その3:日本の学校の英語教育がつまらなすぎる
第三に、日本の学校の英語教育には、つまらなさがあります。
例えば、最初に英語の教科書を開くと「be動詞」の勉強で「This is a pen」という文章が出てきます。「これはペンです」など、日常生活で誰が使うでしょうか。「説明されずとも、見れば分かります」と突っ込みを入れたくなるのは私だけではないはずです。それほどまでに日本の英語教育は、ピントがズレているのです。
最近は日本を訪れる外国人も増えました。彼らが困っているとき「Can I helpyou?」(なにかお困りですか?)と聞ければとてもスマートですし、旅先で「Howmuch is this?」(これはいくらですか?)と聞くことができれば買い物もスムーズです。もちろん、コミュニケーションを取るためには、もっと多くの語彙がなければいけませんが、いわゆる文法よりも日常会話に特化した実践的な英語を教えていれば、使える英語が身に付いているはずなのです。
日本人は比較的に「読み・書き」を得意とします。ビジネスシーンでは読み書きの能力も非常に大切になりますが、多くの人が身に付けたいのは、まず「聞く・話す」ことです。そのためのカリキュラムを充実させるほうが、学ぶ側の興味も膨らむでしょう。文法はあとからついてくるものです。
リクルートが運営しているケイコとマナブ.netによると「子どもの習い事ランキング」の1位は水泳、2位は英語・英会話、3位はピアノでした。また「子どもに習わせたい習い事ランキング」の1位は英語・英会話、2位は水泳、3位は書道でした(2017年度調べ)。
このデータを見ても「英語・英会話」に対する親の意識の高さが分かります。なぜ、子どもに英語を学ばせたいかの理由としては「将来、有利なため」「幼少期に触れさせておきたかったから」「早いうちに耳慣れしてほしいと以前から思っていたので」「学校の授業に備えるため」などが挙げられていました。
幼いころから英語を学ばせるべきという考え方が浸透していることは非常に頼もしく感じます。しかし、お稽古事レベルの英語教室では、決して子どもがバイリンガルに育つことはありません。
何度も繰り返すように、週に1〜2度、各1時間程度のレッスンでは、英語を身に付けることはできないのです。もちろん、まったく英語に触れないよりは耳に残る記憶も、「英語が好き」と感じることができる可能性もあるので無駄ではありませんが、自宅で日常的に英語を聞かせる、会話をさせるなどの心がけが必要になります。
私たちが、あるいはお子さんが日本語を覚えた過程を思い出してみてください。一般的に子どもは1歳を過ぎたころから言葉を話し始めます。これは世界中どこの国の子どもにも共通する事象です。余談ですが、子どもが初めて口にする言葉は、世界中のどの言語でも「p」「b」「m」の音で構成され、これらの音は上唇と下唇を一度閉じてから再び離して発せられることも分かってきています。
言葉に関しては多くの人が「普通に生活していたら、自然と話せるようになった」という感覚しか持っていないと思いますが、実は相当高度な機能が短期間に発達しているのです。
言葉を身に付けるうえで必要な条件は「正常な機能を備えた中枢神経」「適切な環境からの刺激」「臨界期」の3つ。「中枢神経」は健康な子どもであれば問題はなく、「臨界期」は、言語的刺激を受けないままに成長した場合の言葉の習得が困難になる時期を指します。学術的には12〜13歳が言語の臨界期とされています(白畑知彦『言語習得の臨界期について』日本第二言語習得学会編 2004年より)。
この項で述べている「日常的に英語に触れる」ことは、「適切な環境からの刺激」に当てはまります。
子どもが言葉を習得していく過程には「話す人の視線や表情」「声のトーンやイントネーション」が大きく関わり合っています。日本語で考えた場合、初期の理解語50語のうち、およそ半分は「日常生活に結びついた単語」。例えば「まんま(ご飯)」「ねんね(寝る)」「ないない(片付け)」などです。生活に密着した言葉を多く聞けば聞くほど、語彙は増えていくというわけです。英語も同様で、日常的に英語に触れれば触れるほど、語彙は増えていきます。
であるならば、テレビやCDやラジオで英語を聞くだけでも効果的か、という疑問が湧いてきます。もちろん、それも英語に触れることですが、これらのアプローチは、ただ聞くだけの一方通行です。一方通行のアプローチはコミュニケーションに比べると脳への刺激が著しく少なくなってしまいます。
例えば流暢なDJの英語を聞くより、両親のたどたどしい英語による日常会話のほうが子どもの語彙を増やすのです。私たちはただ聞いているだけではなく、聞き、覚え、話す、つまりコミュニケーションをすることで語学を身に付けていきます。
子どもをバイリンガルに育てたいのなら、毎日少しでも長く、英語の環境に身を置かせる必要があるのです。
「インター」で学ばせると、子どもが異邦人化!?
