パソコン通信の「コミュニティ」で学んだこと
(本インタビューは前回からの続きです)
坂本氏は「おカネが好きだ」と言うが、その好きな分野のことに素直に集中し、丁寧に取り組んだ結果が今の立場なのだと思う。なによりも、元来の頭の良さがあるのだろう。
遺伝子か、公文の効果か、本人の努力か・・・おそらく、すべてが重なり合った結果だろうが、株式市場で起こった〝事象〟について、「なぜなのか?」「どうしてだ?」「再現性はあるか?」と深く考える気質と、自分なりの答えを出す姿勢が素晴らしい。
彼は、自分よりもずっと年上のファンドマネージャーとトレードの話をしながら、彼が学生時代に起きた大相場のことなどを的確に語って驚かれたこともあるという。それほど研究熱心なのだ。
初期の「単純な材料狙い」は、いわゆる負け組の行動パターンだと考えていたが、意地になって張り続けるのが本当にダメな行動パターンであって、観察力やニュートラルな姿勢こそが勝ち組の要素なのだと、私は認識を改めなければならない。
坂本氏は、「低位株投資」をキーワードに、いわゆる〝ボロ株狙い〟を試した時、値動きを見ながら数カ月で投げて倒産を免れた経験もあるそうだ。
本人は、これについても「次の銘柄を買いたかっただけ」と説明するが、「時間」を考えて区切りをつける姿勢が、最初から大きな武器だったと考えるのが自然な分析だ。
─直接的に教えてくれたのは、パチンコの師匠であるお母様以外にもいたのですか?
まず、インターネットでつながった人から、いろいろなことを教わりました。
パソコン通信の全盛期からインターネットの時代に移ると、さまざまな趣味の〝コミュニティ〟が生まれましたよね。そんな古き良き時代に、お金持ちの相場好きや地場の証券マンがオンラインで集まる場があって、内部事情も含めて多くのことを学ぶことができました。
─学生時代から、証券界の内情などを知っていたわけですね?
多少ですけどね。だから就職では、証券会社を避けました。ディーラーかファンドマネージャーになりたかったのですが、証券会社に入社してもディーラーになれるとはかぎらない、営業その他の部門では自由に自分の売買ができない可能性が高いと知ってしまったからです。
そこで、一般的な企業に就職し、個人的に株をやろうと思いました。
─で、就職先は?
上場企業の鳥越製粉です。父親が急に亡くなってしまい、地元の九州に戻ろうと決めたのがきっかけでした。候補はいくつもあった中、いろいろな製品に化ける〝原料〟のメーカーが魅力的だと考えて就職しました。
でも、入社後に営業部門に配属され、外回りの途中で株価をチェックして注文を出したりしているうちに、「やっぱり、職業としてやりたい」という思いがわき上がってきたのです。
インターネット上の情報を頼りに、地場のA証券がディーラーを募集していると知り、路線変更を決意して応募しました。1年も働かないうちに転職してしまったわけです。
「型にはまって覚えた」証券ディーラー時代
─ディーラー職のスタートは、どうでしたか?
一定の腕をもった人を雇って「好きにやれ」という会社が多い中、A証券は未経験者ばかりを集めてイチから教育する方針だったのです。でも、そういったこととは関係なく、想像していた以上にガチガチの世界でしたね。
元ディーラーの古参社員が教育係で、それこそ一挙手一投足をチェック、少しでもちがうと怒られます。完全に〝型にはまって覚えろ〟という感じでしたね。
相場ですから、「この銘柄を買え」なんて指示はないのですが、銘柄を決めて報告すると、その瞬間にダメ出しを食らったりするんです。「こんな、下に板がない※銘柄、ダメなときに投げられないじゃないか!」といったように、ひとつひとつ厳しく言われたことを覚えています。
※下に板がない
下値に買い指し値が少ない状況。少しの売りでガクンと下げ、下げても買い指し値が少ないままかもしれない、と想像できるような場の状態。
─売買は、やはり最小単位からですか?
もちろんです。500円未満の銘柄を対象に、1000株買っては売り手仕舞いの繰り返しでした。その中で、実に細かいことを言われましたよ。
個人投資家のころと比べて、全くちがうのに驚きました。完全に管理された中で行う、〝シゴト〟の売買というのでしょうか、ガチガチの枠の中で業務にあたる心得をたたき込まれたと思っています。
なおかつ、チームプレーを求められました。売買は完全に個人の裁量ですが、同じ場所に集まって同じ目的をもって仕事をしている以上、「和を乱す者は許さん!」といった空気ですね。だから、個人プレーの面でもチームプレーの面でも、メンタル的なことをずいぶんと仕込まれました。
─心地よいと感じた部分は何ですか?
売買の期間に制約がないことと、銘柄を好きに選べることでした。ガチガチに指導されながらも、好きな銘柄を、好きな期間で売買できるんですから、そこに〝はまった〟わけですよ。
個人投資家ではできない素早い売買もオーケー、区切りをつけて次の勝負へ移っていくスピード感は快感でしたね。
「伝票の整理」から学んだ投資のイロハ
─A証券の指導で、厳しすぎると感じたこと、納得できないと思った点はありますか?
上司の言葉に、極端な部分がありました。「キミ、今日は負けただろ。それなら、白い歯を見せるな」なんて精神論的な指導がありましたからね。
引けあとに本部長が各ディーラーの机を回って成績を確認するのですが、その際のダメ出しもキツいんですよ・・・「キミはプラス2万円か。よし」「プラス5万円、いいだろう」「プラス10万円、おっ、いいじゃないか!」・・・プラスの人にはこんな感じですが、「なにっ?マイナス5万円だ?キミは3日連続でヤラレてるじゃないかっ!」なんて声を荒らげるあたりは、ちょっとどうかと感じましたね。萎縮しちゃいますよ。
─前時代的なノリですね。
まさに過去の遺物、巨人の星の「スポ根」ですよ。未経験者にイロハのイから教えてくれたのは、ありがたいことです。ただ、結果の数字だけを見て大きな声を出したって、つぶれる必要のない人までつぶれるんじゃないかって・・・。
でも、働くディーラー同士はとても仲良くしていましたね。一般的なディーラー職って、同じ職場の人間には何も言いませんよね。一人一人がライバルですから、わざわざ自分の手の内を明かす者なんていないわけですよ。
でもA証券では、教えを請うと丁寧に答えてくれる先輩がたくさんいましたし、仲間同士の建設的な交流が多かったと思います。
いちばん勉強になったのは、駆け出しの時期にやらされた伝票の整理です。まだ古いシステムで、個々の注文を伝票に起こしていたので、それを端末に入力する業務があったのです。
数字を機械的に打つだけですが、注意深く見ていると、銘柄、買いのタイミング、手仕舞いの基準、等々、貴重な生の情報に目を通すことができたわけです。
全社的に厳しく、古い体質があった中で追い詰められた人もいる一方、僕はうまく過ごしていたほうだと思います。素直に、いいところを学ぼうという姿勢をもてた、ということです。
実は、先輩に教えを乞う際に、上司の精神論が効果を上げました。
立場上、成績に関する話って生々しいじゃないですか。だから、「他人には、ヤラレた話だけしておけ」と、しつこく言われていたのです。会社の内部でも外でも、常にそうしろという意味です。教えてほしいと思う先輩のところに行って「今日もヤラレました・・・」と、かわいく言ったほうが親切に教えてくれるんですよね(笑)。
でも、あらためて振り返ると、個人投資家だった学生時代からディーラー職の初期、そして、そこそこの経験を積むまで、良き師匠、良き仲間、良きライバルがいたと感じています。