自分のミスを潔く認め、改めて最善を尽くす
◆ミスを認める辛抱
一流と言われているプロ棋士でも、ミスはします。と言いますか、僕などはミスばかりしています。それはもう、嫌になるほど……。
でも人間ですから、ミスをするのは仕方がありません。ミスは出るものだとして構えておく必要があり、そのうえでどう対処するかが、勝負において非常に重要なテーマとなってくるのです。
ミスをした直後は「ああしておけば良かったのに、なんてバカなんだ」と後悔しますが、覆水盆に返らずで、やってしまったことはもう戻りません。反省は勝負が終わってからすることにして、その瞬間は目の前の「ここからどうするべきか」に集中するよりないのです。
具体的には、目の前の局面を「どういう状況であっても、なるべく同じ心理状態で見る」ことが大切でしょう。ミスをした、しないは関係なく、今この局面での最善手は何かということだけに意識を向けるのです。
どんな局面でも平常心を保ち、自然体で碁盤に向かうと言ってもいいでしょう。「平常心」と「自然体」は僕が大切にしている言葉で、常に心掛けていることでもあるのです。
僕の場合、「自分はまだまだ碁がわかっていないのだから、ミスをするのは仕方がない」と常に思っているところがあります。対局中はそれくらいの気持ちで割りきっていたほうが、気持ちの揺れ幅を小さくできるのではないでしょうか。
プロはよく「前に打った手の顔を立てる」と言います。ミスをして咎められそうになった時、そこで軌道修正したらそれまでに打った手が完全に悪手となってしまうので、もうその手を打ってしまった以上、どんな結果になろうとも当初の方針どおりに行くという考え方です。
この心理は、よくわかります。強くなればなるほど「前に打った手を効果的に活用したい」と思うのがプロですから。もし軌道修正したら、前に打った手は間違いでしたと自ら認めることになってしまいます。
ですから、ミスをしたことはわかっていても、なんとかその手に意味を持たせたい、完全に見捨てたくはないという心理で「顔を立てたい」と思ってしまうのです。
しかしこれは、傷口をさらに広げる結果となる可能性が大と言わざるをえません。ミスと言っても大した損ではなかったのに、そのわずかな損を惜しんだあまり、一局の碁を失ってしまった――これはとてもよくあるケースで、僕も何度となく痛い目に遭いました。そして敗戦の後「あそこで冷静になっていたら、まだこっちが悪くなかったのに……」と後悔するわけです。
だからこそ、ミスを認めて「どういう状況であっても、なるべく同じ心理状態で見る」ことが大切です。ドライに割りきって、自分がミスをしたことを潔く認める。今、目の前の一手に集中するのです。プロとして相当な屈辱ではありますが、それをできる人が勝者となれるのです。
その意味で将棋の羽生善治(はぶよしはる)さんは、そういう辛抱をされる方だと他の将棋棋士から聞きました。おそらくこの点が、羽生さんの強さの理由の一つなのではないでしょうか。
要は、感情を採るか、現実を採るかの問題です。棋士なんてプライドの塊みたいな人種ですから「間違いました、ごめんなさい。軌道修正します」とは、なかなか言えません。それで「この後をうまくやれば、なんとか取り返せるのではないか」との希望的観測を基に突き進み、気がついた時には取り返しのつかない事態になっているのです。これは、囲碁に限った話ではありません。
早めにカミングアウトし、平常心を保ちながら自然体で碁盤を見て、その状況から改めて最善を尽くす。これができる人が強い人なのだろうと思います。
「どういう状況でも、同じ心理状態で碁盤を見る」
◆基本姿勢は平常心と自然体
小さなミスなら早めにカミングアウトして立て直したほうが、好結果に繫がることが多いのですが、取り返しのつかないような大失敗をしてしまった時は、どうすればいいのか? 僕の場合、こうしたケースも非常に多いのです。
投了する(負けを認め、宣言すること)という選択肢もありますが、それはすべての可能性を断たれた時のこと。大きく形勢を損じたとはいえ、わずかでも逆転できる可能性が残っていたら、それを追い求めなくてはなりません。勝負手を放つということです。
大き過ぎるミスで形勢を損じてしまった場合には、尋常なことをしていては逆転できません。従って、「駄目で元々」の気持ちで一か八かの突っ込んだ手段を探し、それを実行していくことになります。
ただ、そういう状況でもあまりに無謀な手段を決行したら負けを早めるだけで、相手を利してしまいます。こちらの形勢が悪くても、じっと辛抱してついていったら、相手は「あれ、自分が思っているほど良くないのかな?」と疑心暗鬼(ぎしんあんき)になることもあるわけで、勝負手のタイミングと手段は非常に難しいのです。
なので僕の場合は、ミスの大小はあまり気にせず、その局面で何をすべきかを追求するようにしています。形勢が悪くても、今はまだ勝負手を放つ場面ではないと見たら辛抱し、形勢が良くても、ここが決め所と見ればリスクを恐れず最強手段を決行する――結局は「どういう状況であっても、同じ心理状態で碁盤を見る」ということで、これは僕が碁を打つうえで最も大事にしている基本姿勢なのです。