我が子をバイリンガルに育てたいと考えた場合、多くの人がまず最初に「インターナショナルスクール(インター)」を思い浮かべるのではないでしょうか。インターナショナルスクールであれば、前述した日本の英語教育の3つの問題点をクリアできる、そう考える保護者も多いと思います。
実際、私も我が子を保育園に入れようと考えた際、真っ先にインターナショナルスクールが頭に浮かびました。ところが、いくつかのインターを見学して分かったのは「日本のインターナショナルスクールは日本人のための学び舎ではない」という事実でした。
当時はグローバルな意識が今よりもずっと低かった時代ということもあったのでしょう。現在は英語を話せない日本人の子どもたちを受け入れるインターナショナルスクールも増えてきましたが、18年前はまだ日本人の子どもの就学は少数でした。そんななか、私があるインターナショナルスクールに見学・相談の電話を入れると、「うちは外国人の子どもしか入学できません」と話も聞かずに門前払いをされたのです。
これは今も昔も変わりませんが、日本のインターナショナルスクール(小学校以上)に入学させた場合、法律上日本の義務教育を受けていないという扱いになります。文科省は現在、それを容認する形を取っていますが、インターの学生には「日本の学校で義務教育を受けてください」と通達が入るそうです。そうした現状のなかで、インターを選んだ子どもたちは、外国の教育を受けることになります。
子どもをインターナショナルスクールに通わせる親の理由はさまざまです。
〝英語を身に付けてバイリンガルに育てたい〟〝むしろ日本語は特に話せなくてもいいので英語だけはしっかり身に付けさせたい〟〝幼いころから国際的な感覚を養わせたい〟あるいは、日本の教育制度に疑問を抱いてインターナショナルスクールに入れるケースもあります。
子どもを早い時期から英語環境に身を置かせるためには、講師も外国人、生徒の多くも外国人という場所は申し分ないでしょう。
しかし私は、インターナショナルスクールで学んだ子どもが「無国籍な異邦人化」してしまうケースを何度か目にしてきました。具体的には、「日本語力が低くなる」「考え方が欧米的で日本の社会で浮いてしまう」「欧米社会では中途半端な日本人気質が出てしまう」「日本の社会でも欧米社会でも異邦人と感じてしまう」など、つまりはアイデンティティーの喪失です。
インターナショナルスクールでは、運営母体の教育スタイルを実施しています。例えば、アメリカ系のインターであればアメリカの、イギリス系のインターであればイギリスの教育がなされます。ですから、インターで育った子どもたちには家庭で入念に日本人としての教育を与えない限り、「日本人らしさ」はほとんど身に付きません。
将来、日本社会で生活をしたり、仕事をしたりする際に、大きな壁を感じながら生きていくことになるのです。なにより、自分の精神的なよりどころを見つけられずに迷うことになります。
日本語が話せない、日本文化が分からないでは、日本人の顔をした外国人ということになってしまうのです。
中山 貴美子
株式会社キンダーキッズ 代表取締役