政府は「生涯現役社会」を目指しているものの・・・
安倍政権は2015年10月に、第三次改造内閣の目玉政策として「一億総活躍社会」の実現を掲げました。
一億総活躍社会の目指すところは、「生涯現役社会」の構築です。
現在、高齢者の定義を75歳にしようという議論も始まっていますが、今の60代は昔に比べると体力的にも気力的にも活発であり、まだまだ第一線で活躍できる人材です。65歳になったから定年という考え方を改める時機に来ているのです。
政府の掲げる一億総活躍社会では65歳を超えた人を雇う企業・65歳以上に定年延長をする企業に助成金を出すなどの方針も示され、シニア人材に注目が集まっています。シニア人材が活躍するための環境は、少しずつ整っているのです。
とはいえ、実際に定年を迎えた人たちが社会の中で存在感を示しているかといえば、まだそこまでとはいえません。
現在、会社勤めをしている人はほとんどが雇用延長や再雇用で定年後も企業に残ると言われています。あるいは、定年退職後に別の仕事を始める人もいるでしょう。しかし、その人たちが、定年前と同じか、それ以上に活躍して充実した日々を送っているとは必ずしもいえないのです。
シニア人材の受け入れ態勢が十分でない企業が多い
なぜ、そうなってしまうのでしょうか? その原因を企業側とシニア人材側の双方から考えてみましょう。
まず、企業側の問題点としては、シニア人材の受け入れ態勢が十分ではないことが挙げられます。若い新入社員については、採用の実績があり、教育・研修のノウハウが蓄積されているのに対して、シニア世代の新入社員や再雇用組には仕組みも整っていない場合がほとんどです。そのため、受け入れようにも、どのような処遇にすればいいか分からないという事態が起きています。
柔軟性がない企業では、シニア人材に適したポストを用意できず、なんとなく会社にとってあまり重要ではない仕事や誰にでもできるような仕事を与えてしまう場合もあります。
これは本人にとっても、企業にとってもマイナスです。せっかくのシニア人材の経験や知見を活かさないのは、大きなチャンスを失うことと同じです。
そして多くの場合、シニア人材の処遇を考えるのは年下の社員になるわけですが、どうしてもシニアという年齢から、仕事のスピードが遅い、パソコンの新しいソフトが使えないなどのマイナス面ばかりが目についてしまいます。加えて昨日まで上司だった人がいきなり直属の部下になるケースはそう多くないかもしれませんが、今まで部長や課長だった人を部下にするのは、なんとなく「やりにくい」という部分もあるものです。
その点では、年長者の方も上に置かれるのが当然という「長幼の序」の考え方が柔軟な発想を妨げているといえます。
昔よりは少なくなったとはいえ、目上の人を敬い、敬語を使うというよい伝統が日本にはまだ残っています。それが裏目に出て、年上の人に指図をするのは気が咎とがめる、コミュニケーションを気軽に取りづらいという世代間の溝をつくっている可能性もあります。
そして、その溝がシニア人材の経験や知見を受け入れようとする意識を妨げているのです。
そもそも、高齢者は仕事ができないというのは、ただの思い込みにすぎません。アメリカ大統領のドナルド・トランプ氏は、就任の時点ですでに70歳です。そこから任期の4年間、最長で8年間大統領として仕事をすることになります。過去には、ロナルド・レーガン氏が69歳で大統領に就任し、8年間の任期を務めて退任した例があります。
トランプ氏は、すでにビジネスマンとしての実績がある人物ですし、選挙戦でのエネルギッシュな姿も印象的でした。もちろん、一国のリーダーが、高齢で仕事ができないということはありえないはずです。
日本でも、シニア人材はもはや〝シニア〟ではなくなっているのだと考えてください。
しかしながら、業績不振の企業にとっては、給与水準が高くないといっても、シニア人材にかかる人件費は気がかりなところです。
「本来なら60歳で支払い終わるはずの人件費が場合によっては65歳まで延びるかもしれない」。人件費というコスト面だけに目を向ける企業側の意識が、シニア人材が会社に利益を生むという発想に転換できない原因になっています。
また、シニア人材の雇用契約は1年ごとに更新するなど期間が短く、昇級や昇進もないため評価があいまいだったり、そもそも評価を与えないというケースもあります。そのため、業務内容を検証したり改善することが難しいという側面もあります。
シニア人材を継続して雇うためには、企業側が制度や意識を変えないとうまく機能しないのです。