ギャンブルは、全体の収支が常にマイナスなので…
日本では原則として賭け事は禁止されていますが、それはあくまでもタテマエに過ぎません。公的な財源確保を目的に公営ギャンブルが大規模に運営されているほか、民営のパチンコも実質的にはギャンブルとして機能しています。
ここまで一般的に国民にギャンブルを開放している先進国は他になく、日本は世界でも屈指のギャンブル大国といってよいでしょう。
読者のみなさんの中には、ギャンブルを家計の足しにしたいと考えている人がいるかもしれませんが、そもそもギャンブルで稼ぐことはできるのでしょうか。また、ギャンブルと投機的な投資はよく同一視されますが、ギャンブルと投資はどう違うのでしょうか。
ギャンブルとは何かと問われた時、多くの人は漠然としたイメージならすぐに思い浮かぶと思います。しかし、何がギャンブルで何がギャンブルではないのかという厳密な話になると、案外答えに窮(きゅう)するのではないでしょうか。
ギャンブルとはお金を賭けて勝ち負けを決め、勝者が一定割合のお金を受け取れるシステムのことを指します。もう少し細かくいえば、賭けの参加者が賭けたお金の総額から、賭け事の主催者(これを胴元と呼びます)の利益(テラ銭)を差し引いた金額が勝者に分配されます。
公営ギャンブルの代表である競馬の場合、胴元であるJRA(日本中央競馬会)の取り分は25%ですから、75%が勝者に配分されています。
常に胴元が一定割合の利益を差し引きますから、参加者全体の収支は確実にマイナスとなります。こうしたゲームを経済学的に説明すると、利益よりも損失が大きい「マイナスサム」ということになります。
全体の収支が常にマイナスということになると、賭け事で利益を得るためには、残りの利益を他の参加者と奪い合い、そこで勝たなければいけません。
丁半バクチのような賭け事では、イカサマがない限り、勝率はほぼ2分の1となりますので、継続して他人を出し抜くことは極めて難しくなります。したがって、丁半バクチで勝ち続けることは理論的に不可能と考えてよいでしょう。
一方、競馬の場合には、勝つ馬を予想する能力が高ければ、他人を出し抜ける可能性がありますから、確率に依存しないように思えます。
しかしながら競馬の場合にはオッズというものがあり、強い馬の配当は低く、弱い馬の配当は高くなりますから、誰もが勝てると予測できるような馬を選択すると収支が悪くなり、収支を改善しようと弱い馬に賭けると、今度は負ける確率が上がってしまいます。
一連の状況を総合すると、競馬の場合にも、結果は確率的なものとなり、継続的に利益を上げることはやはり困難という結論にならざるをえません。
パチプロの戦略は、厳密にはギャンブルとはいえない
整理すると、ギャンブルというのは、胴元の利益を差し引いた収益を勝負で奪い合うゲームであり、これに加えて、勝負が偶然性によって決まる傾向が強いもの、と定義することができるでしょう。
胴元がどの程度の利益を差し引くのかによって全体的な収支が決まりますから、この割合が何%なのかで有利不利が決まります。
先ほど例に挙げた競馬は約25%ですが、パチンコはもう少し低く15%程度となっています。宝くじも一種の賭け事ですが、日本の宝くじの中には50%を主催者が取ってしまうものもあります。日本の宝くじは諸外国と比較しても主催者の利益が高すぎて、なぜこのようなゲームが社会に受け入れられているのか、外国人が不思議がるくらいのレベルです。
ギャンブルの場合、不労所得かどうかという以前の問題として、そもそも継続的に利益を上げることがほぼ不可能というゲームです。お金を稼ぐという目的でギャンブルをする合理的な理由はゼロといってよいでしょう。厳しいようですが、ギャンブルの不労所得レベルもゼロということになります。
パチンコで生計を立てる、いわゆるパチプロと呼ばれる人たちもいますが、これも厳密にはギャンブルとはいえない面があります。
最近は規制が厳しく、パチンコ店(ホールと呼ばれる)が、玉の出方を露骨に調整するケースは減っていると言われていますが、かつてはかなり恣意(しい)的に出玉が調整されていました。
パチプロの人たちは、ホールの経営戦略を先回りして、玉が出やすい台をうまく探し出すことで、継続的に利益を上げていました。これはホールと客の間で行われる一種の駆け引きですから、純粋なギャンブルとは少し性質が異なります。
また、ベテランのパチプロであっても、負ける時は負けますから、手元にかなりの運転資金がないと継続して打ち続けることができません。それなりの資金量と経験、時間が必要ですから、これは限りなくビジネスに近いものと思ってよいでしょう。
投機的な投資になるほど、ギャンブルに近づいていく
一方でギャンブルとは異なるものの、投機的な投資はよくギャンブルにたとえられます。ある投資がギャンブル的なのかどうかは、先ほどのギャンブルの定義に当てはめて考えればよいということになるでしょう。
たとえば株式投資の場合、売買には手数料がかかりますが、これはごくわずかな金額ですので、全体の収支にはほとんど影響しません。したがって株式投資は、胴元が大きな利益を得ているギャンブルの定義には当てはまりません。
これに加えて株式投資の場合には、経済が成長して、株式を発行している会社の多くが増益となり、すべての株が上昇するということが十分にありえます。参加者全員が利益を得ることが、理屈上は可能ですから、誰かの利益を誰かが奪うという図式になるとは限りません。しかしながら、すべての投資がギャンブルとは違うと言い切ることもできません。
投資期間を短くすればするほど、誰かの富を誰かから奪うという図式が鮮明になります。先ほどギャンブルについて、参加者全体の収支が常にマイナスになるゲームなので「マイナスサム」になると説明しましたが、マイナスにはならないまでも、参加者全員の利益や損失を足し合わせると常に収支がゼロとなるゲームのことを、「ゼロサム・ゲーム」と呼びます。
短期的で投機的な投資というのは、マイナスサムにこそなりませんが、勝った人の利益は負けた人の損失とほぼイコールですから、限りなくゼロサム・ゲームに近づいてきます。おまけに短期的な投資の場合、株価の上下は偶然性に左右されやすくなりますので、この点においてもギャンブル的です(株価の偶然性については後述します)。
つまり、短期的な株式のトレードは、長期的な投資に比べてギャンブルに近い存在と考えることができます。この傾向がさらに顕著となるのが、外国為替証拠金取引(FX)やビットコインなど通貨に関する取引です。
通貨の場合、発行されている総量があらかじめ決まっていますから、市場参加者全員の利益や損失を足し合わせると、ちょうどゼロになります。FXやビットコインの手数料は、ギャンブルの胴元の利益と比べればかなり安いですが、ゲームそのものがゼロサム・ゲームとなっており、この点において株式投資とは大きく異なります。
さらに短期的な取引になると、偶然性に左右される確率が高いですから、FXや仮想通貨の短期取引は、かなりギャンブルに近くなっていくと考えてよいでしょう。
少々理屈っぽくなりましたが、ここまで細かい定義を覚えていなくても、世間一般においてギャンブル性が高いと思われている投資対象は、実際にそうである可能性が高いといってよさそうです。投資すること自体にはそれほど手間はかかりませんから、不労所得レベルが高い収益源ですが、投機的な投資はあまりお勧めできません。
加谷 珪一
経済評論家