会社を高値で売却するには、各業界における「成長期」から「成熟期」というベストタイミングを逃さないことです。今回は、このタイミングを捉えるためのポイントを勝ち組経営者の体験から見ていきます。

「買う側ではない。売る側だ」となった理由とは・・・

第2回でお話したように、会社のベストの売り時は、各業界が業界再編の波に乗った「成長期」から「成熟期」です。逆にいえば、この時期を逃すと、会社を高値で売却することも、理想の買い手企業に出会うことも、自社に有利な条件を引き出すこともかなり難しくなってきます。

 

では、このタイミングを逃さないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。業界再編の波に乗り、タイミングを逃さず強者連合に仲間入りを果たした勝ち組経営者の体験から、成功するM&Aの条件を見ていきたいと思います。

 

株式会社高階誠心堂を経営する高階豊晴さん(当時56歳)は、熊本県の中堅都市で地元密着型の調剤薬局を3店舗経営していました。創業は昭和の初期。もともとは祖父が立ち上げた薬局を父親が引き継ぎ、3代目の高階さんが調剤薬局を始めました。

 

そこで、決算書の読み方を勉強して、ニューズレターを書いて配信するなど、地道な企業努力を行ったようですが、なかなか効果は得られなかったといいます。ところが時が経つにつれ、「調剤バブル」に乗って、着実に売り上げは伸びていきました。

 

高階さんは自分の親から「会社を継げ」と言われたことはなかったそうです。そのため、息子さんと娘さんには会社を継いでほしいとは言いませんでした。また、引退した80歳過ぎのお父さんが、とうに50歳を過ぎた高階さんのことを心配している姿を見ていたので、自分は子供にそんなことはしたくないと思ったのが一番の理由だったそうです。それに子供たちには、帰らなければいけない場所がある、という束縛を強いたくなかったそうです。

 

だから、M&Aで会社を売却すると決めたとき、薬剤師を目指している娘と息子には、真っ先にこう言いました。「お前たちが帰ってくる場所はない。自分で生きる道を考えろ」と。そんな高階さんがM&Aを考えたきっかけは、“会社を変えたい”という動機からでした。優良な企業があるなら、1億円くらい投資して事業を拡大しようかと、当時は真面目に考えていたことから、私が講師をつとめるセミナーに参加されました。

 

しかし、セミナーで話を聞くうちに「自分は買う側ではない、間違いなく売る側だ」ということに気づきました。真剣に今すぐ会社の売却を考えなければ、今後は生き残れない側の会社になってしまうという危機感に迫られたといいます。

 

それは、会社を売る側になって考えてみれば当然のことでした。売上高が数百億円規模の企業と田舎町の3店舗経営の会社、どちらに自分の会社と社員たちの未来を託そうと思うのか?答えは明白です。

自社の評価は「業界の波」によって大きく変わる

日本M&Aセンターでは、相談者で希望される方には会社の株価を算定しています。数十年かけて築いてきた会社が、どう評価されるのか知りたいと思う経営者は多く、高階さんも希望されたので株価を算定しました。数字を見た高階さんは、「正直なところ、これは低いな」と思ったようです。帰宅して奥様に「この話は、もう終わりだ」と伝えたそうです。

 

多くの経営者は、やはり自分の会社を過大評価するものです。それに、この算定は正確なものではなく、あくまでも簡易な算定方法で割り出したものです。実際のM&Aでは業界の状況や買い手候補の会社の状況などで売却額は大きく変わってきます。業界再編のベストタイミングで売却すれば金額は上がりますし、買い手候補企業の戦略上、重要な地域の会社などにあてはまれば売却額は跳ね上がります。

 

実際、調剤薬局業界は再編が始まっており、今が好機ととらえた我々は、すぐにお相手候補の企業300社をリストアップ。その中からさらに厳選したお相手20社のリストを高階さんに提示しました。すると、高階さんは大変驚かれたようでした。田舎町の自分の会社に全国から300社もの会社が興味を持ってくれた。自分がこれまでやってきたことが認められたのは、素直にうれしかったとおっしゃっていました。そこで、正式にM&Aの検討に入っていったのです。

 

高階さんからの絶対条件は、お相手は大手であることでした。究極の目標は、会社と社員の未来を守ることでしたので、これからも安定した経営と成長を続けられる大手でないと意味がないということでした。

 

これは正しい選択です。というのは、これから競合・淘汰の時代に突入すれば、中堅クラスの会社は経営が厳しくなっていくからです。高階さんは、お相手が中堅クラスしか出てこないようなら、自分なりに小さいまま経営していこうという考えでした。現状、経営に関しては特に問題はなかったからです。

 

果たして、最終候補として挙がったのは阪神調剤ホールディング株式会社(以下、阪神調剤薬局)という大手の調剤薬局でした。

 

じつは高階さん、このときはまだ不信感のほうが強かったそうです。「こんな大手が・・・しかも、かなりいい金額を提示してくれた。一体、何が目的なのか?」と訝しく思ったからでした。しかし、単純な株価の算定額からでは考えられない条件が提示されるのが業界再編時代のM&Aなのです。

自分自身の「直感」に従う勇気を持つ

両社の条件が合えば売り手と買い手の企業のトップ面談をします。ここで初めてお互いが顔合わせをするのです。このとき、高階さんは阪神調剤薬局の岩崎裕昭専務にお会いし、「この人たちとならうまくやっていける」と感じたといいます。こうした経営者としての直感は、会社を経営している方なら皆さん経験があるのではないでしょうか。

