温かく、歓迎的な気質を持つ東南アジアの人々
ここは東南アジア (SEA) 。朝の祝福そして旅の友は太陽とその温もりだ。窓を開ければ、宇宙の抱擁よろしく太陽の温もりを簡単に感じられる。東南アジアの夕暮れは印象的だ。人々は足を止め、太陽がまだらな色を残しながら山々、木々、海の向こうにゆっくりと沈んでいくのをじっと見つめる。
東南アジアではお馴染みの光景だ。東南アジア諸国は互いによく似ている。ならばその地域の人々も同様、温かくて歓迎的なのも不思議ではない。言葉の違いでコミュニケーションを取るのは難しいかもしれないが、同じ地域の中でも歓迎・助け合い・分かち合いの精神が常にあるようだ。内気に思われがちな東南アジアの人々だが、話しかけられると大抵は気さくに接してくれる。また常に自分の持っているものを分け与えようともしてくれる。お人よしが過ぎることもあるが、この気質が異国からやってくる多くの人々を魅了している。
東南アジアでは多くが幼少の頃から尊重の精神について教わっている。このことは他人宅訪問時の所作からも容易にわかる。彼らは大抵ノックをし、中に入ってよいか尋ね、迎え入れられるとまず靴を脱ぎ、外からのホコリや汚れを家の中に持ち込まないようにするのだ。こうした他人宅への配慮はまさに思いやりの心であると言える。このことはバスや電車で多くの人が特に年上の人に対し席を譲っていることからも明らかだ。
また彼らにしてみればお互い様なのだ。東南アジアの人々はもてなしの精神でよく知られている。客人を自宅に迎え入れ、食べ物を振舞うことさえある。ひっそりとした慎ましさもある。我が家はこのお客様にとって役不足なのではと心配していることも時としてある。訪問客に対し高い敬意を払っている証拠だ。
特有の気候風土が育んだ、現地人の優しさ、忍耐強さ
東南アジアの人々にはのんびり屋という共通の性格もあり、それを怠けの表れととらえる外国人も中にはいる。本当に怠けている場合もあるかもしれない。だがそこには他からは理解できないような深くしばしば表に出てこない理由があるのだ。
東南アジア地域はよく豪雨に見舞われる。家やその他の建築物はこのことを想定して設計および建設されている。やや古い民家を何軒か見れば一目瞭然だ。モンスーンがもたらす雨はじっとりするような小降りのものから猛威を振るう激しいものまで多岐にわたる。例えばフィリピンのような国土の片側が広大で迫力のある太平洋に面している国は壊滅的な被害をもたらす悪天候に度々見舞われる。実際、1年のうち10カ月間雨が降っているような地域もあり、そこでは地滑りが定期的に起こる。台風は毎年東南アジア諸国に被害をもたらし、死者を出している。非常に強力な台風も上陸すれば勢力や速さが弱まると言われてはいるが、それでもなおその破壊力は相当なものだ。台風はフィリピンを去る頃、今度は台湾、日本そしてベトナムなど他の東南アジアの地域を新たに目指して進んでいくのだ。
モンスーンや台風がもたらす破壊的な風雨や洪水に見舞われてきたことで東南アジアの人々は忍耐強くなった、あるいは強くならざるを得なかった。彼らは度々やってくる苦難との付き合い方を知っているのだ。笑う力や残されたものの中に幸せを見つけることのできる力もその忍耐力の1 つだ。彼らは一日一日を感謝しながら生きている。今ここにあるものがある日突然なくなってしまうかもしれないこと、身近な人や友達や愛する人が次の誕生日のお祝いの席にはいないこともあり得ると知っているから。薄情というわけでも、ましてや人生をあきらめてしまっているわけでもない。恐らく死の必然性を誰よりも理解しているのだ。だからこそ彼らは幸せなのであり、自由奔放にふるまってしまうこともあるのだと思う。今ここにあるものの尊さを彼らは知っているから。
かつてこの地域一帯はアジアや西洋諸国の植民地だった。西洋諸国の植民地とならなかった唯一の国はタイだ。理由は欧米社会でモンクット王として広く知られている、畏敬されたシャムの王ラーマ4世の才気があったからだ。植民地化に対するこの国々の大半の反応は意外にも大惨事との向き合い方と似ている。いつも前向きでいよう、精一杯生きよう、手持ちの僅かなものでやりくりしながら人生を謳歌しよう、そんな姿勢だった。この地域の人々は戦争と植民地化の両方に耐えながら生き抜いてきた。
それ故に東南アジアの大半の人に見られるおおらかな性格は一言では言い表せないのだ。今に感謝し、一瞬一瞬を大切にしながら生きていることの表れでもあるし、また友達や家族をとても大切にしている証拠でもある。
肥沃な土壌、豊かな海・・・自然がもたらす豊富な資源
確かに彼らがおおらかである理由は他にもある。東南アジアの人々の多くは自分たちが自然に恵まれていることを知っている。種を放り投げて待っていればたちまち芽が生えてきて食べられるようになると笑いながら語る人もいれば、川だろうと海だろうと近くの水に入ればきっと簡単に魚が捕れるだろうと思っている人もいる。
土壌がとても肥沃であるが故に、多くがその豊かさを現実の一部として受け入れてきただけなのだ。あくせく働かなくとも豊かな自然があれば食べるものに困らない、と。この豊かな土地で飢える人がいたとすれば、それこそ真の怠け者だ、と考える人もいる。
海についても同じことが言える。シーフードや海藻の種類はほぼ無数にあり、東南アジアの人々は選びたい放題だ。ここでのシーフードはなにも魚だけではない。貝類、軟体動物、棘皮動物、甲殻類も含まれる。またそれぞれに数え切れないほど多くの種類が存在するのだ。
それに加え陸地には数多くの植物や動物が生息し、それも安定した食料や栄養の資源となっている。西洋人がこの地に住み続けることを選び、植民地にしようとしたのも無理はない。ここには見たこともないようなものやコショウ、ナツメグ、シナモン、金やゴムまで、暮らしを豊かにしてくれるものがたくさんあったからだ。