現代にマッチするのは、個人の裁量度が高いD-OODA
PDCAという言葉は、どんな業界でも意識されている。元々は品質管理のためのフローであり、Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)のサイクルを回すことで、業務を継続的に改善していこうというサイクルだ。
では、最適化において、このPDCAを取り入れた場合どうなるか、というと、おそらく最適化は失敗するだろう。そう、失敗である。PDCAを否定するつもりは毛頭ないが、このサイクルをやれば分かるが、やたらと全ての行動が遅くなってしまうのだ。
計画を立てる、とは、最初からゴールを決めて、そこに対する綿密な筋道を立てることである。「計画」は、ポジティブな雰囲気を持つ言葉ではあるが、どっしりとした質量感がある言葉であることも忘れてはいけない。
もし、プランを策定した後で、仮に前提条件や状況が変わった場合、どうすれば良いだろうか? その時点で、プランは最初に逆戻りである。なかなか行動に移れない。
もし策定した計画に無駄があったらどうだろう? 現場レベルでは、その計画(たとえ状況に全くマッチしない不完全な計画でも)に沿うよう、帳尻合わせが盛んに行われながら、計画を遂行することになる。
チェックについてはどうだろうか? 評価を、誰が、どのようにするのか、という問題もある。全く関係ない外部の人間が評価する場合に、これまでの実行内容を再度伝えなければならず、無駄が非常に多い。さらに言えば、ずさんな不完全である計画を、いかに遵守して行動したかを評価しても、そこに意味はない。
最後にアクト。こちらについては、よく職場にいる感情論を振り回す人が、改善を促すのではなく、犯人探しをする場としてしまうことが非常に多い。「なんで計画通りできなかったんだよ!」という発言が飛び交ってしまうのだ。結果として、悪意だけが残り、アクト自体が機能しないことが多々ある。
行動こそが最重視されるべきなのに、間違った計画や、意味のない形式的な評価ばかりが重視され、非常に動きにくいのが、このサイクルの難点なのだ。果たして、このPDCAは現代にマッチした考えなのだろうか?
最近は、PDCAの代わりにD‐OODAというフレームワークが注目を浴びている。もともとはOODAというモデルにD(Design)=大筋を決める、という概念を追加したものだ。
D‐OODAとは、
D(Design):大筋をデザインする
O(Observe):観察
O(Orient):情勢判断
D(Decide):決心
A(Act):行動
という流れのフレームワークである。
観察については、今の時代にマッチした考え方である。インターネットが当たり前になった世代だと、「ググる」(Googleで検索する)という言葉にも表されるかもしれない。偽物の情報が氾濫する中で、いかに本物の情報を探し出すか。これだけスピーディーに世界が変化している中で、今の最先端がどのようにアップデートされているのかを調べることはとても重要だ。
続いて情勢判断。その情報を元に、今の自分がどの位置にいるのかを認識して、どのような方向に動けば良いのか判断する。
そして、決心。ここがPDCAとはもしかしたら大きな違いになるところかもしれない。要は、「自分自身で」考え、決断する、ということ。それだけ迅速に動けるし、仮に状況が変化しても小回りが利く。最後に、行動に移る。行動後は、最初の観察に戻り、現況を把握する。
これらの方向性は、最初の大筋をデザインすることに依る。プランのように事細かに計画することは、小回りが利かなくなり、結果的にとてもスロウリーになる。
敢えて細かくしない、余白を作り、自分たちが行きたい大まかな方向を決め、後は個人レベルで迅速に、しなやかに動き回ることこそが、今の時流にマッチしたフローなのである。
筆写が体験した「PDCA」の悪い部分が明確に出た例
僕の例でお話しよう。以前、論文を作成した時に、その論文の出来に、上司がどうしてもイエスと言わなかったことがあった。僕が作った論文がまずかったのだろう、と反省し、その後も修正して何度も提出したが、何度も突き返された。大雑把な「こうしたらいい」的アドバイスはあったが、それに従い修正しても、また別の部分の方向性の変更を迫られ、それを修正して提出するの繰り返しが1年も続いた。
ある時、また方向性の変更を指摘された。しかし指摘を受けた部分は、1年前に、その上司がアドバイスしてくれた方向性と全く正反対のものだったのだ。
後で聞けば、同僚の医師も、同様のことをその上司から受けていた。今となっては笑い話だが、当時は病みかかっていた僕からすると、なかなかに辛い出来事だった。
この問題点としては、僕とその上司の間の関係性がPDCAで成り立っていることにあった。
上司が論文の方向を指示し(Plan)、論文を書く僕はその方向性に帳尻を合わせながら書き進め(Do)、小手先部分の修正が気に食わない上司から同じ部分を何度もチェックされ(Check)、それを僕が再び修正する(Act)という流れだ。
大きな問題点としては2つ。上司が指示するPlanが何度も、時には正反対に変わること、そして、僕が自分軸を持たずに小手先の修正を繰り返したことだ。
大まかなデザインが両者で最初から共有されていれば、このような事態には陥らなかったはずだ。さらに言うと、研究の根幹部分であるテーマを自分で決めずに他者に委ねたばかりに、創造性を発展させる隙がなかったのだ。
PDCAの悪い部分が明確に出たパターンを、僕はまさに体験していた。
タイムマシンがあれば、あの時の僕に、PDCAなんかより、D‐OODAの方がよっぽどスピード感があり、成長することができるよ、と教えてあげたい。
[図表] PDCAからD-OODAの時代へ
計画を蔑ろにしろという訳ではない。しかし、計画に比重を置き過ぎ、フレキシブルな決断が出来ないのは、競争力やスピードで他者に劣ることになる。
世の中にいるシリアルアントレプレナーや、注目されている経営者は、このフローを実践しているはずである。いかにスピーディーに行動していくか、という感覚が、現代では何よりも重要なのだ。