大成功者と呼ばれる人物には、必ず参謀役・右腕がいた
本田宗一郎さんには、藤沢武夫さんがいました。
松下幸之助さんには、高橋荒太郎さんがいました。
大成功者と呼ばれる人には、必ず参謀役・右腕がいます。
大きな組織を形成するために欠かせない存在であり、実際、二馬力は強いものです。
しかしながら、現実は、優秀な右腕を選ぶために、多くの社長が苦戦します。ふさわしくない人物を右腕にすることで、過去に痛々しい経験をした社長は私だけではないはずです。
実は、過去の私のように、「実力があり、仕事ができるから」という理由だけで、エースのような人物をナンバーツーに任命するのは避けるべきなのです。たいていのケースで、彼らは自身の独自性を大切にし、チームの看板になれるだけに、ナンバーツーの役職が不向きであるということです。
それに対し、ふさわしいナンバーツーは、いい意味であまり独立精神がありません。組織の中でも、トップの指示を1聞けば10理解し、実行に移すことができる人たちであり、さらには調和を重んじることができます。
だからこそ、チームメンバーの声によく耳を傾け、顧客に寄り添うこともできるために、戦略を考える社長にとっては、よき実行部隊となってくれます。さらには、アクセルの強い社長にとっては、ナンバーツーがよきブレーキにもなってくれるのです。
どうしても、ナンバーツーを選出する際に、売上を最優先にする余り、その人の実力のみで判断してしまいがちですが、社長として忘れてはいけないのは、ナンバーツーには、「誠実さ」が必須であるということです。
いかなる局面に立っても、社長についてくる右腕との関係は、もはや家族同然です。仮に同性同士であっても、恋人と呼べるほどの仲になるでしょう。それゆえ、本田宗一郎さんの浮気相手は、藤沢武夫さんだったとも言われていますから(笑)。
本当に頼りになる右腕は、社長と同等の責任を負える人
優秀な右腕として活躍する人にも、やはりいくつかの特徴があります。社長は、右腕を選ぶときに、とてつもなく大きな決断をすることでしょう。だって、右腕に、印鑑や口座を預けることになるのですから。
そのような全信頼を置ける右腕になれる人の特徴として、社長のために出家できるという点が挙げられます。お坊さんになってください、という意味ではありません。出家とは、僧侶がするように、何もかもを捨てるという意味合いがあります。要するに、社長と運命を共にし、地獄までお供しますと言わんばかりの覚悟があるのか? ということです。
よく、責任を負いたくないから、ナンバーツー(2番目)がいいと言っている人がいますが、このような逃げの考え方であれば、実際のナンバーツーにはふさわしくありません。本当に頼りになる右腕は、社長と同等の責任を負える人です。もし仮に社長に何かがあれば、自分が先陣を切れるようにしています。つまり、社長と同じ頭脳レベルで考えられる人であるということです。
社長と右腕の関係性は、戦国時代の名将たちから学ぶことができます。
豊臣秀吉の参謀であった石田三成は、秀吉亡き後、関ヶ原にて徳川家康に破れるものの、秀吉の生前において、とても優秀な参謀としての生き様が言い伝えられています。
まず、三成は、外交を得意とする秀吉とはほぼ対極の才能の持ち主であり、計算の才能に秀でていたようです。これより、秀吉とは互いの長所を活かし合い、互いの短所を補い合っていたことがうかがえます。三成は戦は苦手だったものの、兵糧や弾薬の計測や情報収集力はピカイチであり、実戦の現場よりも、裏方にて偉大なる貢献をしていたのです。
ある日、記録破りの大雨によって淀川が大氾濫を起こし、大坂城に危機が迫った時の話です。予想外の洪水のため、土嚢が用意されていませんでした。そこで、三成は計算の才能を活かし、土嚢の代わりに必要な分量の米俵を迅速に集め、決壊を防いだことがありました。
淀川決壊による損害費と、数千の米俵の損害費を天秤にかけ、瞬時に判断した決断でした。これは秀吉も思いつけなかったアイデアであり、切迫した中で見事な決断を下し、大坂城を救った話として言い伝えられています。この話より、優秀な右腕には、緊急事態にアイデアを出せる決断力が必要であることがうかがえます。
他にも、三成の秀吉に対する忠誠心がうかがえる、おもしろいエピソードがあります。
ある年の10月に、毛利輝元が秀吉に、季節外れの桃をプレゼントしました。喜んでもらえたらとの思いで贈ったのですが、それを受けとった三成は、こう言いました。「珍しい物だが、秀吉殿がこれを食べて、お腹を壊されたら困ります」。そして、輝元の使者に贈り物を突き返したのです(『石田三成「知の参謀」の実像』PHP研究所刊)。
とりあえず受け取っとけよ〜というツッコミを入れたくもなりますが(笑)、時代が時代で、現代ほど食物が安全でなかったため、健康のことを考えるとこのようなガードの固さが求められたのでしょう。石田三成は、その不器用な対応ゆえ、必要以上に敵を作ってしまったことは否定できませんが、秀吉の立場になって考える忠実さや、気づかいがうかがえます。