都市部への大学新設や増設は制限されていたが・・・
都心にキャンパスを移転させる動きが、大学の間で広がっています。通学に便利なことや繁華街が近いなどの理由で、都心移転後は学生の志願者も増えている状況です。
そもそも、大学キャンパスの郊外移転が進んだのは、日本が高度成長期を迎えていた昭和40年代頃のことで、都市部に人口や産業が集中することを防ぐ「工場等制限法」が昭和34年に首都圏で、昭和39年に近畿圏で成立したからです。
大学が都心ではなく郊外に建設されていた理由は、当時の法律により都市部における大学の新設・増設が制限されていたことが原因でした。その一方、高等教育への進学率が3割を超えるなど受験生の急増により、学生を受け入れるため郊外に広大な校地を取得し移転を決断した大学は少なくなかったという背景があります。
都市部への移転で、応募倍率・大学経営の収益は上昇
しかし、平成元年代以降、都心の空洞化が社会的な課題となったことから、工場等制限法が平成14年に廃止されたのです。小中学校の統廃合や工場等の郊外移転なども進み、キャンパス開発のための用地取得がしやすい環境も整い始め、大学にとっては「都心に戻れる」社会状況が揃ってきました。
そのため、図表のように多くの大学が都心にキャンパスを移していて、その数は平成14年以降で40校超です。今後もその流れが続くことが予想されています。都心にキャンパスがある大学は、その利便性の高さから応募倍率は軒並み上昇傾向です。
一般的に大学経営の収益は、大きく分けて学生からの授業料と入試の受験料という2本立てになります。志願者が増えれば受験料という収益を上げることができるので、郊外から都心への波は今後も続くことでしょう。
[図表]