「地域の思い」を形にして手にとることができる
前回の続きです。
ツールという側面から見ると、地域通貨には「目に見える」という良さがあります。
まず地域通貨は主にカードや紙で流通しますので、物理的に目に見えます。手に持ったり、手渡したり、かざしたりすることができます。カードの場合は地域を象徴するようなデザインがあしらわれるなど、地域の個性や独自性、その街らしさを感じとることもできます。
「地域を元気にしたい」という想いは見えませんが、その想いを形にした地域通貨は見ることも手にすることもできます。つまり、地域通貨は地元に対する想いを象徴するもので、形として目の前にあり、手の中に存在しているからこそ、持つ人や使う人がそれぞれの地域に対する思いを意識したり、強めたりできるのです。
目に見える良さについてもう一つ大切なのは、誰がどのように参加しているかが見えることです。煙突モデルでも示したように、地域内には重要なプレーヤーが複数います。自治体、地元企業、商工会、商店街などです。その煙突の一つひとつが、どのような取り組みで地域通貨と関わっているかを常に確認できることが、通貨としての発展度合いを測る重要な指標となりますし、次はどの煙突と連携しようかというアイデアを生み出すことにもつながります。
「目に見える」ことで生じるプレッシャーも…
ただし、見えることが、かえってプレッシャーを生み出すこともあります。多様な煙突をつないでいくことが地域通貨の理想ではあるのですが、その理想形が「見えてしまう」がゆえに、先が長い、遅々として進まない、ゴールまで到達できないかもしれないという気持ちを生んでしまうということです。
私は、ここに地域通貨の本質的な難しさがあると考えています。導入の方法や仕組みは難しくありませんが、進捗状況や成果が常に見えるため、一歩目を踏み出すことを躊躇してしまします。その気持ちを乗り越えることが、多くの人にとって難しいのではないかと思うのです。