日本の交通事故補償の現場では、被害者に追い討ちをかけるような「保険料値切り」の実態がある。怪我や後遺症に対して不当に低い補償しか受けられない被害者は多い。「払いたくない」保険会社の手口は巧妙であり、国や裁判所を巻き込んで、制度を確立してしまっている。そこで本記事では、損保会社が行う自動車事故の示談交渉の問題点について取り上げる。

示談交渉を保険会社が一手に引き受ける矛盾と弊害

損保会社が行う自動車事故の示談交渉について、様々な問題点があることに注目してみたい。

 

そもそも損害保険会社が交通事故の示談交渉を行うようになった経緯はどのようなものかを見てみよう。昭和40年代頃から、我が国の自動車数の増大とそれに伴う自動車事故の多発化によって、任意保険加入者数も一気に増加した。このような状況の中で交通事故示談交渉も増えたのであるが、弁護士の人数が少なく、軽微な物損の示談交渉にも成立までに多くの日数を要する事態になっていた。実際、被害者だけでなく加害者からも多くの苦情が寄せられるようになっていたのである。

 

そこで欧米諸外国の保険会社にならって、我が国の保険会社も直接交通事故被害者と示談交渉を行うことで、被害者が早期に賠償を受けられるようにしたのがその経緯である。

 

ところでこの示談代行制度に関しては法律的な問題が指摘されている。それは弁護士法に抵触するのではないかという疑いである。第72条「非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止」という項目があるのだが、この第72条に示談代行が抵触するのではないかという指摘が早くから議論の的になっていた。

 

弁護士法第72条(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)

 

弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。

 

一言でいえば弁護士以外の人間が法律事務を行ってはいけないという法律で、このような行為を「非弁行為」として厳しく取り締まっているのである。第72条の内容をもう少し詳しく見てみよう。それによると非弁行為にあたるのは、「他人の法律事件」(この要件に関しては同条の他の項目に存在する)に関して「報酬を得る目的で」「業として」「法律事務」を取り扱い、これらの周旋をしてはならないということである。これらの要件をすべて満たすと非弁行為にあたり法律違反ということになるが、保険会社の示談代行行為が果たしてこの点からどう判断されるのか?

 

「業として」とは簡単にいうと職業としての意であるが、この示談代行に関しては保険会社が「業として」行う行為であることは明らかである。「法律事務」に関しては示談行為であるのでこれも明らかに該当している。

 

問題は「他人の法律事件」であるかどうかと「報酬を得ることを目的としているか」であるが、日本弁護士連合会(日弁連)は示談代行制度については「報酬を得る目的」にはあたらないとした。確かに保険会社は示談代行そのものによって誰からも報酬を得てはいない。ただし、加入者が支払っている保険料に示談代行の報酬分が上乗せされているとしたらどう判断するべきだろうか?

 

保険会社はこの点に関して、示談代行をすることによって保険料率を高くしたり、保険料の値上げも行わないという姿勢を明らかにしたが、果たして本当のところはどうなのかは見えにくいところである。

 

例えば保険会社がその後出した新保険では保険金額の最低限度を設定し、それが2000万円の高額であった。保険金額が高くなるということはその分保険料も引き上げられるわけで、実質保険料の値上げと取れなくもない。保険料が上がればそれが実質的には示談代行の報酬を得ることと同視するべき関係にあるように思われる。結局、日弁連によればこれらはグレーではあるが完全にクロともいえないという消極的な判断から、報酬を得る目的であると断じることは無理があるとした。

 

最後の「他人の法律事件」であるかどうかという点であるが、当然であるが自分の起こした法律事件に関して、自分が法律事務を行うことは問題にならない。問題となるのは自分以外の第三者同士が起こした事件に関して、法律事務を行っているかどうか。

 

この点に関しても日弁連見解によると、保険会社による示談代行は他人の法律事件に介入するものではあるが、保険金の範囲内においては、保険会社にとって、当事者の示談内容は保険金支払いの有無と支払額に影響があるので、当事者間の示談問題は同時に保険会社の法律事件の一面を持っているとした。簡単にいえば保険会社も保険金を支払い、それが相手の補償をすることになるのだから他人ではないでしょう、ということである。

 

ただし、これに関しても保険は本来加害者に対して給付義務があり、給付額に対しても加害者、被害者間の示談額に拘束を受けない保険会社の独自の判断によるものであるから、当事者とはいえず、その面では保険会社自身の法律事件と断定することは躊躇せざるを得ない。

 

報酬の有無にしても、当事者であるかどうかという問題にしても、このような混乱が起きるのは、保険金を支払う保険者が示談代行を行うという形にそもそも矛盾があるからに他ならない。

 

とはいえ交通事故発生の増加と示談交渉の急激な増加に、本来法律事務を司るべき弁護士が対応できないために生じた苦肉の策ということであり、弁護士自体の問題点も大いにあるとしなければならないだろう。

保険会社と日弁連の間で交わされた「覚書」の内容

このような状況であるから日弁連としても示談代行制度にはいくつか問題点の存在を認識していた。そこで保険会社の示談代行を認めるにあたっては、いくつかの条件を損害保険会社に提示、昭和48年(1973年)、日弁連は損保側と交渉を重ね、両者間で覚書を交わした。その主要な内容が以下の条件である。

 

1 裁判所基準に準じる任意保険支払基準を定め、賠償金支払いの適正化を図る

 

