかと期待できる。

 

もちろん、この際に、個人のプライバシーが問題になったり、不正を行う側との技術競争が起こったりするだろうが、同質の問題は過去にもあった。リブラに特有の問題ではないし、「すべてが記録される」という点において、リブラは、むしろ、より正しくある上で好条件を備えている(もちろん、善意の管理者が存在する場合であって、悪人がリブラを管理する場合はこの限りではない)。

 

「究極のリブラ」が象徴する将来の金融ビジネスは、顧客の側から見て「正義」(経済的により効率的で満足度が高い)であり、この正義は、時間が掛かっても、あるいはFacebook社以外の主体が推進者となるとしても、徐々に実現していくと考えるべきものだろう。

「究極のリブラ」に駆逐されそうな金融関連ビジネスのリスト

「究極のリブラ」は一気に実現するものではなさそうだが、徐々に実現していくと考えるべきだろう。5年掛かるのか50年掛かるのか分からないが、「究極のリブラ」の実現によって、存在意義が大きく変化しそうな既存の金融関連ビジネスをリストアップしてみた。

 

【駆逐されそうな金融ビジネスのリスト】

 

(1)銀行

送金・外国為替はもちろん、決済の情報を失って、融資・投資のビジネスでも「究極のリブラ」に劣後するようになるだろう。少なくとも、店舗や人間は大きく減るはずで、ビジネスとして存在意義が残らない可能性がある。銀行業にあっては「情報」で劣るようになることが決定的だ。

 

(2)証券会社

「究極のリブラ」のプラットフォームに乗りつつ、証券取引を仲介するビジネスは存在するだろうが、ゆくゆくは「究極のリブラ」に吸収されるビジネスだろう。

 

(3)証券取引所

証券をリブラ建てでリブラのプラットフォーム上で取り引きすることは可能だろうし、上場審査のような情報力を必要とする分野では、取引所よりも、「究極のリブラ」の側に優位性がある。証券取引所は、将来、存在意義自体を問われるビジネスになるかも知れない。

 

また、そもそも、「株式」や「債券」といった、ファイナンスの手段自体が、「究極のリブラ」のプラットフォーム上で、より便利なものに再発明される可能性が大きい。

 

(4)保険会社

「究極のリブラ」は、例えば、個人に関して圧倒的な情報量を持つはずだから、これを利用できない既存の保険会社に対して優位な競争力があるはずだ。もちろん、プラットフォーム上の保険販売のコストも安いはずで、「究極のリブラ」の側が「正しく行動するなら」競争力では負けようがない。保険業界にあっても、人間が大量に不要になる可能性は大きい。

 

(5)運用会社

「究極のリブラ」以前に、判断に一貫性のある(つまり選ぶに足る必要条件を満たす)運用は、判断基準がルール化でき、機械化・自動化(俗な言葉で言うと「AI化」)でき、このルール自体がディープ・ラーニングの対象になって進歩するので、運用業務に必要な人間は減るはずだ。

 

また、顧客にとって必要なものは、最終的には「ポートフォリオ」であって、「人間の関与するサービス」ではないのだから、運用ビジネスは、AI化されつつ「究極のリブラ」のプラットフォームに乗るだろうし、想像を延長すると、「究極のリブラ」に吸収されそうだ。

 

(6)中央銀行

将来、リブラ建ての貸し出しによる信用創造がどのように起こるか、これを誰がコントロールするかが問題になる。現状ではリブラ協会はリブラに付利せず、ハードカレンシー建ての安全資産の利息はリブラの運営費その他に振り向けられることになっているが、将来ハードカレンシーの金利が上昇すると、金利変動によってリブラの価値が不安定化する可能性がある。

 

将来、リブラにも金利を付ける方が価値の安定を得やすいと思われるが、そうした状況を仮定すると、リブラの金利の上げ下げが「世界の政策金利」の役割を果たすようになる可能性が想像できる。金融政策にあって、FRB(米連邦準備制度理事会)よりもリブラ協会の影響力が大きくなる可能性がないとは言えない。

 

「個々の中央銀行の属人的政策決定に影響を受けていた昔よりも、リブラのシステムの方が可視化されていて民主的に金融政策が決まるので良い」などと将来言われるようになるのだろうか。

 

金融マンとして、中銀マンも「究極のリブラ」の前には安泰ではない。

過渡期に起こるのは金融マーケティングの極端な強化

何度も言わねばならないが、「究極のリブラ」の状況は急に実現するものではない。しかし、完成像がイメージされうる以上、部分部分が、徐々に実現していくことは避けられないと考えられる。

 

金融ビジネスの経営者は、想像される「究極のリブラ」を鏡に見立てて、自らのビジネスの再創造と舵取りを考えていかなければならないだろう。

 

さて、少し現実に近づいた近未来を想像してみよう。

 

上に挙げたような金融ビジネスおよびそこに属する金融マンが、「徐々に苦しくなってきた時」に、何が起こるだろうか。

 

それは「金融マーケティングの極端な強化」ではないかと、筆者は危惧している。

 

具体的な会社名は挙げないが、最近のニュースを賑わせているような、保険商品や投資信託などの金融商品が不適切に販売されている事例を見ると、既存の融資や有価証券投資で十分な収益を得る事ができなくなった金融機関が、店舗や人員の維持のために、なりふり構わない様子が分かる。

 

会社の単位でも、金融マン個人の単位でも、自らを養うために「背に腹は代えられない」状況に立って、手数料稼ぎに走っている。

 

筆者が懸念するのは、セールスマンの過剰な頑張り(これも軽視すべきではないが)だけでなく、個人のデータが着々と集まり、その加工技術が発達する中で、金融商品のマーケティングにあって、データ利用が急激に発達することだ。

 

個人は、これまで以上に正確に狙われ、巧妙に仕掛けられる金融商品のセールスに相対しなければならない。

 

もちろん、金融に関する知識の強化も必要だし、高度化する金融マーケティングを大いに疑う精神的な態度をキープすることも重要だ(甚だ微力ながら、筆者は両方のお役に立ちたいと思っている)。

 

読者には、将来の「究極のリブラ」が実現すべき金融ビジネスの理想像を想像し、現在の金融ビジネスや金融商品・サービスにいかに無駄が多いかを理解することと共に、「究極のリブラ」が個人に対して持つコントロール力を現在の金融ビジネスが身につけようと努力していることの恐ろしさに思いを馳せて欲しい。

 

 

山崎 元

楽天証券経済研究所

 

※本記事は、2019年8月20日に楽天証券の投資情報メディア「トウシル」で公開されたものです。

 

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