 

かの有名なアップル社の共同創業者、故スティーブ・ジョブズ氏も、「一番大事なのは、自分自身の心の直感に従う勇気を持つこと。不思議なことに自分の心と直感というものは、自分が本当になりたい姿をわかっているものだ」と言っています。確かに、私の今までの経験でも、トップ面談でお互いにいい印象を持ったM&Aは、ほとんどが上手くいくものです。

 

ところで、高階さんが最終的に決断したのは2つの理由からでした。

 

ひとつは私のセミナーで紹介しているM&Aの成功事例集の中に、高階さんの同級生の会社が掲載されていたこと。高階さんの会社より、はるかに大きい会社がなぜ売却に至ったのか、その理由を直接本人に聞いて納得したそうです。それは、大手グループの一員となり強者連合をして、さらに会社を成長させたいという理由から会社を売却したというものでした。

 

もうひとつは「これから調剤薬局は寡占化で経営が厳しくなっていく。コンビニやドラッグストアで起きた業界再編が、調剤薬局業界でも起きないのは不自然だ」と感じたからでした。これについては、のちほど解説しますが、私がセミナーなどを通して必ずお話しすることです。高階さんの決断は、まさに業界再編の渦中でベストタイミングをとらえたものでした。

 

その後、交渉や手続きは順調に進み、最終契約の調印式を終え、高階さんは阪神調剤薬局の仲間入りをすることになりました。2013年の6月に相談してから12月の調印式まで、およそ半年間という短期間での成約でした。あまりのスピードの速さに、現実感のないまま最終契約に至った、とは高階さんの感想です。

 

調印式を終え、決済の日の午前中には口座に資金が振り込まれ、その日は奥様と大阪の寿司屋でお祝いをされたようです。奥様のおかげで会社を続けることができたし、M&Aを進めるときも常に応援してくれたのは奥様だったとのことです。多くの経営者にとって奥様は会社を経営するうえでもかけがえのない存在です。

 

こうして高階さんは会社の株式を手放し、代わりに一流企業のサラリーマンや経営者でも生涯手に入れることができないような創業者利益を手に入れました。オーナー経営者ではなくなりましたが、大手グループの傘下に入ることで子会社の社長になったのです。

売り手と買い手の双方がシナジー効果で発展していく

オーナーであること、親族で資本を所有することにこだわる経営者の方もいらっしゃいます。しかし、もはや今はそうした時代ではありません。資本と経営を別に考え、将来を見据えて戦略的に、優秀な“経営のプロ”と手を組む。そうした経営判断が大切です。

 

高階さんの会社は店舗もそのまま、店名も変わらず、社員も全員そのままの待遇で雇用が維持されました。1年半以上が経ちましたが退職する社員は1人もおらず、社員全員から「社長、今までと何も変わっていないけど、本当にM&Aしたのですか?」などと言われるそうです。

 

現在は毎月1回、芦屋にある阪神調剤薬局の本社で“社長会”が開かれ、高階さんも出席しているそうです。これは、高階さんのように会社を売却した後、子会社の社長として経営を続けている数名の社長たちとホールディングの取締役とで行う報告会をかねた会議だそうです。

 

この場では、今後の将来に向けたビジョンに沿った話し合いが行われるそうで、高階さんにとってはワクワクし、胸が躍る時間だといいます。「田舎町の経営者1人では到底見ることのできない未来への展望が詰まっているから」と高階さんは言います。

 

M&Aによって会社を売却した最大のメリットについて高階さんは言います。「毎月の試算表の数字が右肩上がりに良くなっていることです。うれしいのはもちろんですが、数字に追いかけられなくなって気が楽になったのが正直なところです」。

 

M&Aを経験したことのない経営者は、売り手と買い手の間に利益相反があると思っているかもしれません。しかし、それは大きな間違いです。M&Aは、両社の相乗効果を高めるものです。でなければ、わざわざ親子会社になる意味などありません。実際、高階さんは本社からの後押しもあって、4店目を新規開局しています。「M&Aをせずに自身で経営を続けていたらリスクを恐れて、もしかしたら新規開局の決断はできなかったかもしれない」と高階さんは言います。

 

売り手と買い手の双方がシナジー効果によって発展していく、それが業界再編時代のM&Aなのです。

 

もうひとつ、高階さんが手にしたものがあります。それは「安心感」です。もちろん、まだまだ社長として5店目、6店目の開局も狙っているそうですが、会社と社員が安泰で、「これでいつでも引退できる」という安心感を手に入れたことは大きな収穫だったようです。

 

余談ですが、阪神調剤薬局の岩崎専務が雑誌のインタビューで、「グループ会社の社長さんたちは、当社の大切なお客様だ。阪神調剤薬局を選んで、会社を任せていただいたのだから、この期待を阪神調剤は絶対に裏切ってはいけない!」と書かれている記事を読み、高階さんなどのグループで働く元オーナー経営者は、本当にうれしい一言だったとコメントされております。

本連載は、2015年9月20日刊行の書籍『「業界再編時代」のM&A戦略』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

「業界再編時代」のM&A戦略

「業界再編時代」のM&A戦略

渡部 恒郎

幻冬舎メディアコンサルティング

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