音楽や舞台など、自分が興味があるものを選んで
ここまで美術作品のいろいろな楽しみ方をご紹介してきましたが、「どれもあまり興味が持てない」という人もいるかもしれません。
そういう方は、美術にこだわる必要はありません。音楽や舞台など、ほかの芸術作品のなかから自分の興味があるものを見つけて、親しむ機会をつくってみることをおすすめします。
ただもし、あなたが「アニメや漫画は見る」「フィギュアを自宅に飾っている」というのであれば、美術に興味が持てないのは、ただの「食わず嫌い」かもしれません。
アニメや漫画から徐々に興味を広げていけば、美術作品のすばらしさにも気づいてもらえるはずだからです。
アニメや漫画は、よく「サブカルチャー」と言われます。
サブカルチャーとは、学問や美術、クラシック音楽、文学など、伝統的な文化に対して、ある特定の集団だけが持つ独特の文化のことです。大衆文化や若者文化などと訳されることもあります。
一般的に、アニメや漫画、ポピュラー音楽などはサブカルチャーに含まれますね。
では、芸術(伝統的な文化)とサブカルチャーとはまったくの別ものなのでしょうか。実はその境界線はあいまいです。
日本の場合、アニメや漫画は、すでに「ある特定の文化」ではなくなっていますし、「アートだ」と捉えている人も大勢いるでしょう。私はそれが間違いだとは思っていません。
私の個人的な考えですが、芸術作品とは「高い技術に裏打ちされた表現のなかに、独創的なコンセプトや、人に訴えかけるメッセージが感じられる作品」だと捉えています。
技術だけでも、コンセプトやメッセージだけでも、芸術にはならないのです。
アニメや漫画のなかには、優れた技術力を備えた作家が想いを込めて創作したすばらしい作品もあります。ほかにはない個性や美しさを感じ、刺激を受け、素直に楽しめばよいのです。そしてもし、そこからさらに興味が広がれば、その他の美術作品に目を向けてみるのもよいと思います。
実は、以前の私は、現代アートに対してよい印象を持っていませんでした。けれども、美術品を扱う仕事をしている者として、よく知りもせず評価を下すのは間違っていると考え、なるべく多くの現代アート作品を観るように心掛けたのです。
すると、作品を観ていくうちに、素直に「すばらしいな」「ほしいな」と感じる現代アート作品に出会えるようになりました。実際に気に入って購入したものもあります。
実際に、日本のアニメや漫画は、世界的に芸術作品として認められています。ルイ・ヴィトンとのコラボレーションなどでも知られ、世界で活躍する現代アーティストの村上隆(むらかみたかし)先生は、伝統的な日本画と、アニメやゲームの「平面的」という観点を結び付けて一つの作品にまとめました(スーパーフラット)。
アニメや漫画しか見てこなかったという人でも、さまざまな美術作品を観てみると、自分の好きな絵画や彫刻が見つかるかもしれません。
子どもの美意識や感性は、日々の生活の中で育む
もし、お子さんを芸術に親しませたいと思ったら、何をすればよいのでしょうか。
もちろん、美術館やギャラリーで美術品を鑑賞したり、コンサートや舞台を観に行ったり、大人と同じように芸術作品に触れる機会を増やすのは、とても効果的です。感受性の強い子どもの頃にこそ、さまざまな芸術作品に触れてほしいと思います。
けれども、それよりももっと大切なのは、毎日の生活のなかで、子どもの感性や美意識を磨いてあげることです。それが芸術を観て感じる心や深く考える頭の土台となります。
例えば、外を歩いていて、花が咲いているのを見つけたとき。
「花が咲いているよ」「きれいだねー」と親のほうから声をかけ、子どもが何かを感じたり、気づいたりするチャンスをつくってあげるとよいでしょう。
そのとき、「○○ちゃんはどう思う?」「どうしてきれいだと思うの?」などと、子どもの気持ちや意見を引き出すような働きかけをしましょう。親の考えを押し付けるのではなく、子どもの自由な発想を育ててあげてほしいと思います。
私の子どもの頃を思い出すと、親だけでなく、幼稚園や学校の先生が、私たちを自由でのびのびとした雰囲気のなかで育ててくれました。
小学校のとき、「貧乏神」というテーマで工作をする授業があったのですが、そのとき私の頭の中には「茅葺き屋根の壊れかけている日本家屋」というイメージが浮かびました。そこで私は、家にあったほうきの先を切って、茅葺に見立て、屋根を作ることに。結果、屋根に凝りすぎたせいで、段ボールに茅葺き屋根が乗った中途半端な出来上がりになりましたが、先生が「屋根のアイデアがすばらしい!」「ほうきを使うなんて、どうやって思いついたの?」と褒めてくれたのを今でも嬉しく思い出します。
また、こんなこともありました。
その頃流行っていたアニメのキャラクターが描かれたお茶碗がほしくて、親にねだって買ってもらったとき。そのプラスチックのお茶碗を実際に使ってみると、子ども心に感じたのは「このお茶碗でごはんを食べたくない」という感覚でした。手に持った感触に違和感がありましたし、ごはんの味もおいしくなかったのです。
結局その後、別のキャラクターが描かれた瀬戸物のお茶碗を買ってもらい、プラスチックのお茶碗はそれきり使いませんでした。
子どもは大人が思うよりも感覚が鋭敏で、その感覚を上手に伸ばしてあげれば、するどい感性やその子らしい個性が芽生えます。
子どもだから「100円ショップで買ったお茶碗でいいや」「プラスチックの食器やカトラリーでいいや」ではないのです。反対に子どもだからこそ、きちんとしたものを使わせることに意味があると思います。
これは「高いものを使わせたほうがいい」ということではありません。大人が見て「品質もデザインも合格」と思えるものを選べばよいと思います。そういうものを使うことで、感性や美意識だけでなく、ものを大事にする心も育つはずです。
山田 聖子
靖山画廊 代表