亡くなった人に遺言がなかった場合は、法定相続分を基準に遺産分割協議を進めていくのが一般的です。兄弟間であれば平等に分けるのが原則なのですが、この「平等」に向けて調整するために、「特別受益」や「寄与分」といった話が出てくることもあるでしょう。
「特別受益」の代表的な例としては、「他の兄弟は高校を卒業して働いていたのに、一人だけ医学部まで進学させてもらった」のような感じでしょうか。反対に「他の兄弟を高校まで進学させるために、一人だけ中学卒業後に親の家業を手伝っていた」という場合は、「寄与分」がからんできそうです。
前者は「あなたは恵まれていたのだから遺産の取り分を少なくして」という主張になり、後者は「私は苦労したのだから遺産の取り分を多くして」ということになるわけです。
どちらの場合であっても、家庭裁判所が判断をするときには、その当時の家計の状況なども踏まえて合理的な数字を出すようです。
ただ、「家族は互いに助け合うのが当然」という考え方もありますので、ある程度の援助やお手伝いは無視されることもあり得ます。「特別」受益はもちろんのこと、寄与分についても、原則的には特別なものしか認められないのです。ただ、「平等」や「特別」という言葉はとらえ方次第なところもありますので、お互いの主張がかみ合わないと、家庭裁判所までもつれ込むことになるわけです。
「寄与」とは、人や社会の役に立つとか貢献するという意味です。このようなことから、相続においての「寄与分」とは、被相続人の財産の維持や増加に貢献した相続人と、特に貢献していない他の相続人とのバランスを保つため、貢献した相続人に対して一定の評価をし、その分の相続財産を加算して相続させる仕組みです。相続において公平性を保つ趣旨から認められている制度と言えるでしょう。
代表的な寄与としては、労務の提供・財産の給付・療養看護があります。被相続人が生前行っていた事業に長男が無償で協力していたケースや、一緒に事業を行っていなくても、被相続人の事業の資金繰りが厳しいときに長男がかなりの資金提供をして事業が持ち直したようなケースが考えられます。
一方、評価が難しいのが療養看護の寄与についてです。私は親の介護をしたからとか、頻繁に見舞いに行ったからと、寄与分を主張するケースも見受けられますが、そもそも親子には扶養義務があります。親が病気になれば一定の世話をしたり見舞いに行くのは家族として当たり前のことです。親の介護の為に仕事を辞めて二四時間三六五日介護をしていたとなれば話は別でしょうけどね。
ちなみに寄与分は相続人にのみ認められた制度ですので、相続人以外の者がいくら寄与したと主張しても寄与分を認められることはありません。