「常に納得した手を打ちたい」
◆プロは「読み」より「判断」で迷う
アマチュアの方と比べれば、プロは確かに多くの手を読むことができます。より遠くを見通すことができるので有利なことは間違いないのですが、じつは「読み」に限って言えば、プロならそれほど大差はありません。皆、ある程度のところまでは等しく読むことができるのです。
ただしそれには、「時間がたっぷりあれば」という条件がつきます。時間をかければ、プロなら誰でもそれなりに読めるということなのです。
しかし現在の対局には持ち時間という制限がありますから、読みきれるまで延々と考えているわけにはいきません。速く読めることがまずは絶対的なアドバンテージとなります。
その意味で、前回の記事で触れたとおり、脳に瞬発力がある若者が有利と言わざるをえません(関連記事『勝敗をわける「読みの力」…プロ棋士は何手先まで読めるのか?』参照)。彼らは瞬時に出来上がり図を導き出すことができるので、当然ながら正解にたどり着く時間も速く、その積み重ねである一局の勝負で結果を出せる可能性が高くなるわけです。
では「読みの速さと正確性」で勝負が決まるのかというと、それだけではないというのが、囲碁の奥深いところでしょう。
囲碁において最も重要なのは、その「読み」によって導き出した無数の出来上がり図を、どう判断するかなのです。プロの間でも差が出るのは、この「判断」の部分であると言っていいでしょう。
僕は棋士のなかでは時間を使うほうで、一手に一時間を費やすこともしばしばです。そしてこうした長考の時は、手を読むことに時間を費やしているのではなくて、出来上がった多くの図の中からどれを採用しようかと「迷って」いることがほとんどなのです。
なるべく速やかに決断しようと意識しているつもりではあるのですが、いざ難しい局面を迎えるとつい……。ほどほどのところで妥協すればいいのでしょうが「常に納得した手を打ちたい」と思っているので、どうしても突き詰めて考え、悔いのない「判断」をしなければ気が済まないのです。
読みよりも、迷いに費やす時間のほうが圧倒的に多い
◆時間の使い方
二日制対局(棋聖戦、名人戦、本因坊戦の挑戦手合七番勝負)は、持ち時間が八時間もあるので、自分が納得するまでとことん考えることができます。棋士にとっては至福の時間であるわけですが、これは三大棋戦の挑戦手合に限られた話で、基本は三時間、長くても五時間の一日打ち切り制となっています。
すると二日制対局のように、のんびりと考えているわけにもいきません。後半の勝負所で時間がないのはやはり不利ですから、前半の段階では結論が出ていなくても、ある程度のところで思考を打ち切って着手し、時間を後半に残しておく必要があります。
前の項で述べたように、僕は「納得した手を打ちたい」という願望が強いので、ついつい前半で時間を使い過ぎてしまう――その意味で僕は、長考派に属するでしょう。時間の使い方が、今の僕にとって大きなテーマとなっています。
誰でもそうですが、子供の頃はここに打ちたいとなったら考えるよりも先に手が出てしまっていたように、僕も非常に早打ちでした。その時より強くなって考える材料が増えたことで、徐々にノータイムとはいかなくなってきたのです。特に二日制を経験させてもらってから、「どんな局面でも納得した手を打ちたい」との思いを強く持つようになりました。
時間を使っている時は、読みに費やしているよりも、迷いに費やしているほうが圧倒的に多いと言えます。先ほど「読み」についてお話ししたように、読みそのものに関しては、プロならそれほど時間を要しません。読みの結果として浮かんだ想定図の中から、どれを選ぶかの比較で時間を消費(浪費と言うべきでしょうか)しているのです。
ただし、持ち時間を使いきって秒読み(一手を一分以内に打たなければならない)になっても、「一分あればなんとかなる」という自信があることも事実です。
秒読みだと迷っている時間はないので、否が応でも決断しなければなりません。そういう状況下のほうがかえって神経が研ぎ澄まされることもあるので、必ずしもマイナスばかりとは言えない一面もあるのです。
また、別物とまでは言えませんが、二日制八時間の碁と一手三〇秒のテレビ早碁とでは、やはり違う部分があります。三〇秒では必然的に読みの量が減るので、読める範囲が少なくなるのです。
従ってテレビ棋戦で結果を出すためには、詰碁で読みのスピードを鍛えたり、普段から研究会などで一手一〇秒の練習碁を打ったりして、瞬発力を高める訓練をして慣れておかなければなりません。