2 中立の紛争処理機関を設置し、その斡旋案を尊重する

 

3 損害賠償金の内払制度を確立し、被害者の経済的負担を軽減する

 

4 被害者の保険会社への直接請求権を約款に明記する

 

5 被害者との折衝は保険会社正規常勤職員に限定する

 

1の裁判所基準とは、交通事故裁判の判例などに基づいた裁判所の支払い基準である。これらに準じて保険会社が作成することを約束させられたのが、任意保険基準だ。裁判所基準にはある程度準じているとはいえ、その算定金額は自賠責保険よりは高いが裁判所基準よりも低い金額に設定されているとされる。

 

同覚書の作成に至る協議会において、この基準は1年ごとに裁判所の判例を参考にして改定するとされた。これによって任意保険の保険金の額の基準を明確にし、かつその時々の実態に合ったものにして、損害賠償支払いの適正化を保とうとした。

 

2の中立の紛争処理機関としては、交通事故紛争処理センターが設立されている。通常、紛争処理センターに事件を持ちこみ、被害者が裁定に対してOKを出したら、保険会社はその裁定を絶対に呑まなければならないとされている。いわゆる保険会社の示談代行行為のチェック機能を果たすためにも設けられた。ただし同センターはあくまで中立の立場を取っているため、弁護士のように被害者のために積極的に戦ってくれる体制にはなっていない。

 

3は、簡単にいえば、損害賠償責任の総額が確定していなくても、状況に応じて保険金や損害賠償金を内払いせよというもの。事故に遭った瞬間から被害者には治療費や休業損害が発生する。したがって時機に応じたこれらの損害の補てんを求めるものである。

 

4は被害者の保険会社に対する直接請求権を認めよという内容だ。保険金を支払う保険会社の契約者は加害者である。通常は被害者と加害者の間で話し合いが持たれて、補償額などが決められるのであるが、被害者が加害者ではなく、直接保険会社に補償を請求する権利を認めるようにということである。

 

5については、示談交渉を代行できるのは、保険会社できちんと教育され、経験を積んだ社員に限定するという趣旨である。当然、示談という法律事務を扱うわけであるから、最低限の法律知識は必要であり、示談という利害の衝突する者同士の仲裁を図るだけの資質を兼ね備えた人材でなければならない。そのための人材教育をされ、しっかりと会社を代表する責任ある人物でなければならないということである。

 

このような覚書を交わしたうえで、保険会社は以降、示談代行特約付保険を販売することに至った。現在では交通事故が起こると保険会社が出てきて、交通事故被害者と保険会社が示談するのが当たり前のような風潮であるが、実は様々な問題を含んだ制度であることを、いま一度認識しておく必要があるだろう。

 

交通事故に遭って被害者と加害者が顔を合わせるのは事故直後だけである。以降のやり取りはすべて保険会社と被害者の間で行われる。営利団体である損害保険会社が、保険金支払いをできる限り抑えるべく、示談代行権をいいことに自分たちに都合のよい示談和解を進めるおそれは十二分に考えられるし、実際に我々のように交通事故補償の現場に立ってみれば、果たしてそのとおりになっていることを嫌でも知らされることになる。

 

覚書はまさにそのような弊害を防ぐべく交わされたものであるはずだが、すでに交わされて40年以上、その条件も今やなし崩し的になってきていることは否めない。例えば任意保険の支払い基準は一体どうなったのであろうか? あくまで自賠責は最低補償、それ以上の補償に対応するために民間の損害保険会社は任意保険基準を設定するのである。だとすれば、自賠責基準より高い支払い基準を明確に示すことが加害者、被害者の示談交渉において不可欠である。

 

ところが平成14年(2002年)、保険の自由化によって任意保険基準が廃止され、今はその基準さえ明らかではない。交通事故に遭った人のほとんどは、自賠責の何たるか、任意保険の役割の何たるかも知らないのが実情ではないだろうか?

 

保険のプロである保険会社の社員が被害者が知らないことにつけ込み、さも自賠責の基準に毛の生えたものが上限の風を装って損害賠償額を一方的に提示し、あらゆる方法を駆使して示談に持ち込む。決して特殊な例ではなく、実際はよく見られることなのである。せめて任意保険の基準を明確にすることは、この覚書を尊重し遵守するという意味でも必要ではないだろうか?

 

いずれにしても、保険者である保険会社が示談代行をすることが、望ましい形態でないことは明らかである。一個人の被害者と、営利団体であり専門家である保険のプロとが同じ土俵で示談交渉をすること自体が、本来ナンセンスな話ではないか。資力も情報量も圧倒的に差があるのである。まるで小学生とプロレスラーが同じリングで戦わされているようなものといってもいいかもしれない。しかも損害保険料率算出機構やその他の団体も多くは損害保険会社の人間たちで占められ、いわばレフリーまで相手側という状況だ。

 

示談代行を廃止することが現実的に困難であるならば、かかる損害保険会社と被害者の格差と不公平を少しでも補うべく、いま一度、新たな基準や条件を考え直すべき時であろう。

 

 

谷 清司

弁護士法人サリュ 前代表/弁護士

 

本記事は、2015年12月22日刊行の書籍『ブラック・トライアングル[改訂版] 温存された大手損保、闇の構造』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

ブラック・トライアングル[改訂版] 温存された大手損保、闇の構造

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谷 清司

幻冬舎メディアコンサルティング

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